2011年 2月 09日
大豆サラダ弁当
干し芋を干しに小さな離れの二階に久しぶりに行った。
本棚の古ぼけた本を見ると、もう一度読みたい本が沢山ある。
その中から、一冊だけ 持ってきた。
「神を問う」 H・ティーリケ編 川村永子訳
〜現代に信仰をさぐる〜
30年ほど前、団塊の世代の教会の青年たちが、この手紙形式で
書かれた本を読み、読書会をやっていた記憶がある。
夫はその仲間だった。
夫が読んでいたこの本を私も読み始めたが、あまりにも理屈っぽく
わかりにくいので、途中で投げ出した。
今 読んでみると、訳していることもあるからか、難しい言葉が
並んでいたりして わかりにくいところもあるが、大体は 乾いた
土に水がすっと沁みこむように 心に響く。
昨日は、読み始めたときは眠かったが 最後の編を読んでいたら、
眠気が覚めた。 読み終えた途端 もう一度読みたくなった。
特に 面白かった箇所(目次)
3、人間は悩む
〜神は無力なのか
4、私たちはどこから来たのか
〜創造
12、聖書は本当に「神の言葉」か
13、祈り
〜神との接触
15、私たちはどこへ行くのか
〜死と復活
17、追伸
〜信仰を肯定し、教会を否定するのか
2011年 2月 05日
親子丼弁当
職場(喫茶)でインフルエンザに罹った人が出たりしたことだし、
マスクを全員着用しましょう!と呼びかけたが、反対する人がいて、できない
でいる。全員がマスクをしている姿は、”異様な雰囲気がする”というのが理由。
ちょっと へこんだ。意外だった。
食べ物を扱う所〜レストランや食堂など〜で、全員がマスクをしている所は
最近 珍しくない。 食品にツバが飛ぶのを防いでくれるので、衛生的だ。
気をつけてくれているんだな♪と好ましい目で私は見ていた。
あるレストランで、食事の途中 パンのおかわりを勧めてくれる所がある。
トレイに入れ、テーブルまで来てくれて、丁寧にパンの説明をしてくれる。
パンの上にツバが飛び放題の気がするので、夫はそのやり方には
批判的だ。モチロン私も。
先日、コンビニに寄ったら、店員さんたち全員がマスクをしていた。
「皆さん マスクをしているんですね」と声をかけてみた。
「インフルエンザが流行ってきたから」
「流行ってきたから?」
「うつりたくないですもの!」
「あ・・うつりたくないから?!」
店員さんは、少し声を強めて言った。
「そりゃあ うつりたくないですよぉ!」
万が一 ウィルスを持っていたとき、食品を通して、お客さんにうつすと困るから
マスクを着用しているとばかり思っていたので、目からうろこ?というのも 変だけど
驚いた。
マスクには、うつさないためとうつされないためのふたつの意味があるんだった!
2011年 2月 02日
肉じゃが弁当
「120歳まで 生きるとすると、まだ折り返し地点にきたばかりよ!
いろんなことができるよ。 だめだめ そんな70歳までなんて あと
10年しかないじゃないの!!」
70歳ぐらいまで生きられたら十分♪ という私を叱咤激励してくれる友人。
きっと 彼女は長生きするだろうな。
2代目クリスチャンの友人たちには、私にはない信仰への確信があり、
パワーが感じられる。
親に、この道こそ確かな道だよ、迷わずついてらっしゃい!とまっすぐな道を
示されているのだもの、安心して歩めるだろう。
2011年 1月 31日
ネギとタコの酢味噌和え
2期4年間の役員の任期満了。
人と人の思いがぶつかりあい、はじかれたり はじいたり。
本当は、大部分の人たちが 折り合い支え合い共に歩んで
いきたいと願っていたと思う。
そうしたいと思っていないかのように見えてしまう人が目立ち過ぎて、
多くの善意の方々の言葉を覆い尽くしてしまった感がある。
どこにでもある共同体の危うさ・・・
1人静かに思い返して心の中を探り たどってみれば、そこには
いつも自分中心の私がいた。
自分に厳しいけれど、人にも厳しい私。
厳しさからは 生まれるものは少ない。
自分の愚かさにあきれかえり、自分の弱さに打ちひしがれ 気力が
萎える日々も続いた。
ひとまず ひとつ肩の荷がおりた。
今日は、きれいな花を沢山買ってきて 植えよう♪
2011年 1月 26日
太刀魚の天ぷら弁当
昨日の某委員会。
司会者は、時間内(1時間半←決めたのは司会者)に終えるために
努力してくれた。 その割には 倍の時間がかかってしまった。
ここ3年の推移のデーターを作り 募金報告をした。
そのデーターから見えることを話したのだから、それを基にして
今年度どう募金活動を展開していくかを考えてもらいたかった。
データーを作るには時間をかけている〜さらっと流すだけで終わるのなら
なんの意味もない。 時間をここで使ってほしかった。
「募金 募金とお金のことばかり言っていると思われる」という言葉・・(T_T)
会計は、入ってきたお金をきちんと処理していればそれだけでいいのね。。。うん。
丁寧に(長々と?)はっきりと(自信満々に)話ができる人。
すごいなと思う。 聞く立場になるとまどろっかしい。^_^;
そういう思いをさせたくないから、短く話そうとすると〜言葉足らず
になったり、柔らかさに欠ける強い言い方になったり。
黙っていられれば一番ラクかな。
2011年 1月 21日
牛丼弁当
「楽しい毎日を過ごしたい」と 言っているのを よく聞く。
「充実した毎日」
「豊かな毎日」
どれも 人が求めていることだろう。
どんなとき 楽しいと思うか・・・?
どんなときに充実していると思うのか・・・?
豊かな日々だ!とどんなとき 感じるのか・・・?
人によって きっと 少しずつ 違う。
自分の欲望を満足させたとき 人は楽しいと心底思うことが
できるのか?
楽しいと感じたとしてもその楽しさは持続するものではない。
次々と新しい欲望はふくらんできて、いつまでも満たされない
ということもある。
目標をもって 生きると迷路に迷いこまないという良さがある
とは思うが、結局のところ 自分の欲望を満たすだけの目標
であることが多い。
自分中心で生き老いて死が迫ったとき 虚しさが押し寄せて
きはしないだろうか。
先人に学べば〜神中心の生き方をしてこの世の生を終えた人たちの
生き方は魅力的にうつる。
2000年の昔から 信じて、その足跡を刻んできた多くのクリスチャンたち。
迫害を受けても信仰を捨てることがなかったのは、この道こそ
豊かな充実した生をまっとうできる道だという確信があったからなのだ
と思う。
2011年 1月 20日
里芋などのごった煮弁当
教会の墓地への納骨でも、簡単にはいかない。
石屋さんに来てもらい、開けたり閉めたりしなければならないので
石屋さんにお渡しするお金が必要で〜15,000円。
そのほか、墓石に名前を彫るには、1人25,000円。
今回は、母と祖母 2人のお骨なので 37,000円。
情報を得て、連絡。
牧師の予定をも合わせ、なんとか段取りは済んだ。
葬儀を教会でしたいという子供たちの気持ちを汲んで、教会で
することになり、乗りかかった船!とばかりに進めてきた。
亡くなる日まで3年間一緒に暮らしていた同居人と元ご主人と
子供たちのそれぞれの思いがある。
果たして どれくらい それぞれの気持ちに添えたのかわからない。
近所の花作り農家に事情を話すと、献花用の白い菊の花を 格安で
提供して下さった。
「(お花を)使ってもらえて嬉しい」というあたたかい言葉が心に沁みた。
葬儀も納骨も〜 散骨だとしても 誰かの手が必要となる。
入りたい人が誰でもはいれる墓地を一ヶ所求めておいたほうがいいねと
夫と話した。 たまに話題になってはいたことだが、後回し 後回しに
なっていた。
2011年 1月 19日
2011年 1月 18日
チーズポテト弁当
孫(3歳)を車に乗せると、CDをかけたがる。
子供向けのCDがないので、一枚買おうかなとネットで
調べてみた。
「お母さんといっしょ」などで歌われている歌を集めたものが
多い。 題名を見ると ほとんどが私が歌える歌だ。
買おうかと思ったが〜そうだ! 私が歌えばいいじゃんと
気付いた。
そこで今日は、「犬のおまわりさん」「カラスの歌」など 次々に
歌ってみた。 知っている歌はいっしょに歌い、知らない歌をは
よく聞いている。
もう 昼寝をしない習慣ができているのだが、私の声は眠気を
誘うらしい。
公園で遊んだ帰り、いとも簡単に眠ってしまった。
2011年 1月 17日
焼き肉弁当

寒いけど、夏よりまだいいよね。(言い聞かせてる?!)
照りつける太陽!
外へ出れば 蚊にまとわりつかれる夏。
かゆいのは 辛い。
しかし、老年期に入ってきたのか ・・・
かゆいのは虫さされだけじゃない。
冬 乾燥して〜お風呂上がりや布団に入ると
ムズムズムズ。。。
年の差が大きい夫婦だと、夫はかゆい かゆいと
大騒ぎしても 若いピチピチ肌の妻はどうしてか
わからなかったりするだろう。
私たちは、3歳違いなので 2人でかゆい かゆい
と同情しあっている。