2013年 3月 26日
桜と月

小学校の通学路になっている川沿いの桜が 満開♪
今は亡き義父とヨチヨチ歩きの3男と一緒に 桜の下を歩いたのはもう四半世紀前
のことだ。 小さな孫を愛しそうに抱いて 桜の花を見せてあげてたっけ。
夫は、ちょうどその時の義父と同じ年齢になった。
昨日は、私の実家の竹やぶに 孫と野菜の支えに使う竹を採りに行った。
車の中で、かぐや姫の話をしあい、「もし 竹の中に赤ちゃんがいたら どうする?」
と お話の世界を楽しく広げて。
実家の玄関を鍵であけて〜誰もいない家に入ると、何代も続いたこの家もいよいよ
終わりなんだという切なさと、家を存続させたい気持ちを強くもちながら逝った父への
申し訳なさがこみ上げる。
レコードに残っている母の歌声と両親の写真をDVDに残すために写真整理の作業を、
時間を合わせて来た弟と共に 始めた。
夫と孫は、竹取り。
アルバムの間には、私が両親に宛てた近況を知らせる手紙も何通か大事にとってあった。
読み返してみるとこんなことを書いてたのかと思うほど忘れていたが〜昔の私もなかなか
親孝行だったなと思ったりして♪
きっと 手紙を何回も読み返したんだろう。
「女の子がひとりいて 良かった」と母は口癖のように いつも言っていたが、これはお世辞
などではなく本心だったんだわ。(笑)
後には、小学校のプールが見える。
夏になると子供たちの声でにぎわう。
我が家の子供たち4人もここの小学校に通い子供時代を過ごした。
子供が与えられ、子育ての時代は 充実した豊かな日々だった。
今 孫と過ごす時間が持てるのも 子供があったればこそ。
夕方 月を見ながら 孫を家まで送っていった。
月の影が かぐや姫がいるみたい!!と孫は 大はしゃぎ。
いっしょに走ったり 笑ったり〜小さな子供とでなくては味わえない愉しさを私たちに
くれる。
2013年 3月 24日
春が来た♪
いよいよ花の季節を迎えた。
これから、5月ごろまでの蚊が出ない時期が一番好き♪
冬 霜が降りるような時でも咲いていた ストックやビオラの株が日に日に大きくなっている。
クリスマスローズも 15本ぐらいが 濃い赤・白・ピンクと咲き続けている。

雑草と間違えられていたネモフィラも 地に植えたら大きくなった。
ラッパ水仙があちこちから出てきて、一時 花盛りで、いつも前の道を無表情で自転車で通る
じいちゃんが自転車を止めて「きれいだな〜」と言ってくれた。
このじいちゃん こんな愛想のいい人とは思わず〜花を間に置くと、人との関係も開けてくる!?

ムスカリも 今や旬。
これから、フリージアが咲き始める。
30年前の球根が毎年増えて 株分けして植えているうちに、庭の至る所から芽を出し 咲くように
なった。

クロも 元気になってきた。
いつも週末に帰ってきて、クロの相手をしてくれる息子が年度末で忙しいようで帰ってこないので
ちょっと物足りなそう。
2013年 3月 23日
玄米もちで雑煮
たまには おもちも食べたいなあと思い、玄米もちと普通のもち米のおもちを
買ってきた。 保存食としても いいかな?
桃の花も 桜も満開♪
今日は、義母が入院している病院で ”桃祭り”。
病院の周りには、桃畑がいっぱいなのだ。
義母にとって 2回目の桃祭り〜入院生活も2年目に入っている。
模擬店が出たり、ゲームをやらせてくれたり、 演芸もあり、楽しい一日となった。
職員の子供さんたちも来ていた。 子供たちはそこにいるだけで 癒される。
利用者さんたちも、顔をほころばせていた。
義母も杏仁豆腐をおかわりして食べたり、ふろふき大根を食べたりと満足気。
あちこちで 介護士さんたちや理学療法士さんたちに声をかけられ、日ごろ大切に
していただいている様子がわかり 嬉しい限りだ。
病院を後にして、残っている夏ミカンと玉ねぎ、ふき、タラの芽を採りに行った。
市内に住む叔母たちの所にも おすそわけ。
長時間家を空けると、クロのことが心配になる。
帰ってくると 外に敷いてあったジュータンの所に寝ていて ほっ。
2013年 3月 22日
人面大根

無農薬なので、虫がよってたかって食べて 創作。
近所の、母と同年齢の人が 母より数日前に亡くなった。
独身の息子さんとの二人暮らしだった。
道でその息子さんと会った時、「寂しいですね」と言うと、顔をぐちゃぐちゃにして、
涙を流し 会話ができないほど泣いていた。
昨年の暮れ入院するまで、歩いて買い物に出かける姿をよく見かけたし、入院する
前日には シチューを作ってくれたと言っていたから、突然のことで 心の準備ができて
いなかったのだと思う。
父が亡くなった時、母も私もそんな状態だった。 私には一緒にいる家族がいたから
救われたけれど、母は一人暮らしになり どんなに寂しかったか・・・私たち子供が時々
行っても、心の空洞は埋められないほどだったと思う。
今 父と再会して 喜んでいるだろうなと思うと、母が亡くなった寂しさは和らぐ。
2013年 3月 21日
母は歌が好きだった♪
母は、若い頃 歌手になりたかったのだと聞いたことがある。
その当時 歌手は、今のようにまともな?職業とは言えなかったようで、周りから反対
されて あきらめたのだそうだ。
この写真のように合唱団に所属して 歌っている写真や、一人で歌っているものなど
写真を整理していたら、何枚も見つかった。
今でも、地元の盆踊りのとき 決まってかけられる”宍原音頭”の歌は、母が歌っている。
子供の頃、母が家事をしながら歌っていると
「母さんは、ほんとに歌がうまいなあ」と ”ほんとに”という所に力を入れて、父はよく
言っていた。
たまに そのあとに、
「おまえは、母さんに似ないで 父さんに似ちゃって かわいそうだ」とも。(-_-;)
先生について 習っていたということなので、発声の仕方は、腹式で本格的♪
金婚式のお祝い家族旅行の時、宴席でアカペラで歌った ”ここに幸あり” 今も目をとじると
歌声が聞こえてくるようだ。
傘寿のお祝いの時にも、カラオケで何曲か歌っていたが、ほれぼれするような歌声を聞いたのは
それが最後だった。
昨年 10月に入院してから、弟がプレゼントした歌集を開いて、母と一緒に 何回か歌ったが、
耳が遠くなっているせいか 音程はくずれ、昔の歌声では 全くなかった。
歌う本人も愉しくないのか、積極的に 歌おうとはせず、切なく 悲しかった。
2013年 3月 20日
タラの芽の天ぷら
今日 部屋内の温度は、22度。
昨日は、春を通り越して 夏が来たみたいに暑かった。
いつもより 早いお帰りのケンを幼稚園に迎えに行った。 車に乗り込んだケンは、
暑い!!と上着をぬいだ。
首をさわってみると汗をかいていた。 暑いはずだ〜外気温28度。
家までの数分間 ケンはカバンの中のものを見せながら、幼稚園でのことなど
ずっと しゃべっていた。
家に着くと、ジージが 「これからの今日の予定を発表しま〜す♪」
元教師だから いつもこんな感じ(^_^;)
1時間目 レストランでお昼ごはんを食べます。
2時間目 静岡のひーおばあちゃんの所へお見舞い
3時間目 (静岡の畑)夏ミカン狩り
4時間目 (静岡の畑)玉ねぎ採り
5時間目 ドライブ(家に帰ってくる)
6時間目 ホットケーキ作り(おやつ&お姉ちゃんへのお土産)
○時間目という言い方は、まだ幼稚園ではしてないので 少し不思議そうな顔をしながらも
目を輝かせ 次はなんだろう?と ニコニコしながら 聞いていた。
”きょ〜うのおやつは ホットケーキ あまくておいしい ホットケーキ♪”
3人で歌いながら、車に乗り込んで 出発!・・・したのだったが、結局 (5時間目) 家に帰って
くる途中の車の中で眠ってしまった。
ひーおばあちゃんの車椅子を押したり、一緒に散歩に行き、公園で遊んでいた子供たちと とび
まわって遊んだり、夏ミカンの木によじ上ったり、玉ねぎを引き抜いたりと〜疲れ果ててしまった
ようだ。
春休みに入り、時々 私たちも出番があって 楽しませてもらっている。
2013年 3月 18日
クロも畑で♪
クロは、よその人が来ても 前のようにほえない。
散歩の時、グイグイ引っ張るので ケンは、ついていけずころんでしまった
こともあったが、今は そういう力もない。
周りのことに興味を示さなくなっているクロだが、ケンが無邪気に遊ぶ姿を
目で追う。 ケンの声が好きのようだ。
2013年 3月 17日
ブロッコリー カリフラワーの塩麹炒め

このところ 具合が悪かったクロだったが、今日は 落ち着いている。
少しずつ 快方に向かっている。(と思う)
前回は、良くなってきた時、 薬の副作用のことも考え、薬を飲ませなかった
のが悪かった。
血中濃度を一定に保つということが大切らしい。
今日で16歳9ヶ月になった。
2013年 3月 15日
豚肉の照り焼き
北海道で作られた てんさい糖を使った。
次男妻が、「てんさいは、寒い所で採れるものなので、身体を冷やさないんじゃ
ないかと思って、てんさい糖を使っている」と聞いて な〜るほどと思い 私も買ってみた。
母の通夜、葬儀の前に、母の赤ちゃんの時からの写真を30枚ほど スクリーンに
流して母を偲ぶ〜ということをやった。
ほとんどの写真には、友人たち 親戚の人たち 子供や孫たちが一緒に写っている。
私も何枚も登場〜赤ちゃんの私を抱っこしていたり、成人のお祝いに写したものなど。
写真を見ると、大切に育ててくれたんだなということがあらためてわかった。
感謝の思いを もっともっと伝えて 親孝行したかった。
”親孝行 したい時には親はなし”とことわざがあるくらいだから、きっと多くの人たちが
共通してもつ思いなのだろう。
2013年 3月 09日
クロ昼寝、母永眠

このところ 春のように暖かい。
芝生の部分に寝ればいいのに・・・
黄砂・PM2.5・杉花粉が入り混じった風の中で 昼寝中(~_~;)
昨日 昼、88歳の誕生日を迎えたばかりの母永眠。
父亡きあと、13年間 一人暮らしだった。
この間 入院したのは今回だけだったから、健康には恵まれていたと思う。
最期の数日は、弟曰く「穏やかな灯火」のようで、静かに消えていった。
すべてのことで反面教師のような部分も感じていた母だったが、よくよく
今 思えば 自分と五十歩百歩だったかもしれない。
エラそうに 批判したり 反抗したりする資格なんて ひとつもなかったと亡く
なってみると、良い所だけが思い出される。
60歳過ぎてから、琴の師範をとり、教室をいくつも掛け持ちしたり、手打ちそば
教室の講師をしたりと溌剌と頑張っていた母の方が努力家だった。
かけつけた孫娘たちがハラハラと涙を流している姿を見ると、明るくて優しい
いいおばあちゃんだったなと あらためて思う。