2009年 2月 05日

豚肉と野菜の酢炒め


お肉が柔らかくなるように、酢を入れた。





 胃の定期検診に行った。
検査の前の問診「お母さんが胃がんでしたね」前のデータを見て 医師が確認する。
体質は似るんだろうから〜急に不安になりながら・・「なにか 変わったことはありませんか?」
の質問に 明るく「なにもありません」と答えた。
検査が終わって、まもなく結果を聞く。待ち時間に考えた。
もし ガンが見つかったら、家に帰ってなにしようか?と。
”明日が最後の日でも 今日リンゴの木を植える”と言ったのは、ルターだ。
(私達の教会はルターの流れをくんでいる。) 私も、いつもどおり 夕食の準備をするのかな。
おいしいものができるんだろうか? 塩と砂糖を間違えてしまうかもしれない。
検診で、自覚症状もなしに突然 母は胃がんと言われたのだ。一瞬先のことも、人間が決められる
ことはないんだなあと改めて思わされる。こういう時こそ、祈る。
絶体絶命のとき、人間は ”わら”にでもすがろうとするものだろう。
クリスチャンが祈る神様は、どんなときでも 共に歩んでくださると約束してくれている神様なのだ。 
”わら”みたいなチャチなもんじゃない。
結果「変なものはないようです」ということでほっとしたが、ガンが見つかり治療されている人達のことを
思った。いつ私が(あなたも)そういう立場になっても不思議ではない 紙一重のところで生かされている。
藤枝の教会に以前いらした牧師も 闘病中。←(読みたい方はクリックしてください。)
 

投稿者: kun - 午後 01:36 | カテゴリ: 肉類 野菜おかず
コメント

kerokotan:

そうなんです、普段は無神論ですが、いざとなってすがるのが神では
こまります。日本人は平気で私は無心論者ですと言う、なんでこうなったんでしょうか。
(2009年 2月 05日 午後 06:26)

kun:

kerokotanさん

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」
と言う年齢にならないうちに(コヘレトの言葉12.1)

↑聖書の中に こんな言葉があります。
”いざとなって”からでないとわからないものなのかもしれませんが、
なんでも自分でできるというおごりを捨て、長い歴史を経ても 
残されている言葉に耳を傾けてみようとする謙虚さが必要なんでしょうね。
(2009年 2月 06日 午前 08:09)

kerokotan:

ありがとうございます。いつも。
(2009年 2月 06日 午前 10:54)

kun:

こちらこそ!
コメント嬉しかったです。
(2009年 2月 07日 午前 08:03)

ひろゆき:

ご無沙汰しています。
こちらは日曜日ごとに雪(!?)
大変でございます。

さて、以前藤枝におられた牧師。
今日、退院されました。
少し体調を整えて、春には復帰です。
(2009年 2月 09日 午後 02:37)

kun:

ひろゆきさん

こちらこそ ご無沙汰しています。
子供さんたち 順調に成長されていて楽しみですね♪
そちら さぞ寒いことでしょうね!
>日曜日ごとに雪(!?)
最後の(!?)には なにか意味が
深いものがあるんですか?^_^;

退院されて ほんとに良かったですね!!!
\(^o^)/
(2009年 2月 09日 午後 04:17)