2009年 2月 27日

ほたてのムニエル

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 渡辺和子講話集を近所の友人が貸してくれた。
「寝るときに聞くと、眠くなっていいよ。1年ぐらい貸してあげる!」と。
彼女は、所属している教会は違うがクリスチャンで一緒に民生委員もやった仲だ。
貸してあげようか?と聞かれてからではなかったが、きっと、私に聞かせたい、私も
喜んで聞くだろうと思って、「貸してあげる!」になったんだと思う。かといって、押し付け
がましくなく”睡眠薬がわり”にと、1年もの期間でもって貸してくれたことが、彼女の優しさ
が伝わってきて嬉しかった。


 夫がいつもタイマーをセットし、寝付くまで落語をかけているので、そのCDを聞くことが
できなくて、2〜3日 そのままになっていたが、今日アイロンかけをするとき かけてみた。
確かに眠気を誘うような声色ではあるが〜すばらしい内容だ。

君は君、我は我なり、されど仲良き』(武者小路実篤)

今日 しみじみと語りて ついに一致す 夫婦は他人ということ』 (新聞投稿歌)

などを例に出し解説しながら、

人を100パーセント理解したと思いあがらないこと
100パーセント理解されたと勘違いしないこと。
理解しつくせない寂しさに耐えていくのが愛』

と言われる。



 納得しながら聞き入った。 渡辺さんが結婚生活を経験されていたら、もっと
もっと、伝わるものがあったかもしれない。
それでも、(かれこれ35年間夫婦をやってきて、人からは仲がいい夫婦と言われるけれど)
どのことばも長い年月を経た今、確かにそうだと思える。
100パーセント理解し、理解されたくて、ぶつかっていくときも多々あるが(過去形ではなくて
・・これがまた、イチャモンつけるのはいつも私っということが、自分にも夫にも腹がたつのよね(-_-;))
完全に理解しあえないものなんだということを知っていることは救いになると思う。





投稿者: kun - 午後 12:44 | コメント | 固定リンク

2009年 2月 21日

ちらし寿司

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 きょうは、午前と午後に分けて二組のお客様があり、珍しく喫茶部♪が大賑わい。
まずコーヒーを入れ、1時間ぐらいして緑茶を入れる。
どの器がいいかなあなどと考えるのも楽しい。
それほどたくさん種類があるわけではないけど^_^;
いただきもののお菓子やキューイもきれいに並べてっと。
どちらにも花粉症の人がいたので、ティッシュの箱も必需品。
 今回は、大切な要件があって見えた方たちだったので、ちょっと気を使ったが、
そういうのではなく、誰でも 集まって のーんびりお茶など飲んで、ゆっくりできる
ような空間を作れたらいいなあ。

投稿者: kun - 午後 11:02 | コメント(2) | 固定リンク

2009年 2月 20日

おろし焼肉

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 4月になると、こちらに就職が決まっている3男が帰ってくる
末っ子が就職する年、夫は退職〜と末っ子が産まれたときから何回も言っていた。
浪人も留年もせず、父親とバトンタッチするように社会へ出て行く。
 弟が就職するよりも早く、就職したい・・・と言っていた8歳違いの兄である次男は
予想通りにならず、まだあと1年法科大学院に在籍し、その後試験を受けるだろうが
どうなるかは神様のみぞ知るところだ。
 子どもたちは、試験に合格しなかったり、就職が決まっても不安がいっぱいだったり、
様々な思いの中で生きている。親としてそのすべてを受け止め見守っていきたいと思え
ること、希望を持っていきていけることを感謝したいと思う。




わたしたちは知っているのです。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちを欺くことがありません。

 新約聖書 ローマの信徒への手紙 5:3-5


投稿者: kun - 午後 02:31 | コメント(2) | 固定リンク

2009年 2月 16日

添えるものといえば、ブロッコリー

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種をまいて芽が出ると虫に食べられ〜〜遅ればせながら 今ようやく旬のブロッコリー。


 花粉症のシーズン到来。
四半世紀も前、くしゃみ 鼻水・・・の私の症状を見て「間違いなく花粉症よ!」と知人に
言われた。 その年によっても症状の強弱は違うが、夜中に目がさめてしまうほどではないし、
薬を何回か飲めば ほとんどその季節でも症状が出ないので、自分は花粉症ではないと思う
ことにした。(*^_^*)数年前から、目がかゆくなるが 目を取り出して洗いたくなる!と花粉症
の人が言うほどかゆいわけではなく、ためた水の中で目をパチパチやれば、すっきり治る。

 重症の花粉症である息子が私の様子を見て、「お母さんも花粉症じゃん」と最近言った。
いや でも・・・・・ち ちがうと思う・・・と言葉をにごしておいた。
どちらでもいいようなことには流され、わりと融通がきく性格だと思っているが、この件に
関しては、ゆずれない(?)。そうして 何十年もやり過ごしてきたのだから。
  
 長男が3歳のころ、病院で「喘息です」と言われたことがあった。病院を出て 長男に
「 大丈夫♪ ただのかぜだよ! すぐなおるよ」と言い、ひどくなると他の病院に行った。
すると、そこでも「喘息」と言われ。結局 3箇所で同じことを言われてしまった。
 2歳のとき百日咳にかかり、治ったあとも咳をよくするようになっていた。百日咳のあと、
喘息になることも確かにあることはあると言われていた。しかし、小さな子どもが自分の
ことを「喘息もちなんだ」と思うことで いいことはひとつもないと思えたのだ。「喘息」は、
精神的なストレスなどで強く出たりすることもあるとなにかの本で読んだことがあった。
夜中に咳が出ても、息子は眠りながら、ゴホゴホやっている程度だったし。
(まだ20代の!)若い母親だった私は、「(喘息ではなく )フツーの風邪」と息子に思いこま
せ そう信じることに決めた。 喘息の薬は飲ませず、レンコン(節)汁にはちみつを混ぜた
ものを飲ませたり、水泳をさせたり、できるだけ外で遊ばせるように(当時は紫外線の害に
ついては言われてなかったので)していたら、小学校にあがるころには、なんと 咳がひどく
出ることも全くなくなった。


 この季節になると「ハックショ〜〜ン!!」と連発しながらも、自分は花粉症ではない!!と
強く 強く かたーく 信じていたら、その症状はどうなっていくのか?
子どものことでは、あのころ必死だったが、自分のことだと まるで 人体実験しているようで
面白いとさえ思っている。



投稿者: kun - 午前 11:42 | コメント | 固定リンク

2009年 2月 10日

さくらえびとネギのかき揚げ

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先月のブログで、福祉村の会計をやることになったと、(会計にふさわしくない)
大雑把な書き方をしてしまったので、少し詳しく書いてみることに。

 通称 ”福祉村”は、デンマーク牧場福祉会と言う。
ここ東海地区のルーテル教会が構想を練り、造ったものだ。
こんな素晴らしい施設ができたことは、私達の信仰が形になったという意味でも嬉しいことだ。
自分がこの世で生きているときに、しかも自分が住む駿遠地区にできたことは、ラッキーだった。
と〜こういう思いはずっとあったが、中心になっていた「福祉村設立委員会」のまわりで、
(離れたところで)フレーフレーッと旗を振っていた応援団のひとりだった。


それが、「はい、そこのおばさん、のほほんと小旗を振ってないで、
もうちょっと大きい旗を持って!」と言われたようなもの。
 私がやることになったのは、「福祉村設立委員会」の会計。 
借入し、残っている返済金がまだ1億強もある。
あと15年かけて、返していく予定だ。


その募金の窓口係になって、1ヵ月たった。 
計算はエクセルを使いこなし、移し間違えがないように気をつければ、幸い 難なくできる。
大変なことは他にあるのかもしれない・・・
今年は昨年までの倍近い970万円を募金により返済することになっている。 
わりとのめりこむタイプだから、”福祉村”がお金のかたまりに見えてきたりして!!(-_-;)
「募金を!募金を!」と旗がちぎれてしまうのも気づかずに旗を振り回してしまいそう〜
そうならないようにするには、どうしたらいいんだろうと思いながら、
今日は初めて作った1月の会計報告書と貸借対照法表を持って、
福祉村設立委員会に出席する。


投稿者: kun - 午前 10:10 | コメント(4) | 固定リンク

2009年 2月 09日

ホウレンソウ入りポテトのチーズとじ

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 昨日 畑仕事をしていた夫に、なにか生き物がいたら つかまえて♪と頼んでおいた。
1歳4ヶ月のケンに見せたかったのだ。
すぐに、テントウムシが見つかった! ケンの大好きな絵本「かまきりのちょん」にテントウムシは
登場するので、絵では知っている。 絵と少し色合いが違うし、なんといっても動くわけだから、
本と結びつかなかったかもしれないが、興味深そうに動きを見たり 恐々そっと触ったり〜最後には
その小さな指先から のったテントウムシが、自由に腕のほうにまで動き回るのを見ていられるように
なった。そのころにはテントウムシは、だいぶ傷を負ってしまったようなので、解放。
 次にミミズ! いきなり地上に引っ張り出されたミミズはイキがよく、動きまわっていた。
ケンが触るとますますはねまわる。近くにいた息子(パパ)が、「食べるんじゃないだろうね・・・食べられない
からね」と心配気に見ていた。その矢先、ケンはつまんで口に持っていこうとした! 
私の方が息子よりも近くにいて、あわてて それを止めようとしたのだが、タッチの差で息子の手がそれを
止めた。ケンにはミミズが麺類に見えたらしい。そのことも面白かったが、息子の素早さがおかしいやら、
感動するやら〜親をやってるなあ、親なんだなあと。 今日は昨日とはうってかわって静かな家で時々
思い出し笑いをしている。


投稿者: kun - 午後 04:39 | コメント | 固定リンク

2009年 2月 07日

みぞれチキン

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大根菜は炒めて、だいこんおろしに混ぜる。


 昨日の自分のブログを読んで恥ずかしくなった。
2馬力の家庭に比べれば、経済的には豊かではなかったかもしれない。
しかし、次々に大学に進学し、二人が同時にということもあったが、お金がなくて困った
と思うこともなかった。貧しくなかったわけではないけれど。
「もし 仕事(小学校教員)を続けていられたら」なんて 考えるのは全く無意味ってもの。
仕事を続けても、いい先生と言われるようにはなれなかったかもしれないというのに。
 私は子育てが好きだったから、専念できたことは幸せだった。4人の子供に恵まれ
本当に楽しかった。ひたすら感謝 感謝♪

投稿者: kun - 午後 12:59 | コメント(2) | 固定リンク

2009年 2月 06日

子メロンのぬか漬け

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 掛川道の駅で買ってきた子メロン。一本のツルに一個のメロンを残して、摘果したもの(だと思う)。
瓜の仲間だから ぬか漬けにしてみたら!と言われてやってみると、これがなかなか美味。


 道の駅でいっしょに買ってきたぎんなんを封筒に入れ、レンジで焼き 皮をむいて
塩をつけ、夜 5個ぐらい食べた。
それが原因かもしれないと思うのだが〜夜中に目がさめ なかなか寝付けずそのまま朝に
なってしまった。
 朝、そのことを夫に話すと「きょうはケンが来るから、それに備えて(睡眠をとるように)寝ていれば」
と優しい言葉♪  慣れない育児と仕事と家事との三立(?)に神経をすり減らし悪戦苦闘していたころ、
今のような心遣いができて、もっと協力してくれていたら、私は仕事を続けていられたかもしれない・・・・
うらみがましく考えてしまう。タチが悪い。(>私)
優しくすればしたで、昔のそのまた昔のまだお互いに本当にわかりあえていなかった頃のことを
持ち出されたら、夫にしてみれば どーすることもアイキャンノット(古っ!!)ってもんだわ。。。
まずは この思いを封印して、「ありがとう! でも そうもいかない」と朝ごはんのしたくにとりかかった
のだった。(-_-;)



投稿者: kun - 午前 08:54 | コメント | 固定リンク

2009年 2月 05日

豚肉と野菜の酢炒め


お肉が柔らかくなるように、酢を入れた。





 胃の定期検診に行った。
検査の前の問診「お母さんが胃がんでしたね」前のデータを見て 医師が確認する。
体質は似るんだろうから〜急に不安になりながら・・「なにか 変わったことはありませんか?」
の質問に 明るく「なにもありません」と答えた。
検査が終わって、まもなく結果を聞く。待ち時間に考えた。
もし ガンが見つかったら、家に帰ってなにしようか?と。
”明日が最後の日でも 今日リンゴの木を植える”と言ったのは、ルターだ。
(私達の教会はルターの流れをくんでいる。) 私も、いつもどおり 夕食の準備をするのかな。
おいしいものができるんだろうか? 塩と砂糖を間違えてしまうかもしれない。
検診で、自覚症状もなしに突然 母は胃がんと言われたのだ。一瞬先のことも、人間が決められる
ことはないんだなあと改めて思わされる。こういう時こそ、祈る。
絶体絶命のとき、人間は ”わら”にでもすがろうとするものだろう。
クリスチャンが祈る神様は、どんなときでも 共に歩んでくださると約束してくれている神様なのだ。 
”わら”みたいなチャチなもんじゃない。
結果「変なものはないようです」ということでほっとしたが、ガンが見つかり治療されている人達のことを
思った。いつ私が(あなたも)そういう立場になっても不思議ではない 紙一重のところで生かされている。
藤枝の教会に以前いらした牧師も 闘病中。←(読みたい方はクリックしてください。)
 

投稿者: kun - 午後 01:36 | コメント(6) | 固定リンク