2013年 7月 03日
田作り
あまり味を濃くしないで、ナッツ類をたっぷり入れて、保存食に♪ おつまみに♪
レンジでやるのが早いかもしれないが〜ごまめ、ナッツは、フライパン(中火の弱火)
で20分ほどゆっくり炒め、黒糖・醤油・みりん・酒に水を少々いれたタレを沸騰させ
少し煮詰めた中に入れてからめる。
7月1日の記事で、歯医者に通っていることを書いたが、書いているうちに 最初に
書こうとしたことと違うことに展開してしまった。
ほんとは、歯科で治療したあとのめまいについて書こうとしていたのだった。
実は、歯科治療を終えると 春頃から、めまいで階段の昇り降りには手すりにつかまらない
と恐いほど。 歯科医院は、エレベーターのない3階にある。
ぼーっとして〜倒れるほどではないけど、夢遊病者ってこんなんかな?という感じになる。
車で片道45分ほどの所なので、ここ何回かは 電車で通っている。
車で通っていたころは、すぐに車に乗るのは危険だと思い、スタバなどに入り休憩したり
したものだった。 1時間ぐらいすると治まるのだ。
治療する時には、背もたれを倒すので その体勢のせいで貧血状態になるのか?
原因はなにか? あれこれと推測する。
クラーッとするような刺激臭のある治療薬のせい?
・・・何回も撮るレントゲンは、いいわけない・・・小さな箱みたいな所に入れられ、
「はい、そのまま動かないで」と言い置いて バタンとドアを閉めて 外側でスイッチを押す。
削る時の音は 頭の芯にまでも響き、とにかく恐い。
精神的なものなのか? よくわからない。
2013年 7月 02日
とうもろこし
今年は、網をかけてくれたこともあって(写真)、カラスや虫被害がなく、きれいで
美味しいとうもろこしができている。
「とうもろこしを食べにおいで♪」と言えば、孫たちは すっとんでくる。
三男がテニスの試合でこちら方面に来て、泊った。
帰る時、いろんなものを持たせようとする・・・ミニトマト、きゅうり、ピーマン、ナス・・
惣菜、お菓子、お茶、いただきものの高価なボディシャンプーなどなど・・・・
一人暮らしを始めたころは、おかずものなど 持っていったりもしたものだが、最近は
いつも いつも オール「いらない!」
ところが今回、「じゃ とうもろこしはもらっていこうかな☆」って♪(^O^)
今日は、(夫の)叔母2人と、義母の病院に行ったあと 一緒にランチをして、帰りに
「とうもろこし狩りをしていって♪」と誘うと、寄ってくれた。
家で お茶しながら、つんちゃんの動画を観たりして 楽しく過ごし、とうもろこしを
お土産に 喜んで持っていってくれた。
とうもろこしの力は、まことに偉大だ!!\(^o^)/
2013年 7月 01日
ズッキーニとがんもの豆腐炒り煮

週に一度のわりで、まだ 歯医者通いが続いている。
どうにも ひどかった所をブリッジにした後、
「あと (治療が必要な所が)3ヶ所ありますけど、どこから 治しましょう?」
と聞かれ〜
1ヶ所目を治療中、もう1ヶ所の歯が割れてしまったので、2ヶ所を ほぼ平行
して やっていたが、かぶせるため型を前回 とったので、終わりも近い。
残すは あと1ヶ所!
こうして、歯医者に通えることは 幸せなことだ。(しみじみ)
すぐ抜かないで なんとか残しながら 治していくというやり方なので、私のような
歯でも、もしかしたら ”8020”(80歳で 20本の歯を残す)に 近づけるかもし
れない・・・・と 少し希望を持っている。
母親は総入れ歯だった。
なくし物が多くなり、「入れ歯がない!」と度々大騒ぎするようになって、入れ歯の
存在を知った。
父親も 数本残して あと入れ歯だった。
両親が入れ歯になるまでに、どこの歯科医院に どれぐら通い、どんな過程を経たのか・・?
知らない。
死ということなど考えられないほど元気だった父親が入院して1ヵ月後亡くなってしま
ったが、その間、毎日 私が入れ歯を洗った。 人の入れ歯を洗うことは、気持ち悪い
感じがするのが普通だと思うが、全くそんなことは思わず喜んでやっていたものだ。
親は、そんな特別な存在だというのに、いつ 入れ歯にしたのか知らなかったように、
知らないことが沢山 あるものだと 親が亡くなってしまってから 気付き、申し訳ない
気持ちにさせられることがある。
2013年 6月 19日
じゃこの和えもの
第2 第4水曜日の10時から1時間ほどの、聖書の学び。
ここ3年ほどは、さぼっていたが また行き始めている。
先月から 「聖書の中の女性たち」を 一人ずつ とりあげて 学んでいる。
前回は、”ヨハナ”という女性だった。
福音書に2ヶ所、ほんの短い文の中に 名前が出てくるだけの人。
イエス様に従った弟子の中では、12人の男性たちが有名だが、女性たちもその周りに
いたことは 私は 特に 認識していなかった。
ヨハナのことは、この学びで教えてもらわなければ きっと知らずにいたかもしれない。
男性の弟子たちがすべてを捨てて従ったように、ヨハナも、家も 夫も 子ども
も捨てて イエス様に従っていった。
学びの中では、先生の解説のあと、質問したり、自分に置き換えて考えたり 話したり
しながら、しばらく 聖書の中に浸り 楽しい時間が流れる。
どなたでも、いつからでも 参加できます。
勿論 無料です。 あなたも 是非 ご一緒に学びませんか。
2013年 6月 16日
大切なものだったんでしょうけど・・・

↑(これら) 持ってって くれないかなあ・・・と長男に電話した。
すぐ 来て 見てくれた。 一本は次男のもの 三男のものが二本で
あと長男のもの(だそうだ)〜それぞれ一時期 夢中でやっていた(ようだ)が
今では 忘れられ、クローゼットを占領し・・・・はっきり言ってジャマなんです・・・
「もうちょっと、置いといてよ! 2人しか住んでないんだもの 空いてるじゃん」
「もうちょっとって どれぐらい?まさか10年ぐらい!?」と言うと「うん」ですって!
使わないのに、処分する気はないところが、私の息子らしいというか なんというか。
小さい時に読んだ童話などの本も、中学生のころ 処分しようとしたら、子どもたちが
ハモッテ言った、「捨てないで!!!」
今では、孫が(後表紙に)パパたちの名前が書いてある(少し黄ばんだ)絵本を見ているので
良かったと思うが・・・ギターはどうなんだろう??
↑ケンは興味を示さないウルトラマンと怪獣たち。
(たしか)三男が、集めて よく遊んだものだ。
他にも、メンコやシールやカードなど。
捨てる時を逸してしまって 残っているこれらのもの・・・懐かしいけどね・・
時々、家の中を念入りに片付けないと、あとあと 大変なことになるというのが、
実家の片付けをしていて よくわかったことなのだが。(・。・;
2013年 6月 14日
きゅうりのぬか漬け

「どうして そんなにお花が好きなの?」と、小学1年の女の子に聞かれた。
花の手入れをしていると、通りかかった人にこれまでもいろいろ声をかけて
もらっているが、「どうして?」と クエスチョンマークで 言われることはなかった。
「なにが そんな楽しいの?」と、驚きをもって 聞いたのかも。
家の前の道を通学路にしているこの女の子と友達の、2人組♪
道でひろった石を、スカートのすそを持って、そこに入れ 大事そうに持ち帰ったり、
昨日は 傘が汚れていたので「汚れちゃってるね」と言うと、水路で遊んだ
と言っていた。
昔の子どもたちのように、道草をしながら帰る姿は、楽しそうで微笑ましい。
5月中旬ごろ、学校の帰りに 「トイレ貸して!」と何回か寄ってくれ、その後
私がいない時も2回ほど、来てくれて〜夫が「女の子たちが トイレ貸してと
来たよ」と笑いながら話していた。
最初に、「”こどもをまもる家”だから、なにか困ったことがあったら、ピンポンして
入ってきてね」と言ったのだ。
まさか トイレを貸して!と言ってくるとは思ってもみなかった。(~_~;)
昨日外にいたら 私の姿を見て走ってきて
「この頃 いなかったね! どこへ行ってたの? 」
「この前、トイレに行きたくてピンポンしたら出てこなかったから、あっちでおしっこ
しちゃった」と水路の垣根のほうを指差した。
「そんなとこにすると、おしりを蚊にさされちゃうよ!」と言うと、そこから また話が
次々に進み 「かゆかったこと」や「今 ここがかゆい」だのと賑やかに展開する。
きっと、家族の愛情をいっぱいに受けて育っているのだろう。
田舎の子らしくたくましいところもあり、 伸び伸びしていて、ほんとに可愛らしい子
たちだ。
今日も、ピンポーン〜〜♪ 「もれちゃう!!」と入ってきた。(笑)
7年前は赤ちゃんだったのに・・・・子どもの成長はめざましい!!
今 赤ちゃんの(孫の)つんちゃんは、7年後 どのような子に育って、どこで小学校
生活をするんだろう?(なにしろ 息子の転勤は確実なので)
学校の帰りに、近所のおばちゃんちで、トイレを借りたりはしないだろうな。(^_^;)
2013年 6月 12日
二日にわたって 娘と。
クロの写真を携帯の待ち受けに ようやく入れられるようになった。
いつも ちらっと見るだけ〜じっと見ると いろいろ思いだしてしまうから。
娘に見せたら、「(クロの世話)大変だったね」と言ってくれた。
娘の反応は、親を思いやる気持ちがあふれていて 嬉しい。
よく母が、「女の子がひとりいて ほんとに良かった」と口癖のように言って
いたものだが、私もそういう気持ちがよくわかる。
東京で娘と食事をしたり、買い物をしたり スカイツリーに行ったりと楽しい
時を過ごした。
母の日と父の日の間とは! そんなことはなにも思わずにその日が決まった
のだったが、娘はプレゼントを考えてくれていて、驚いた。
私には帽子と晴雨両用傘、父には、半袖シャツ。
夫は、選んでもらったシャツをそのまま着て、「10歳は若く見える!」と娘に言われ、
嬉しそうにしていた。
「お母さん 帽子がすごく似合うよ!」と娘に言われ〜そんなこと 今まで人に言わ
れたことないのに、何回も言ってくれたので、もしかしたら ほんとに私って帽子が
似合うのかなあ?という気がしてきた。(笑)
2013年 6月 05日
母の部屋の片づけ

母の部屋の片付けも9割近く終わった。
父亡き後13年間一人暮らしだったから、だだっ広い田舎の古い家 全部が母のものだった
けれど、母はベットを置いてある部屋には、ヘルパーさん達にも入って欲しくないと思っていた。
娘の私以外の人が押し入れやタンスを開けるのも、厳禁〜認知症のため、警戒心が
必要以上に強かったこともそうさせたのだと思う。
衣類の片付けは、生前 時々してはいたけれど、ベッドと壁にはさまれた狭い空間に
置いてある 棚などを、亡くなってから 初めて片付けた。
あるのは、写真やノート、楽譜、手紙類・・・その他細かいもの・・断ち切りバサミ2本、小さな
ハサミ数本、剪定バサミ、ナイフ・・・金づちも出てきた。
金づちは、どこかくぎを打つことがあって、そのまま そこに置いたのだろうと思った。
2本目が出てきた時・・・??・・・あるのを忘れて また持ってきたのかな??
その後、真新しいカマが出てきた時には びっくり!! 護身用だったのだ!!
3本目の金づちも見つかった。
「どんだけ 恐かったの!?」 とつぶやき〜無理もない、寂しく 恐い思いをさせて申し訳な
かった、かわいそうだったなと思いながら、片付けをしていた。
最後に、棚の一番下から、ほこりまみれのナタが出てきた時には、絶句・・・号泣した。
2013年 6月 03日
デール先生のお話とピアノの夕べ
(買ってきた本)
1週間前のことだけど〜
「デール先生のお話とピアノの夕べ」(島田の喫茶こもれび)に行ってきた。
デール先生は、宣教師として日本で長い間 働かれ 定年後アメリカで生活して
おられる。 ルーテル学院大学でも 教えられていた。
現在、宣教師として働かれ 国に戻ってきた方々を受け入れる老人ホームで
暮らしている。
25歳で日本に来られる前は、ピアノをやっていたのだが、その後定年まで
弾くこともなく、定年になってから ピアノを弾かれるようになったそうだ。
讃美歌をアレンジしたものを演奏して下さった。
ジャズっぽかったり、しっとり癒されるような音色だったり〜素晴らしかった♪
お話は、住んでらっしゃる老人ホームのこと。
ひとつの家族として、みんなのためにできることをして、お互いに支え合い、生き生きと
生活している様子を聞いた。
委員会が30位あり、先生は「環境保護委員会」に入っているのだそうだ。
プラカードを持って 街中に立って アピールしたりするのだと。
食事は、皆で一日に1回する。
その時、座る所は、毎回替えるんだって! 皆と仲良くするために。
日本の老人ホームのイメージとはだいぶ違う〜大きな家族、ひとつのコミュニティ
という感じだ。