2013年 6月 02日

ポテトサラダ(夫作)


 今年のじゃがいも掘りには、息子の家族と息子妻の甥・姪も来てくれた。
普通 じゃがいも掘りの時は、出てくるじゃがいもに注目するものだけど〜
かわいい子どもたちや、息子たちの”良いパパママ伯父伯母ぶり”を見るほうが
楽しくて、時々じゃがいもを見ていた私だった。 


 きゅうりも出来始めた♪
採れたてのきゅうりは新鮮で 変な臭みがなく ほんとに美味しい。
きゅうりは、世界で一番栄養がない野菜だと「ほんとかしら!?」と疑いたく
なるような 知りたくもなかったことを数年前 聞いたけど、そんなこと言われても
だいだい だ〜〜いすき♪
昔の田舎の子どもたちは、もぎたてをおやつがわりにボリボリ食べたものだ。
なんと言われようと、今年もいっぱい 食べるよぉ!!
きっと 周りの人たちにも おすそわけすることだろう。
ぬか漬けにしたら、発酵食品だから そのままよりもはるかに栄養価が高くなる。
料理の中へ入れれば、他の野菜の美味しさを引き立てる役目もする。
それに、全く 栄養がないわけでもなく・・・
↓こんな記事があった。


〜キュウリの主な栄養素と効能は〜
●βカロティン
 淡色野菜ですが、表皮のグリーンにはβカロテンが含まれています。
抗発ガン作用や免疫賦活作用で知られていますが、その他にも体内でビタミンAに変換され、
髪の健康維持や、視力維持、粘膜や皮膚の健康維持、そして、喉や肺など呼吸器系統を
守る働きがあるといわれています。

●カリウムを含んでいます 
 カリウムをたくさん含んでいるので、ナトリウム(塩分)を排泄する役割があり、高血圧に効果があります。
また、利尿作用もあるので、体内の水分量を調節し、むくみの解消にも効果的だと言う事です。

●むくみに効果があります。
 きゅうりは利尿効果の高い成分を含んでおり、むくみをとる作用があります。



投稿者: kun - 午後 12:49 | コメント | 固定リンク

2013年 6月 01日

運動会 がんばりました。



全員リレーの順番を緊張して待つ けんちゃん。

 

 幼稚園最後の運動会。
初めての年少の時は、次男達も一緒に行ったっけ。(遠い目)
 ママがだいぶ前から予定を 家のカレンダーに書き込んでくれていて、直前にはプログラム
も置いていってくれる。 
そのお陰で、3回とも フル観戦できて幸せ♪
 
 リレーと、パパも一緒の競技も、楽しそうに精いっぱい走っていて、けんちゃんもパパも
すごく速かった。
ところが、団体競技なので チームではビリ。。。。。
悔しそうにしているその姿にも、大きくなったものだと感動する。


←つんちゃん。
3年後!?つんちゃんの運動会も観に行けるかな? 
行きたいな♪ 
行けるといいな☆

投稿者: kun - 午前 06:38 | コメント | 固定リンク

2013年 5月 31日

一輪のサツキ


(朝 つぼみが開いて 2輪になった♪)


 「あ、ちょっと待って」と弟が、一輪のサツキの花を折って 手渡してくれた。
実家から帰る時、車を庭から出した後 車を降り 門扉を閉める。
誰もいない家に入るのも切ないけれど、帰る時もつらいものがある。
 弟と一緒の時は、それぞれの車を出した後、門扉を閉める役をいつも弟が
やってくれる。
「じゃあ またね!」と車を出そうとしたその時〜門のそばで一輪だけ咲いていたサツキに
気付いたのだ。
中が薄いオレンジの2色のかわいいサツキ♪ 私が花好きのことを知っていて、
こんなことがさっとできる優しい弟をもって幸せだと思っている\(^o^)/
 
 ところで、弟の趣味は料理☆☆☆
母が入院している時も、母が食べたいというもの 食べたそうなものを私とだぶらない
ように連絡をとりながら、お互いに作って持っていったものだった。
 義妹は、幼稚園教諭、2人の娘は、保育士と小学校教員で、皆 帰りが遅いのだそうだ。
義妹の父親は近くに住んでいて病弱なこともあり、義妹は毎日仕事の後、そこに寄って
から帰ってくる。
夕食の支度は、帰りが一番早い弟が当然のように(喜んで)やっているのだ。
家族は迷惑と思ってるかもしれないけれど、なんせ趣味だから、やらせてもらってるんだよ
と言う。
なので、弟との会話の中で、
「今日は なんにするの?」
「○○が肉を食べたい 食べたいと言うから 今日はハンバーグにするよ」
とか、
「(実家の)ゆずを千切りにして、小分けにして 冷凍しておくといいね」
「この春は、ふきと筍を入れた酢飯を3回ぐらい作ったよ! 鮪をのせれば 最高だね!」
などなど〜姉妹か!?というくらい料理話もはずむ。(笑)


投稿者: kun - 午前 10:39 | コメント | 固定リンク

2013年 5月 30日

あらめと筍の煮物



 筍料理をUPする間もなく 過ぎてしまった筍のシーズン。
今年は、裏年らしい〜実家のそばの、同級生のNちゃんが言っていた。
 
 誰もいない実家の かまどを使うのも、寂しいし嫌だし・・・と非常時にも使えるような
かまどを買ってあったのだが、あまり採れなかったので 掘ってすぐに茹でていくのが 
美味しさを保つのに やはり良いからということで、いつもの年のように実家の古いかまど
を使った。
 
 「おう 来た来た!」と迎えてくれる人もなく、
掘ってくると、「採れたかね?」とかまどのある土間をのぞき、喜んでくれる人もないけれど
その声は耳に残っていて、よみがえってくる。
 
 叔父の葬儀の時、東京在住の従姉妹が 「子どものころ 夏休みに遊びによく来てさぁ〜
みんなで ごろごろ寝たよね!」と懐かしそうに言っていた。
 葬儀のあと、母の梅干しを欲しいと言う他の従妹たちと実家に寄った時も、みんなで母の
思い出話をしながら、分けた。
一緒に行った弟が、帰り際 
「2階にあがって 部屋を見てみたよ。 子どものころ 姉さんとボクが隣同士の部屋だったよね」
としみじみ言っていた。
 
 人はこの世での終わりを必ず迎え、家は古くなり 住む人がなくなれば 壊される時もくる。
そういう時がきたのだなと実感として 押し寄せてきている。

  

投稿者: kun - 午前 07:19 | コメント | 固定リンク

2013年 5月 29日

新じゃが♪


(4月24日のもの)

 5月24日 父の弟が亡くなった。
従兄弟たちとは、今年3回も顔を合わせることになった。
悲しいね・・・また、会ってしまったね・・・と言いながら。 
 8人兄弟のうちひとり残っていた叔父だった。
病気療養中だったので、義姉の私の母が3月に亡くなったことも すぐ上の姉だった叔母が
4月に亡くなったことも知らせなかったから、きっと天国で再会し驚いていることだろう。
 叔父は、実家の近くに住んでいたので、 子どもの頃 夜など ふらっとやってきて、ニコニコ
しながら 丹前のたもとから キャラメルを3箱取り出して 私たち兄弟に分けてくれたもの
だった。とろけるように甘く美味しかった〜ミルクキャラメルだったり、一粒にココアとミルクが
半々のものの時もあった。
今思えば、農閑期の時だったと思う。


 父の兄弟 8人のうち クリスチャンは3人。
お寺が一軒あり、教会は勿論ない 山奥の村で育った3人の伯(叔)母達はどうして キリスト教に
出会ったのだろうか?・・・聞いてみたこともなく。(ざんねん)
日本のクリスチャン人口率と比べれば、はるかに多い。
父は跡取りだったから、伯(叔)母達は 年に2回位は 子ども連れで来て 何日か泊っていった。
クリスチャンの伯(叔)母たちから受ける影響は大きかった。
そんな恵まれた環境の元に産まれ育ったことは、幸せだったと思う。
その子どもたち 17人(2人没)のうち、クリスチャンは6人。
親たちの世代とほぼ同じくらいの割合だ。

 そして、次の世代はどうかというと〜〜全員で38人??・・・・父達の世代から見て 孫の世代に
なると、会ったことがない子たちも何人もいてはっきりしたことはわからない。
 ”兄弟は他人のはじまり”と言われるように、親たちがなくなれば、特に遠くに住む従兄弟同士は、
段々疎遠になっていき、その子どもたちとは 通りすがってもわからないほどになるのかもしれない。
 
 従姉妹会をやりたいねという話は持ちあがったので、また きっと会えると期待している。 

投稿者: kun - 午後 10:12 | コメント | 固定リンク

2013年 5月 22日

サラダときしめん(息子作)


 私がこちらに戻ってから、息子が家事も頑張っている。
栄養のことをよく考えて作っているし、なかなか美味しそう♪ 

 

 昨夕、家の前の道路の側溝に近くのお爺さんの車が脱輪してしまった。
溝が結構深いのと 前後のタイヤが入ってしまったのとで、脱出に難航。
息子さんや親せきのおじさん、通りかかったおじさんや近くの農家のおじさ
んも加わり、いろいろと方法を変えて 試すのだが、うまくいかず とうとう
暗くなってしまった。
 最終的には、農家のおじさんのフォークリフトが大活躍し、出すことができた。
暗闇の農道を勢いよく フォークリフトを走らせて来てくれた姿は、仮面ライダー
のように かっこよかった(笑)。
J○○に入っていれば、きっと 暗くなる前に ほとんど誰にも知られず あっと
いう間に、引き上げてもらえただろうが、そういう力には頼らないで みんなで
力を合わせて あーでもない こーでもないと言いながら、やることは それは
それで田舎のあったかい良さがあるものだ。
 持ち上げようとしたり、押したりしていた背中が曲がったお爺さん、どこか
今日あたり 痛みが出なければいいけれど・・・ 

投稿者: kun - 午前 10:30 | コメント | 固定リンク

2013年 5月 18日

ふきと筍の煮物



 ふきと筍の煮物をどっさり作り置いて、息子の家に産後の手伝いに行ったのは
6日だった。
 
 10日間の名古屋での生活。
料理をはじめとして、家事は場所が違っても すぐ慣れるもの〜特に料理を作るのは
愉しかった。 
嫁が全幅の信頼をしている○○式母乳育児法によれば、乳管がつまるとかで食べて
はいけないものが、カレー 筍など〜昔は、母乳の出がよくなると言われていた 
お餅類などもその中に入っていた。
また、オリーブオイルとごま油以外の油と乳製品は、使わないようにということで やや
料理の幅は狭まってしまったが。
 
 添加物が少ない、より安全なものを食べるように心がけ、アルコール類はやめること
ぐらいで、なんでもバランスよく食べ、穏やかにゆったりと育てようと心がけ、母乳で4
人を育ててきた私からみると??
筍なんて、どの子のときも どっさり食べながら 母乳をあげていた。
(と言いたいところを、ぐっと抑え)
昔と違い、今は食べ物が豊富だから、もち米などカロリーの高いものは抑えるように
したほうがいいのだと言うけれど、私の子育ての時代は そんな大昔ではなく 食べ物も
豊富にあったんだけどなぁ・・・(と、心の中でつぶやいていた) 

 
 ネットで検索して得た情報や本から得た知識、その○○式の助産婦さんが言うことを
ひたすら信頼する新米ママとパパに、私の経験談など ほとんど必要とされてないことを
度々感じた。
 まあ、それも仕方がない 当然といえば当然のことでしょう。 
私だって、育児書を読み、講演会などに行ってその道で活躍されている人の話を聞き、
自分で考え夫と相談し、試行錯誤で子育てをしてきたのだもの。

 
 ママは よく赤ちゃんに優しく話しかけ、パパも すぐ抱っこして、 まるでおもちゃのように
顔をマッサージしたりとスキンシップたっぷりに育てている。
調味料や洗剤類なども できるだけ 安全なものを使うことも、私以上に心がけている。
 きっと、健康で 優しい子に育ってくれるだろうと思っている。
  
 


投稿者: kun - 午前 08:12 | コメント(2) | 固定リンク

2013年 5月 02日

母の作った梅干し



 梅干しは、どのくらい持つだろうか? ネットで調べてみたら、塩とシソで
素朴に 塩辛く作ってあるものは、賞味期限は長いらしい。
一応 100年以内に食べて下さい〜と書いてあった。(笑)

 母の作った梅干しは、床が斜めになっている蔵に 山のようにある!
認知症になる前は、無くなるともらってきていたが、認知症になってからは、
大丈夫か!? とやや 不安になり、「梅干し 持っていく?」と度々 聞かれたが
「いいよ、まだ あるから」と断っていた。
今 思えば、かわいそうだったな・・と思う。
折角 子供たちや皆にあげたくて 作っていたのに。
(ごめんね、お母さん。)
 
 これは、実家の冷蔵庫にあったもの。
今 玄米に ちょんちょんとつけて 食べている。
(昔と変わらない味で 美味しいよ、ありがとう お母さん)
容器に名前を書いてある。 
どこかへ漬けものや煮物でも 持っていったのだろう。 間違えたり 忘れたりすると
困ると思ったのか、なんにでも 名前を書いていた。 

 
 さて、沢山の梅干し、欲しい人たちに分けることにしよう♪
 

投稿者: kun - 午後 05:33 | コメント | 固定リンク

2013年 5月 01日

肉じゃが



 いよいよ5月♪
でも、5月って こんな涼しかった!?

 何回目かの実家の片付けに行った。
玄関の鍵が開いていて、母の部屋の電気がついていた!
 私は確か 消したし、鍵もしめたつもりだったけどなぁ・・・
今日は、帰りに蛍光灯のリモコンの電池を出しておいてみた。
玄関も ガチャガチャして 開かないことを確認した。
 
 いつになったら 片付くのか〜気が遠くなる。

 


投稿者: kun - 午後 09:16 | コメント | 固定リンク

2013年 4月 23日

初めての抱っこ♪



 春は、出会いと別れの季節というけれど、 今年はいつになく 重い別れが
押し寄せている。
 そういう中、嬉しいこともあった。
クロが亡くなった日の午後 孫(女の子)が誕生。
5日目 初めての抱っこ。
可愛らしい微笑みに 癒された。
 この日の前日、名古屋の息子宅に滞在中 神戸の叔母が交通事故で運ばれたと
連絡が入った。 父の妹で、夫は牧師だったがもう亡くなっていて、一人息子は
アメリカ在住。 連絡先が兄になっていたのだ。
一報では命に別条ないということだったが、まもなく 血圧が下がって危篤・・・・
叔母が所属する教会をネットで探して 牧師と話ができた時には、召天してしまっていた。
 先月の母の葬儀の時には、元気な姿を見せてくれて〜(母より一歳下の)少し小さくなった
叔母をハグして、身体に気をつけて 長生きしてね!と言ったばかりだった。
元看護師の腕を生かしてボランティアをやったり、絵を描いたり、パソコンを習ったりと活動的な
叔母だった。きっと100歳までも 生かされるだろうと思っていたのに。
 青信号で横断歩道を渡り始めた時、左折してきた車が叔母に気付かなかったのだそうだ。
運転手は60歳ぐらいの男性ということだ。事故を起こしてしまったほうも、この先 重荷を
背負って生きていかなければならないだろう。



投稿者: kun - 午後 04:14 | コメント | 固定リンク