2007年 1月 20日

大根のピリカラごま油炒め煮




 実家の近くの畑で、じゃがいもを植えるために夫が畝を作り 私がその周りの草取りをしていたら、幼友達のN君が通りかかり 声をかけてくれた。
幼い頃のいろいろなことや元家族のことなど、顔を見ただけでお互いにわかっているから 話していると過去に戻され 懐かしさでいっぱいになる。
実際は、これまでのことのほとんどのことはわかっていないんだけど。
横から「もう 終わりにしよう」と夫が言っているのに、手を休めずに草取りをしていると、「止めようって 言ってるよ〜そんな 植物をいじめないほうがいいよ」と言うので大笑いしてしまった。
「またねっ」と別れたけど、今度会うのは 何年後だか・・・・元気でいてほしい。
 ソフトボールのチームメイトとして 長い付き合いだった大切な友達が昨日亡くなった。
「祈っていてね」「うん 祈ってるから」という会話が私たちの間では、自然にあった。
彼女はクリスチャンではないけれど、クリスチャンの私には 祈ってほしいと思っていることは痛いほど伝わっていた。
「希望を持とうぜ!(・・・略)」のメールに
「歩いている夢をみるよ。私なりに がんばるぞ!(・・・略)」というメールが最期になった。
苦しむことなく 楽に逝けてよかったと年老いたお母さんが気丈に話していた。
そのことは 救いだったけれど・・寂しくて悲しくて 思うたびに涙が出てしまう。




投稿者: kun - 午後 08:30 | カテゴリ: 野菜おかず
コメント

うとうと:

くんちゃん おはよう♪
Yさんは知らないけど 8月のブログも読んで こみ上げてきた。

一緒にキャッチボールして、走って、喜んで、悔しがって、笑って、飲んで、話して、歌って・・・
家族とも違う 気心の知れた 仲間達がいて 幸せだったと思う。
さらに くんちゃんといたことが 心強かったと 思うよ。
くんちゃんの『祈ってるよ』は ほんと 落ち着くもん。

『千の風になって』

沁みてくるね。
きっと 一緒にキャッチボールして、走って、喜んで、悔しがって、笑って、飲んで、歌って・・・
一緒にいると思う。

すぐ 忘れちゃうんだけど
『丁寧に生きよ』っと
『ありがとう、ごめんなさい・・・』言おうと思ってたのにってことがないようにしよぉっと

今日の『野の花だより』に出合えたことに 感謝。
くんちゃん ありがとうね (^_-)-☆
(2007年 1月 21日 午前 11:01)

kun:

うとちゃん
読んでいただいて ありがとう!
あたたかいことばも・・嬉しいです。
こちらこそ ありがとね。

お通夜には、驚くほどたくさんの人たちが集まっていました。
同年代の人には好かれ、若い人たちからは慕われる ほんとにいい人柄だったことをあらためて 思わされます。

>『丁寧に生きよ』っと
そうね・・
この世の生活は いつ終わるかわからないし。
まだ まだ 生きられる気がしていても、保証はひとつもないものだものね。
(2007年 1月 21日 午後 10:19)

zuzu:

私も丁寧に生きるぞ。
 何で、そんないい方が亡くなっちゃうんだろう。本当に悔しいですね。
 
(2007年 1月 23日 午後 07:05)

kun:

zuzuちゃん
なんのために・・?誰のために・・?
と問いかけることが 丁寧に生きることにつながっていくと思います。

彼女は、ある意味いつも全力で生きた人でしたから、”ハナマルだったよ!”とVサインを送りたい気持ちもあります。
残されたご家族の寂しさを思うと、ほんとにつらいです。
(2007年 1月 24日 午前 07:52)

YAMADA:

kunちゃん、こんちゃあ♪
ソフトボールの仲間が永眠されたんですね。
ご冥福をお祈りいたします。
我が家も同居の妻の父がいなくなり、
静かな毎日です。妻は毎日仏前に
食事を一人分御供えしています。
一人一人の思い出というのは、
みな違っていて大切なものですね。

大根のピリ辛炒め、美味しそうです♪
お酒の肴に合いそうですね。でも、年と共に
辛いものを食べると汗が出て苦手になって
います。汗腺が詰まって、細胞が死んで
いるのかしら? 年々トホホです。
やっと初山行をしました。ブログにアップ中です♪
(2007年 1月 24日 午前 10:43)

kun:

YAMADAさん
これまで そばに自然にいた人がいなくなることは、ほんとに寂しいことですね。
奥様の悲しみがわかります。
私の父も亡くなり7年たちましたが、今でも 無性に声が聞きたくなったり 抱きついたりしたくなります。
友人のご主人は、8歳上の人ですので まさか自分が残されるとは思ってもみなかったことで・・ ひとりになったこれからのことが心配です。
(2007年 1月 24日 午後 08:22)