2006年 8月 31日

きゅうりのショウガ浅漬け風




昔 昔の同僚(先輩)が油絵の絵画展の案内をくれたので、夫とともに見に行った。彼女の結婚式には、そのころ 夢中でやっていたマンドリンの独奏をしたっけ・・・思い出せば赤面のいたり。数年ごとに絵画展の案内は届いたが、ようやく 今回初めて 行くことができた。年賀状のやり取り程度のつきあいになってから 日はどんどん過ぎ 実に30年ぶりぐらいで再会。変わらず 若々しいので驚いた。退職し実家のそばに家を建て、昼間は絵を描いたり ガーデニングをやったりし、昼食は実家で作り 高齢のご両親と食べ、夜はご主人のほうの実家に泊まり そちらのご両親のめんどうを看ているのだそうだ。充実した生活をしているからだろう、若いころとおんなじように眼がきらきらしていた。
3つの展示室に並べられた絵を見るために お客さんが絶え間なく来ていた。応対の合間に「一枚 どれでもいいから 選んで持っていって欲しいから 黙って帰らないで〜絶対だよ!」と言うので お言葉に甘えて 一枚選ばせてもらった。「あの頃は青春真っ只中だったよね、なんだか訳わかんない頃で思い出すと恥ずかしい」と言う彼女と私も全く同感!!今度は家に遊びに行かせてもらうことを約束し 一枚のほうずきの絵を抱え 絵画展をあとにした。

2006年 8月 28日

ごまだれ 冷やし中華

 

病気療養中のソフトボールのチームメイトのYちゃんが寄ってくれた。椅子に座るより 床にペタッと座るほうがいいという。それより もっと いいのは、ゴロンと横になること・・ということはわかっていたので、クッションや座布団を並べた。ひとりでというのも、たとえ気心が知れた者の家とはいえ、横になりにくいだろうと私が先に「ドッコイショ」と寝っころがるとすぐ続いてYちゃんもゴロンとなった。そこで ふたりで_(^^;)ツ アハハと笑ってしまった。
向かい合うと目線は座って話すのと同じ♪
クロは不思議そうな顔をして見ていた。帰省していた息子が2階から降りてきて 笑いながら挨拶すると「前監督時代に夜桜を観に行ったとき 一緒に行った子??いやあ 大きくなったねえ〜イケメンじゃん。あれは10年ぐらい前だったかねえ・・」と遠い目。
 なんやかやといろいろ話し 私もだいぶストレスが解消できた。Yちゃんは言うのだ「私は まだチームを抜けたわけではない。チームのためにできることをこれからもしたい。そう思っている私のためにソフトを辞めないで!」と。チームをまとめていってとかチームのために残ってと言われても、ソフトは大好きだけど、そういうことに自信をなくし嫌になったから辞めたいんだと言う私に最後の決めゼリフ。「私のために考え直して」だなんて 困るよ〜抗がん剤治療のために午前中は病院に行ってきたと言ったあとで、そんなふうに言われたら・・・決心がゆらぐ。


2006年 8月 27日

ステーキ丼


(飛騨牛ステーキ重を高山で 食べた。マネして作ってみた〜昨夜の夕食)





2006年 8月 25日

新秋刀魚を大根おろしで


漁業関係に勤めている近所の家から 毎年この時期いただく新秋刀魚〜♪




左手の小指を骨折してしまった!
朝 出かける夫の見送りに出るのが 遅くなってしまった。走って行って玄関をあけるとちょうど 車が通りすぎる音がした。右方向に走っていく車のほうを見ようと覗き込んだら、勢いがついていたので 段々をふみはずした。体制がくずれ、咄嗟に身体を支えようとして出た左手が塀に激突し、小指が一本だけ薬指とは反対方向に押されてしまったというわけ〜。「ポキッ」とかわいらしい音がしたので、こりゃ折れたなと思った。かわいらしい音というのは、高音だったということで・・ 病院でお医者さんに状況を話しているとき 同じ表現をしたら 看護師さんがあきれたような顔をし、70歳は越えていると思われるお医者さんには全くウケズ ひんしゅくをかってしまった。家の中でも外でも (いい年して)走らなければいいものをっ!!っていうより、余裕をもって見送りに出ればいいのにっ!!朝の連続TV小説も佳境に入ってきていて 目を離せなかったために、遅くなってしまい走っていくことになったなんて ついこれまた勢いで言ってしまうと余計なことは言わなくていい〜という顔をされてしまった。(患者でごったがえしているときに、それは当然なことです。)
3本の指を固定されてしまっているので、キーボードを打つことも家事もうまくできない・・・勿論 グローブもはめられないし、バットも握れないということで(トホホ)

2006年 8月 21日

八丁味噌だれ豚肉


前日に載せた料理のなかで これが一押しだったと思う。
?豚肉を塩こしょう・酒をまぶし しばらく置いたものを溶き卵 小麦粉 片栗粉をつけ 揚げる。
?八丁味噌・砂糖・酢・酒・味醂を混ぜ揚げたての?にかけ からめる。


主よ、私は思いこんでいました。
私は心が愛で漲っていると。
でも、心に手を当ててみて、本当に気づかされました。
私が愛していたのは、他人ではなく他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。



主よ、私は思い込んでいました。
私は与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて、真実がわかったのです。
私の方こそ与えられていたのだと
主よ、私が自分自身から解放されますように。



主よ、信じ切っていました。自分が貧しいものであることを。
でも、胸に手を当ててみて、本音に気づかされました。
実は思い上がりと妬みの心に、私がふくれあがっていたことを。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

・・・マザーテレサの詩「私は信じきっていました」・・・


”自分自身からの解放”
マザーテレサさえ 祈らずにはいられなかったこと。
まず自分が中心で 行いが伴わない私が、あがき もがくのは当然だ。

(明日から 24日まで ちょっとだけ 出かけてきます。)



2006年 8月 20日

飲み会料理



子供ふたりや夫も含め 10人で飲んだり食べたり。
3時から 5時まで ソフトボールの練習があり その後我が家で〜練習の前に3品を作り、あと4品は練習帰りに買い物をし すぐできるよう準備をしておいた。時間はまたたくまに過ぎ 次の日になろうとしているころ解散。この宴会を契機にようやく 今期限りで ソフトを辞める決心がついた。
私がこのチームに入ったころ 中心になっていた人が突然 やめると言い出した。長いことキャップテンとして、練習日や試合の設定などの連絡から お茶の準備やら 道具の保管 そのほか雑用を なにからなにまでやってくれていた。それに対し感謝するということもなく みんな甘えていた。突然。。。と思ったが 今考えれば それらは負担になることもあり、辞めようとするまでには いろいろ考えていたんだと思う。最後には、「ソフトボールということばを聞くだけでも 嫌だ」と言っていた。そういう気持ちにならなければ、辞められるものではない。
彼女は、数年間 選手ではなかったときを経ての決断であったし私と辞めたい理由も違う(と思う)が、辞めようという思いの強さは 同じくらいだという気がする。HPからもソフトボールのコーナーを削除した。あと1試合残っているので それまでは練習も頑張るつもり。


2006年 8月 18日

玉ネギ青ジソチキン



北海道で開かれるロックコンサートへ行く息子がいそいそと支度をしている。(ブルーハーツから) ハイロウズ そして ザ・クロマニヨンズとして 活動を再開した40代のおじさんたちを追いかけて。レインコートに 敷物に 着替えに・・・・。泊まる所は とってないんだそうだ。
「命を大切に!!無事に帰っておいでよ!」とだけ 言っておいた。「はいっ!」といい返事をしてくれたから 大丈夫だろう。


2006年 8月 17日

夏野菜パスタ




「きょうは暑くなりそうだよ。我慢してないでクーラーつけなよ」と夫が朝 出かけるとき言った。こういう言い方を夫は私によくするけれど、考えてみると保護者的?!そういえば蒸し暑い日、京都で1人住まいの息子に、私が言ったセリフとおんなじだ。
畑やたんぼを渡ってくる風が結構気持ちがいいし、クーラーの涼しさに慣れてクーラーがないと耐えられなくなるのは、健康のためにだけでなく環境のためにも良くないかなあと思ってしまうので今日もつけなかったが。
夫は私のことを名前で呼び、私は夫のことをお父さんと呼ぶことが多い。
見た目も父娘みたいだったりして〜o(゜^゜)○☆バキッ!
親から離れ 新しい家族を作ったのだけれど、ここでも親のように頼れる存在があることは幸せだと思うが、ひとりになったとき はたしてちゃんと生きていけるのだろうか??

2006年 8月 16日

みょうがとわかめ・きゅうりの酢味噌和え




実家に私の兄弟の家族が集まった。
首相が靖国参拝をしたということから意見を言いあったり、中学時代のフォークダンスの思い出話をしたり。そのうち 兄や夫 弟 義姉がオクラホマミクサーやマイムマイムなどを踊りだした。実家へ行く途中 弟の家のそばの川に入り 遊んでから行ったので 疲れたせいや運転手でシラフだったからということもあり、ようやるよ、あほらし〜と私は横目で見ていた。
母は、孫たちの服装ややることがいちいち 気になるらしく 自分のことはしっかり棚にあげ、忠告や世話焼きが炸裂していた。それで憎まれようがきちんと言わねばならないと思うことは言っておくことが老い先短い身には大切だと思っているようだ。姿勢としては小泉○一郎さんと同じだったりして!(笑)夫がこっそり 姪たちに「大正ファッションセンスで 言ってるからね(気にしない 気にしない!)」と笑いながら耳打ちしていた。


2006年 8月 14日

イカのショウガにんにく焼き


?イカは わたを出し、切れ目を入れ 酒・醤油につける。
?イカをつけている間に、野菜やおろししょうが・にんにくなどを用意する。
?オリーブオイルをフライパンで熱し、にんにくをいれイカを焼く。
?焼けたら出し、残った汁にさらに酒・醤油を適宜入れ、少し煮詰めて しょうがをいれ、イカ 野菜にかける。


お祖母ちゃん(義母)に似てきたと息子に言われた。
フーンと聞き流していたら、次の日、昨日の続きだけど〜お祖母ちゃんと母さんの共通点は ”老婆心”ですと!!!
「お祖母ちゃんって いいって言っても あれ食べなとかこれ食べなとかしつっこく 勧めるでしょ?!母さんも この前もタオルケットあれでいいって言ってるのに わざわざ薄いの出してきて替えたりするじゃん」
広辞苑で調べると”老婆心”とは「年とった女の親切心がすぎて 不必要なまでに世話を焼くこと」とある。
老婆ね。。。ヽ(^。^)ノアリャアリャ





2006年 8月 12日

きゅうり奴豆腐


細かく千切りにし、氷水に放ち ぱりっとしたきゅうりの食感が豆腐とマッチして おいしい。
玉ネギも入れて〜♪


乳がんの手術をした(夫の)叔母を見舞った。
細かい所までよく気遣いができ過ぎると思うくらい優しい叔母。長男が遠く山口県で医師(医長)をしている。
http://www.iwakuni-nh.go.jp/s-housyasen.html
その息子に心配をかけたくないからとなんの連絡もしてないという。信じられない・・・両方の乳房をとらなければならないほどの重病なのに。しかも 息子の専門だ。もし こちらの医師と診断が違った場合 トラブルになって息子が嫌な思いをすると困るって。。。切ない・・
(普通) 親は子供のことを心から心配し、幸せを祈っている。その親の思いほど(大人になった)子供は親のことを思っていないのではないかと自分と親、自分と子供たちのことを考えて思う。叔母ももしかしたら それはわかっているのかもしれない。


2006年 8月 11日

きんぴら




 3男の弾くギターの音が2階の部屋から聞こえてくる。
階下に来たとき「まるでCDをかけてるみたい〜きれいな音だね」(オヤバカには違いない!)と声をかけた。
子供の頃は、こちらが勧めても 習いごとをなにひとつ やりたいとは言わず、今時 珍しいくらいなんにもやらなかった。突然ギターを高校の頃からやり始め 今は個人の先生について習っているのだそうだ。帰省のときには、ギターをしょって帰ってきて 閑さえあれば練習し、高校時代の友達と集合して楽しんでいる。
 英会話も外人の先生について 習い始めたようで、月謝を稼ぐためにバイトを始めた。これまで やらされてなかったので「習いごと」に対して新鮮さを感じるのかもしれない。自動車教習所に通いながら、忙しそうに いつもなにかをしている。あ〜若いっていいなあ!
 私も頑張らねば・・・と思うが なにもやる気が起きない。夫に言うと「そういうときは 静かにしてな」って。。。。「声楽」はかろうじて 続けているが、秋の発表会には出たくない〜とダダをこねている。優しい先生なので、「気が変わったら 言ってね!もし出るとしたら 今やっているイタリア歌曲と(日本語で)ローレライが声に合うと思うんだけど」と今週 楽譜を渡された。どうしようかなあ・・・うーん 気になる。








2006年 8月 10日

しょうが青ジソ風味きゅうり


?きゅうりは もみながら塩を混ぜ 針しょうがを入れ しばらくおく。
?きゅうりの水をこぼし、焼いて醤油をかけた揚げ 青ジソ 辛子めんたいこをかける。


「ミリオンダラー・ベイビー」をDVDで観た。
昨夜 夫と息子と観始めたのだが、眠くて 眠くて・・・気づいたら終わっていた。夫と息子を見ると涙目になっていて 感動した様子で、 夫が「よく こんないい映画見つけてきたねえ」と言っていた。そんなにいい映画なら 返す前に見なければ!と下の息子と今日 観た。尊厳死をテーマに、そのほか いろいろ考えさせられる家族の姿が描かれていた。クリント・イーストウッドが出ていて 監督もしている。スポコンものかな?という感じで入っていくが、後半 がらっと変わる。見ごたえがあるお勧めの映画だ。


2006年 8月 09日

ゴーヤチャンプル


(2005年 9月13日に ゴーヤチャンプルの作り方を載せてあります。)


浜松に住む母方の従姉妹から 電話があった。
私より5歳上で 子供のころから あこがれのお姉さん
伯母(87歳)と母(81歳)の近況をお互いに報告しあった。
伯母は検査の結果、ほかに悪い所はないが、脳の萎縮が進んでいるのだそうだ・・・介護度2だって。
従姉妹は、介護が大変で疲れきっている。
一緒にいると「どうして?!」と思うことばかりで、ついイライラして怒ってしまい、その後「なんで もっと 優しくできないんだろう」と自己嫌悪に陥ると・・・・私も同じなのでよくわかる。(従姉妹は、D大学の社会福祉学科を出ていて いろんなことがわかっていても、)自分の親となると冷静な対応ができないと嘆く。このままだと自分が倒れてしまいそうなので、ショートスティで預けたいけれど、きっとタクシーで帰ってきてしまうんじゃないかと従兄弟も言っていると。ゴルフ好きな伯母はつい最近まで元気にとびまわっていたという記憶があるが、とうとう寄る年波にはかなわなくなってきている。老いた親の姿を見て 自分にもやがてくるその時を考える年齢になってきたねと従姉妹と話した。



2006年 8月 08日

牛丼




太平洋戦争中の硫黄島での戦いの記録を昨夜 TVで観た。
日米両軍あわせて 5万人弱の若者たちの命が落とされた戦い。
生還した人たちが真実を語っていた。胸の奥にいつも秘められ 消すことができない思いを。
多くの仲間が死んでいったことは意味があったのかどうか・・・意味がなかったと言ったら、死んでいったものたちがあまりにもかわいそうだと涙を拭いていた。
地下壕を最後は 米軍に取り囲まれ 出てくるように説得されたが、出て行けば殺される 出て行くくらいなら自害をせよという教育を受けていた日本兵たちは、奥に潜んでいた。食べ物もなくなり 炭を食べ ウジムシがわく死体のそばの泥水を飲み、正常な神経をなくしていった兵隊たちには、また違う言うに言えない残酷な生きるための仲間どうし間の戦いがあったと話すお爺さんの目にも涙があふれていた。
 最終的には、地下壕の入り口に爆弾をしかけられ それでも出てこないので 水とガソリンが流し込まれた。
ガソリンが燃え 地獄さながらの地下壕から 引きずり出される生きる屍のような日本兵たちの姿がビデオで流れ、あたり一面に折り重なる死体の写真が映し出された。息を呑む光景に 涙 涙・・・
(私たち)戦争を知らない世代の者たちに、残酷という以外に言葉がない戦争の実態を知らしめるため これからも繰り返しこういう記録を放送して欲しいと思った。




2006年 8月 07日

肉じゃが




 車を”菜の花亭”の炎天下の駐車場に止め、友人たちと久しぶりにランチ。約2時間半ほどして、車に乗るとものすごい暑さににクラクラした。その後 喫茶店に行き、かき氷を食べ また車に戻り ゲンナリ〜。涼しかったり 暑かったりで身体がヘンになりそうだった。
 夜は、花火の音に誘われて 見えるところまで歩いて行った。小さな橋の欄干に夫と座って 子供が小さかったころの夏の思い出話などしながら しばし遠く(藤枝 蓮華寺池)の花火を眺めた。好きだなあ〜花火! 本格的な暑い夏が来た!

2006年 8月 05日

チキンステーキ夏野菜添え


皮を包丁でつついて切り、塩こしょう・酒・おろしにんにくをつけ しばらくおいたのをオリーブオイルをしき にんにくを入れ焼く。最後に醤油をたらり。
おろし大根・レモンで〜♪


 7月31日に3男の帰省の折りに 一緒に来てくれた大学の友達が5泊しきょう 暑い京都に戻っていった。
量より質を求めるじじばばと食べ盛りのピークを過ぎた次男の3人だった食卓に”(次男曰く)ハンパじゃない食べっぷり”の大学生2人が加わり、台所は活気づいていた。31日の夜は、餃子だった。途中でご飯が空っぽになり、急遽 ごはんをさらに炊くことになりお箸を置いて ハーフタイム〜(汗)それ以後は、暑さなんてなんのその!の食欲を満たすべく多め 多めに作って 作って 作り倒し〜〜〜気持ちが良いほどの見事な食べっぷりで平らげてくれる。これは、最後の夜のおかず。
 1日は、ネッ友のGさんご家族が来てくださった。優しくてもの静かなタイプ(私と似てる〜o(゚^゜)○☆バキッ!)の奥様と素直で利発そうな子供さんたちにお会いできて ほんとに嬉しかった。これもGさんの積極性がなせたことだと思う。「妻の友は私の友」とばかりに夫は、浜のほうに案内し ソフトボールをしたり、子供さんたちとポテトサラダを作ったりした。夕食は、このコーナーに一度は載せたことがあるようなものをと心がけたつもり。
 30日にはソフトボール志太榛原リーグ戦(2敗・・2戦ともヒット1ずつ)があり、もう また明日はリーグ戦 第2節。暑く 熱く なりそうだ・・・