2009年 2月 27日
ほたてのムニエル
渡辺和子講話集を近所の友人が貸してくれた。
「寝るときに聞くと、眠くなっていいよ。1年ぐらい貸してあげる!」と。
彼女は、所属している教会は違うがクリスチャンで一緒に民生委員もやった仲だ。
貸してあげようか?と聞かれてからではなかったが、きっと、私に聞かせたい、私も
喜んで聞くだろうと思って、「貸してあげる!」になったんだと思う。かといって、押し付け
がましくなく”睡眠薬がわり”にと、1年もの期間でもって貸してくれたことが、彼女の優しさ
が伝わってきて嬉しかった。
夫がいつもタイマーをセットし、寝付くまで落語をかけているので、そのCDを聞くことが
できなくて、2〜3日 そのままになっていたが、今日アイロンかけをするとき かけてみた。
確かに眠気を誘うような声色ではあるが〜すばらしい内容だ。
『君は君、我は我なり、されど仲良き』(武者小路実篤)
『今日 しみじみと語りて ついに一致す 夫婦は他人ということ』 (新聞投稿歌)
などを例に出し解説しながら、
『人を100パーセント理解したと思いあがらないこと、
100パーセント理解されたと勘違いしないこと。
理解しつくせない寂しさに耐えていくのが愛』
と言われる。
納得しながら聞き入った。 渡辺さんが結婚生活を経験されていたら、もっと
もっと、伝わるものがあったかもしれない。
それでも、(かれこれ35年間夫婦をやってきて、人からは仲がいい夫婦と言われるけれど)
どのことばも長い年月を経た今、確かにそうだと思える。
100パーセント理解し、理解されたくて、ぶつかっていくときも多々あるが(過去形ではなくて
・・これがまた、イチャモンつけるのはいつも私っということが、自分にも夫にも腹がたつのよね(-_-;))
完全に理解しあえないものなんだということを知っていることは救いになると思う。
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