2006年 9月 05日

黒はんぺんのかぼちゃはさみフライ


特に県外の人が来てくれる時には、焼津名産の黒はんぺんは欠かせない。蒸したかぼちゃに塩少々いれ つぶし、黒はんぺんの間に はさみ、フライにした。


「まさか やっぱり 寄れない・・なんて 言うんじゃないだろうねぇ」と出掛けに夫。
一昨日娘から電話で、名古屋からの帰りに学生も一緒に寄るから〜と言うのだ。今度会えるのはお正月かと思っていたので、突然の帰省に 夢ではないかとほっぺをつねってみた・・・というほどでもないが〜半信半疑だった。
三人で来るというので その分の食事の支度をするが、もし 来なかったら 息子達を呼んで食べてもらおうかと考えたりしていた。が、すべて杞憂であった。女子学生かと勝手に思っていたら、大学4年の男子学生ふたりといっしょに。
どちらでも 大歓迎〜♪ 学生達は緊張して遠慮しているように見えたので「たくさん 食べてね」と途中言うと「お母さん もう そのセリフ 5回目ぐらいだよ」と娘に言われてしまった。
食べ終わると、左手が使えなくて大変だからと洗い物をテキパキとしてくれて。
しみじみ ゆっくりするまもなく、明日も仕事だしと風のように帰ってしまった。

投稿者: kun - 午後 10:15 | コメント | 固定リンク

2006年 9月 04日

野菜と豚肉のゴマ味噌ソースかけ


畑から、オクラ・ミニトマト・きゅうり・モロヘイヤ・青ジソをとってきて モロヘイヤは茹で、それぞれ 一列に前へ〜ならえ!!左手は、親指と人差し指しか使えないけれど、この程度には 切れる。並べるのは、とっても面白くて 楽しい。「はい さあさあ ならんでぇ〜」なんて 野菜たちに声をかけてしまったりして>ちょっと ヘン?!
こういうことをしながら、昔の教え子のことを思い出したりする。小学1年生の担任に初めてなった日、帰りに「は〜い、きりつ!」と言うと ひとりふたりは立ったけど あとの子達は座ったままで「きりつって なに?」と聞かれてしまったっけ。あの子達も 今では、40過ぎている?!焼津に引っ越してきたTちゃんは、優しいママになっている。昨年だったか スーパーで声をかけてくれて 感動だった。ヤンチャだったR君のことは きがかり・・・みんな元気かなあ。

投稿者: kun - 午後 10:15 | コメント(4) | 固定リンク

2006年 9月 01日

ふっくら 金時豆


先日 近所の高齢者世帯のおばあちゃんに、沖縄から取り寄せたという三温糖をいただいた。そのお砂糖で金時豆を炊き 届けた。夜電話があり、柔らかくて とってもおいしかった!どうしたら あんなにふっくらできるの?!とほめられちゃった♪ヾ(´▽`;)ゝエヘヘ
一晩 水につけたお豆を水だけでまず煮て 柔らかくなったら お砂糖 塩少々をいれ 少しだけ煮たら(煮すぎると固くなる)、あとは煮汁に何時間かつけておいたんですよ〜



帰省して 自動車教習所に通っていた3男が、卒業検定に合格した日(昨日)京都へまた行ってしまった。
その日の昼食は、牛ステーキにした。
「しばらく こういうものともお別れだ〜」と言いながら、(検定に合格したのが嬉しかったのもあっただろうが)なんだか生気が戻ったように明るい顔をしているのが 妙にシャクにさわったりして。。。親から離れるのが寂しいと思われたら そのほうが問題で困るんだけど。
駅まで送るために急いで車のほうに行こうとして、しっかりサンダルをはかずに走って行き 段を降りたので 芝生のところでこけてしまった。右足の甲が ゴキッとして〜あまりの痛さにしゃがみこんだ。
狭い所で走るんじゃないっつうの!学習能力が足りん!>自分
病院に行ったついでに 診て貰うと骨には異常はなく 捻挫ということだった。(ほっ)
ところで、車の中で息子にこんどいつ帰ってくるの?と聞くと来年の夏休みかなあですと。最低 すねっかじりの間は 親に少なくとも年に2回ぐらいは元気な顔を見せるのが 子供の義務だよ!と言うと、春休みにも1ヶ月もいたじゃん、だから もう2回だよ!って・・・(そう きたか)えっ そうだった?ととぼけ〜でも 暮れぐらい帰って来なきゃ ぜぇーったい駄目っ!!と強く言っておいた。



投稿者: kun - 午後 10:15 | コメント(6) | 固定リンク

2006年 8月 31日

きゅうりのショウガ浅漬け風




昔 昔の同僚(先輩)が油絵の絵画展の案内をくれたので、夫とともに見に行った。彼女の結婚式には、そのころ 夢中でやっていたマンドリンの独奏をしたっけ・・・思い出せば赤面のいたり。数年ごとに絵画展の案内は届いたが、ようやく 今回初めて 行くことができた。年賀状のやり取り程度のつきあいになってから 日はどんどん過ぎ 実に30年ぶりぐらいで再会。変わらず 若々しいので驚いた。退職し実家のそばに家を建て、昼間は絵を描いたり ガーデニングをやったりし、昼食は実家で作り 高齢のご両親と食べ、夜はご主人のほうの実家に泊まり そちらのご両親のめんどうを看ているのだそうだ。充実した生活をしているからだろう、若いころとおんなじように眼がきらきらしていた。
3つの展示室に並べられた絵を見るために お客さんが絶え間なく来ていた。応対の合間に「一枚 どれでもいいから 選んで持っていって欲しいから 黙って帰らないで〜絶対だよ!」と言うので お言葉に甘えて 一枚選ばせてもらった。「あの頃は青春真っ只中だったよね、なんだか訳わかんない頃で思い出すと恥ずかしい」と言う彼女と私も全く同感!!今度は家に遊びに行かせてもらうことを約束し 一枚のほうずきの絵を抱え 絵画展をあとにした。

投稿者: kun - 午後 10:35 | コメント(6) | 固定リンク

2006年 8月 28日

ごまだれ 冷やし中華

 

病気療養中のソフトボールのチームメイトのYちゃんが寄ってくれた。椅子に座るより 床にペタッと座るほうがいいという。それより もっと いいのは、ゴロンと横になること・・ということはわかっていたので、クッションや座布団を並べた。ひとりでというのも、たとえ気心が知れた者の家とはいえ、横になりにくいだろうと私が先に「ドッコイショ」と寝っころがるとすぐ続いてYちゃんもゴロンとなった。そこで ふたりで_(^^;)ツ アハハと笑ってしまった。
向かい合うと目線は座って話すのと同じ♪
クロは不思議そうな顔をして見ていた。帰省していた息子が2階から降りてきて 笑いながら挨拶すると「前監督時代に夜桜を観に行ったとき 一緒に行った子??いやあ 大きくなったねえ〜イケメンじゃん。あれは10年ぐらい前だったかねえ・・」と遠い目。
 なんやかやといろいろ話し 私もだいぶストレスが解消できた。Yちゃんは言うのだ「私は まだチームを抜けたわけではない。チームのためにできることをこれからもしたい。そう思っている私のためにソフトを辞めないで!」と。チームをまとめていってとかチームのために残ってと言われても、ソフトは大好きだけど、そういうことに自信をなくし嫌になったから辞めたいんだと言う私に最後の決めゼリフ。「私のために考え直して」だなんて 困るよ〜抗がん剤治療のために午前中は病院に行ってきたと言ったあとで、そんなふうに言われたら・・・決心がゆらぐ。


投稿者: kun - 午後 10:35 | コメント(5) | 固定リンク

2006年 8月 27日

ステーキ丼


(飛騨牛ステーキ重を高山で 食べた。マネして作ってみた〜昨夜の夕食)





投稿者: kun - 午後 10:26 | コメント | 固定リンク

2006年 8月 25日

新秋刀魚を大根おろしで


漁業関係に勤めている近所の家から 毎年この時期いただく新秋刀魚〜♪




左手の小指を骨折してしまった!
朝 出かける夫の見送りに出るのが 遅くなってしまった。走って行って玄関をあけるとちょうど 車が通りすぎる音がした。右方向に走っていく車のほうを見ようと覗き込んだら、勢いがついていたので 段々をふみはずした。体制がくずれ、咄嗟に身体を支えようとして出た左手が塀に激突し、小指が一本だけ薬指とは反対方向に押されてしまったというわけ〜。「ポキッ」とかわいらしい音がしたので、こりゃ折れたなと思った。かわいらしい音というのは、高音だったということで・・ 病院でお医者さんに状況を話しているとき 同じ表現をしたら 看護師さんがあきれたような顔をし、70歳は越えていると思われるお医者さんには全くウケズ ひんしゅくをかってしまった。家の中でも外でも (いい年して)走らなければいいものをっ!!っていうより、余裕をもって見送りに出ればいいのにっ!!朝の連続TV小説も佳境に入ってきていて 目を離せなかったために、遅くなってしまい走っていくことになったなんて ついこれまた勢いで言ってしまうと余計なことは言わなくていい〜という顔をされてしまった。(患者でごったがえしているときに、それは当然なことです。)
3本の指を固定されてしまっているので、キーボードを打つことも家事もうまくできない・・・勿論 グローブもはめられないし、バットも握れないということで(トホホ)

投稿者: kun - 午後 10:27 | コメント(12) | 固定リンク

2006年 8月 21日

八丁味噌だれ豚肉


前日に載せた料理のなかで これが一押しだったと思う。
?豚肉を塩こしょう・酒をまぶし しばらく置いたものを溶き卵 小麦粉 片栗粉をつけ 揚げる。
?八丁味噌・砂糖・酢・酒・味醂を混ぜ揚げたての?にかけ からめる。


主よ、私は思いこんでいました。
私は心が愛で漲っていると。
でも、心に手を当ててみて、本当に気づかされました。
私が愛していたのは、他人ではなく他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。



主よ、私は思い込んでいました。
私は与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて、真実がわかったのです。
私の方こそ与えられていたのだと
主よ、私が自分自身から解放されますように。



主よ、信じ切っていました。自分が貧しいものであることを。
でも、胸に手を当ててみて、本音に気づかされました。
実は思い上がりと妬みの心に、私がふくれあがっていたことを。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

・・・マザーテレサの詩「私は信じきっていました」・・・


”自分自身からの解放”
マザーテレサさえ 祈らずにはいられなかったこと。
まず自分が中心で 行いが伴わない私が、あがき もがくのは当然だ。

(明日から 24日まで ちょっとだけ 出かけてきます。)



投稿者: kun - 午後 10:35 | コメント(10) | 固定リンク

2006年 8月 20日

飲み会料理



子供ふたりや夫も含め 10人で飲んだり食べたり。
3時から 5時まで ソフトボールの練習があり その後我が家で〜練習の前に3品を作り、あと4品は練習帰りに買い物をし すぐできるよう準備をしておいた。時間はまたたくまに過ぎ 次の日になろうとしているころ解散。この宴会を契機にようやく 今期限りで ソフトを辞める決心がついた。
私がこのチームに入ったころ 中心になっていた人が突然 やめると言い出した。長いことキャップテンとして、練習日や試合の設定などの連絡から お茶の準備やら 道具の保管 そのほか雑用を なにからなにまでやってくれていた。それに対し感謝するということもなく みんな甘えていた。突然。。。と思ったが 今考えれば それらは負担になることもあり、辞めようとするまでには いろいろ考えていたんだと思う。最後には、「ソフトボールということばを聞くだけでも 嫌だ」と言っていた。そういう気持ちにならなければ、辞められるものではない。
彼女は、数年間 選手ではなかったときを経ての決断であったし私と辞めたい理由も違う(と思う)が、辞めようという思いの強さは 同じくらいだという気がする。HPからもソフトボールのコーナーを削除した。あと1試合残っているので それまでは練習も頑張るつもり。


投稿者: kun - 午後 09:36 | コメント(3) | 固定リンク

2006年 8月 18日

玉ネギ青ジソチキン



北海道で開かれるロックコンサートへ行く息子がいそいそと支度をしている。(ブルーハーツから) ハイロウズ そして ザ・クロマニヨンズとして 活動を再開した40代のおじさんたちを追いかけて。レインコートに 敷物に 着替えに・・・・。泊まる所は とってないんだそうだ。
「命を大切に!!無事に帰っておいでよ!」とだけ 言っておいた。「はいっ!」といい返事をしてくれたから 大丈夫だろう。


投稿者: kun - 午後 10:18 | コメント(4) | 固定リンク