2007年 4月 16日

たけのこたっぷり 親子丼




  長男の友人(牧師)のお父様が突然 くも膜下出血で亡くなられた。奥様は、同じ教会の会員で、お兄様ご夫婦と私たち夫婦は、お互いに結婚式の司会をやりあったようなような親しい関係。
 ご家族 親族が驚きと悲しみにうちひしがれながらも、神様のご計画のうちにあることを受け入れようとしているようすを見ていたら、切なくて 切なくて 涙が止まらなかった。
 

投稿者: kun - 午後 09:17 | カテゴリ: ご飯類
コメント

とく:

私も最近、親しい友人のご主人が突然亡くなられる…と言う経験をしました。どうしてあげてよいのか…
メールで”大丈夫?何か手伝えること無い?”
先日話に来てくれて、ご主人の死をしっかりと受け止めて、前向きに生きようとしている彼女を見て、感心もし、安心もし…
耐える力を与えてくださっているのですね〜
(2007年 4月 17日 午前 12:01)

kun:

とくさん
お友達のご主人様なら きっと まだお若いんでしょうね。
若ければ 若いだけ、もぎとられるみたいで つらいですね。
>耐える力を与えてくださっているのですね〜
そう 私も思います。
死は、少しずつ 近づいてくる場合やら 突然やら・・・
確実に いつかは来るものだということを 思い知らされます。
きょうは、自分の葬儀のとき 歌ってもらう讃美歌を選んで 手帳に書きました。これから 毎年 手帳に書いておこうと思いました。
(2007年 4月 17日 午後 06:19)

ミチ:

死とは悲しいものですね。身内、友人、知人、そして自分と関わりのなかった人の死でさえも。ドラマでの死の場面でさえ涙を流すのですから・・・でも人はその辛い死の場面を一生の間に何度も経験しなければならないのですね。耐え忍ぶ力がなければ生きて行けません。全ての人に神はその力を与えてくださっているのですね。
自分が死ぬ時はその悲しみを味わう事はありません。でも人を悲しませるのです。「あと10年生きられるかな〜」と子供等に言うと「駄目駄目100歳まで生きなくちゃ〜」と言われてしまいます。後17年ですよ・・・一寸しんどいな〜でも子供等の期待に添えるよう頑張ります。
(2007年 4月 18日 午後 04:44)

kun:

父親が亡くなってから 数年の間は写真さえ 見ることができませんでした。見ると 会いたくてたまらなくなってしまって・・・
最近 ようやく 見ることができるようになり、「お父さん おはよ!」などと声をかけています。

>「駄目駄目100歳まで生きなくちゃ〜」
子供さんたちに そんなふうに言われて ほんとにお幸せですね!
ミチさんが母親として それだけ存在感がおありだからだと思いますが。
ミチさんなら 100歳までも お元気で 生きられますよ♪
だって (お世辞抜きで)10歳は お若いです!!
(2007年 4月 19日 午後 08:11)

よしひろ:

以前”かばんもちさん”への返信で日本の教会の敷居が高いと書きましたが、誤りだと感じました。正しくは敷居が高い教会も低い教会もあるものですね。

今回ふとしたことで京都の別のルーテル教会へ行きました。経緯はまたくんさんに直メールででも書きます。その新しい教会が実に開放的で、初めて入っても違和感が全く無く、私自身門の前で観光客に「入ってみない」と声をかけたくなるぐらいでした。今までその教会は無牧でしたが、今回牧師が来られました。これから必ず大きくなると思いました。

いずれにしろ教会は開放的で、初めての人が溶け込みやすく、努力しなければならないのも事実ですね。
(2007年 4月 20日 午後 12:08)

kun:

よしひろさん
カナダへ戻られたんですね。

その初めて入っても違和感がなく開放的な教会!
私も 行ってみたいです♪
行ってみれば きっと自分達の教会との違いがわかるかもしれませんね。
どうしたら 敷居を低くできるんだろうと 私なりに考えていました。
しかし・・・よくわかりません・・
私たちの教会は、3つの礼拝堂があるのですが、元々独立した教会だったので 他の2つの礼拝堂へ行くのに 教会員でさえ 最初は抵抗がありました。
そんなとき 気心が知れた親しい友人がそこにいて 行くと さっと近づいて来てくれて声をかけてくれたことは嬉しいことでした。
そういう人がいるということは 敷居が低くなることにつながるかなあ〜 
(2007年 4月 20日 午後 11:03)