2010年 5月 29日

筍のビーフンナッツ炒め(持ち寄り食事会用)

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 教会の花の手入れをして、花を活け、明日の礼拝の受付の準備をして
郵便物の整理などをしてっと。
2〜3時間は、あっという間にたつ。
駐車場をそろりそろりと出る。
運転席から、サーモンピンクの大きなバラを眺めながら。
次に 宣教師が挿した真っ赤なゼラニュームのほうに目がいく。
大きな株になった。
ガザニアは、咲き終わってしまった。
一方通行の教会の前の道路にさしかかりながら、車が来ないことを確認し
右折してすぐのところで止まる。
掲示板に 貼られている聖書の言葉を読む。

「いちばん先になりたいものは、すべての人の後になり、
すべての人に仕えるものになりなさい。」


31日(月)のチャリティコンサートのポスターを見て、多くの人たちが来てくれることを祈る。
道路沿いの花壇の花々を眺める、ビオラ ネメシア 金魚草・・・走り出す。
でも、そのまま行かない。
一軒おいて、次の角を右折しきらないところで止まり、振り返って
少し遠くに見える花のある教会を眺める。
というか 見つめる。 
普段は誰もいない教会。
思えば、教会に どなたかがいて下さったころはしなかったことだ。
宣教師が帰国され、その一年後の今年の春 牧師が異動された。
花も寂しげに咲いているように見える。

投稿者: kun - 午後 11:57 | コメント | 固定リンク

2010年 5月 25日

ふぐとくじら(の刺身)

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 福岡のお土産。
どこぞの団体に攻撃されそう・・・いただきものです。


 最近、マスクにサングラスで、帽子を深くかぶっている女性をよく見かける。
自転車で通りすがりに挨拶されても どなたなのかわからず、振り返ってみたり
することもある。
それでも わからないこともしばしば。
 日焼けしたくないんだなあ。
健康や美容に対する思いがあるんだ。
シミやソバカスができるものね〜。
守りたいきれいな肌があっていいなあ!
そんなのどうでもいいと思ってしまったら、もうおしまいなのかな・・女性として。
そうだよ〜もう おしまいだ〜わたし。
 さんざん 走り回って遊んだ散歩の帰り道、ケンが「抱っこ」と言ったら、もう眠い時だ。
今日は、日が薄いとはいっても、ひざしはかなり強い感じがする。
ケンを抱っこしたら、ケンに日があたらないように、気を使う。 そうすればするほど、
帽子をかぶっていても、自分の顔も それに手も日があたりっぱなしになる。
日焼けしても、ケンが気持ちよく眠ってくれるほうがいい。
鏡を見ても、老眼では きたない肌もよく見えないし〜お手上げだわ。


 


投稿者: kun - 午後 04:11 | コメント | 固定リンク

2010年 5月 22日

筍丼

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 夜中のこの時間。 
すぐそばの田んぼのカエルも眠りにつく。
読書をしたり、聖書を読んだり、ネットを開いて説教などを読んだり、ぼんやりしたり。
 今朝、荷物を前と後に沢山積んだ自転車で通ったホームレスのおじさんらしき人は 
今頃どうしてるんだろう?
「おはようございます!」と声をかけると
「おはよう! きょうも暑くなりそうだぞ!」と黒光りした顔はにこやかだった。
奥さんを最近亡くされた方のブログには、奥さんのことがほとんど書かれていないのは
なぜ?などと 全く 想像するしかないようなことを思いめぐらす。
一人暮らしが人生の半分近くなった娘のことも いつも想う。
 明日の朝食のしたくも さほど 気にならなくなって、やれるようにやればいいと思えば
時間がたっても あせらない。
たぶん 早く休んだほうが 健康にはいいんだろうなと思いつつ、いつまでも
起きていたくなる。
いったん 疲れて眠くなるが、それを過ぎると目が冴える。
時々聞こえる夫のいびき、息子たちがまだ起きているらしい物音
きっと それらがなければ、ただただ寂しい時間になるのかもしれない。
  

投稿者: kun - 午前 12:41 | コメント(4) | 固定リンク

2010年 5月 19日

酢豚

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 母の衣類の片付けをしている。
一部屋が山になり、埋まってしまうほどの沢山のもの。
 ここ2年ほど、その季節ごとに着るものが決まってしまっていた。
「いつも 同じものを着ているねぇ・・・」
「これが着やすいんだよ」
「一体いつ洗うの?! (下着は替えてるんでしょうね?)」
「昨日 洗ったよ」
「汚れてるねぇ・・・きたならしいね・・(縫ってある?!)」
「そう?」
 他にも着るものはあるはずだ・・〜というわけで、床の修理をすることにもなったので
全部出してみた。 これまでは、自分で管理できていたので(と思っていたので)、
触れない領域だった。 あるは あるは〜〜〜〜〜〜!
全体的に、きれいにきちんと大切に保存してあったが、湿気が多い家なので、カビくさい。
 母をよび、一枚一枚 見せて、「どうしよう、これ とっておく? 私にくれる?捨てる?」
とやり始めた。
最初のころは、「こんなのがあったんだ?! どこにあったぁ?!」と感動さえしていたが
そのうち「あああ 疲れた〜もう いやんなっちゃった。あんたが捨てるとも持ってくとも
して」と立ち去った。
 それから、日があいているときに行き、時には 夜の8時過ぎまでかけ、ようやく少し 
片付いてきた。 
姉(伯母)が洋装店をやっていたので、独身のころ そこで洋裁を習っていたこともある母は、
とってもオシャレで、特に私たち兄弟が結婚して家を離れてから、洋服を作ってもらったり、
買ったりすることが楽しみだったようだ。もとい〜ようだ〜ではなく、楽しみだったのだ。
同じようなものが何枚もあるのには、あきれた。 バッグも帽子の数も、私の感覚から言うと、
もしかしたら病気だった?!と思うほど。
 10年以上前 体型が変わった70代のころ、50代ごろまでに着た派手な花柄もの、ピンクや
赤が基調のものなどをなぜ 手放さなかったんだろう?
(その問いをつきつめると、長くなりそうなので省略)
その頃 子供の教育費の占める割合が大きかった娘(私)の家庭では、私の被服費はゼロに
近い状態だった(今でも あまり変わらないけど)。 きっと 喜んで着たろうだろうに。
そう思いながら、家に持ってきたものを手洗いしたり、クリーニングに出したり、まだ 母が着れる
!とまた 持って行ったり。「おばあちゃんの物を持ってきてからか、目がかゆい」と息子が言うので、
倉庫に運びこみ 少しずつ 整理している。
捨てるものも多く、再利用するには、時間も手間もかかる。
自分のものは できるだけ 自分で片付けができるうちに片付けたい、物はなるべく少なく〜
というのが、母から受けた教訓だ。 
  
 
 


 

投稿者: kun - 午前 11:29 | コメント(2) | 固定リンク

2010年 5月 11日

筍他野菜の中華風

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 息子妻の妹が出産予定日の約1ヵ月前から、息子の家に来ている。
息子の家の近くに実家もあるのだが、住宅事情があるらしくて・・・
産後も1ヵ月ぐらいはいるのだそうだ。 お姉ちゃんの家って きっと居心地が
いいんだろうな。 私には姉妹がいないので、残念ながら よくわからない。
仲良しの姉妹で なんともほほえましい。 受け入れられるお姉ちゃんの
夫である息子も なかなかエライ。
最初の日 たまたま息子の家でその妹に会った時、「宜しくお願いします」
と私たちにも挨拶してくれたのには、感心した。
 夫婦とその子供以外に、誰かが一緒に住むことは 人間関係が広がり 
きっと子供にも 良い影響を与えるだろうと思う。
  

投稿者: kun - 午後 10:33 | コメント(8) | 固定リンク

2010年 5月 07日

ふきとわらびの煮もの

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2泊3日で出掛ける前に作った、夫のための(つまみの)保存食♪

 出かければ、疲れてあたりまえで〜疲れても 癒される。
そんな健康が与えられていることに感謝。
日常に戻り 花をみると、一段と背丈も大きくなっていた。
花の色、形・・・なんて美しいんだろうと眺めながら世話をした。
その後 孫がきた。
幼子の瞳、 小さな手、しぐさ、ことば・・・なんてかわいいんだろう。
 昨日までの気づかい、緊張が嘘のようにとけていく。
無駄だったということでは全くなく、喜びも楽しさもあった2泊3日だった。
新しい力もわいてくる。

(クリックすると大きくなります)

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投稿者: kun - 午後 04:12 | コメント(2) | 固定リンク

2010年 5月 03日

タラの芽の酢味噌和え

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 小学生のころ、友達と”石けり”などをして遊んでいるとき 兄が「入れてくれ」
と強引に入ってくることがあった。
それまでの楽しさがとたんに、あほらしいほどのつまらなさになったものだ。
”石けり”にも、私たちのルールがあるのだが、兄はそんなことはおかまいなしに
こうだ!!と言い張る。そう思い込んでいたのだろう。 私たちから見れば、なに
言ってるのぉ〜そうじゃないよ〜いつもそうやってないよ〜というような珍(新)ルール。
好き勝手に自分流に進めようとした。この兄によって、人間関係では衝突すること
も多いということを経験させられた。
 兄は、自分で会社を起こしたものだから、 若い時から お山の大将で 孫ができる
ような年齢になっても、その本質が ほとんど変わらない。(と妹からみると思う)
企業人は大体は、常に上から評価されるため、自分を客観的に見つめなおし 改善
しようとし、組織の中で上司や部下との狭間で自分を抑えたり、我慢をも学び
成長していくものだろう。 兄は、頭としての苦労はしているので、決断力
などはあるのかもしれないが、人を優しく受け入れたりする度量がない。(と妹としては思う)
弱みを見せたらいけないと思っているのだろう。なにごとも自信ありげに 思うままに進める。
裸の王様みたいだ・・・とこちらが恥ずかしくなることがある。
人からとやかく言われるのは大嫌い(特に妹なんぞに言われるのは大大大嫌い)で、
『反省』『謙遜』ということばが兄の辞書にはない。(と妹からみると思う)
 昨日、母が住んでいる家のことで、こうしたほうがいいんじゃないの?!と電話で言うと、
早口でまくしたて、最後に「オレのやり方でやる! 口出ししないでくれ!」と言われた。
もうお手上げだ。 
 どなたかの文章で、ある父親の遺言の中に「お母さんを大切にして。兄弟仲良くしてくれ。」
という二つのことが書いてあり、感動したと書かれていたのを読んだ。
そのとき、私の父の遺言にも、 この二つのことが書いてあったことを思いだした。
きっと どの父親も(母親も)望むことなんだろう。 それらは簡単にはできないからこそ
遺言にも書かれることなのかもしれない。
父の心配する思いを考えれば、こんなわがままな兄をも許さなくてはいけないのかなと思う。
が、思い出すたびにその言い方、態度には ハラタツノリ!! 

投稿者: kun - 午後 04:25 | コメント | 固定リンク