2011年 1月 21日

牛丼弁当

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 「楽しい毎日を過ごしたい」と 言っているのを よく聞く。
「充実した毎日」
「豊かな毎日」
どれも 人が求めていることだろう。
どんなとき 楽しいと思うか・・・?
どんなときに充実していると思うのか・・・?
豊かな日々だ!とどんなとき 感じるのか・・・?
人によって きっと 少しずつ 違う。
 自分の欲望を満足させたとき 人は楽しいと心底思うことが
できるのか?
楽しいと感じたとしてもその楽しさは持続するものではない。
次々と新しい欲望はふくらんできて、いつまでも満たされない
ということもある。
 目標をもって 生きると迷路に迷いこまないという良さがある
とは思うが、結局のところ 自分の欲望を満たすだけの目標
であることが多い。
自分中心で生き老いて死が迫ったとき 虚しさが押し寄せて
きはしないだろうか。
 先人に学べば〜神中心の生き方をしてこの世の生を終えた人たちの
生き方は魅力的にうつる。
2000年の昔から 信じて、その足跡を刻んできた多くのクリスチャンたち。 
迫害を受けても信仰を捨てることがなかったのは、この道こそ 
豊かな充実した生をまっとうできる道だという確信があったからなのだ
と思う。
  

投稿者: kun - 午後 10:02 | カテゴリ: 弁当
コメント

よしひろ:

数行ではかけないとても大きく、大事な事を投げかけておられると思います。

何時死が訪れても心安らかに、満足して逝けるように、今の日をどう送るか大切ですね。
(2011年 1月 22日 午前 08:25)

kun:

よしひろさん
コメントありがとうございます。

>何時死が訪れても心安らかに、満足して逝けるように、今の日をどう送るか大切ですね

そうですね♪
いつまでも この生が続くような気がしてしまいます。
死はすぐ先かもしれない未来に誰にでもあることという真実は、病気になったりしないと実感できないものなんでしょうか・・
(2011年 1月 25日 午前 08:39)