2007年 11月 08日

ナスと大根菜のごま味噌炒め煮


残りもののさつまあげもを最後にいれて。



 母の畑で採れたナス。
「親の意見と茄子の花は、千にひとつの無駄がない」
母がよく言う。
ナスは、咲いた花の数だけ 実もなる。
このことわざは、(ナスの花のようにムダのない)親の意見を
よく聞きなさい!ということのようだ。
母は、未だに私に言うけど、私はたぶん1回も 子供達に言ったことがない。
 どうして母はいつもそのことわざを引っ張り出してくるのか?
(ナスの実がよくなることを教えようとしているわけではないのよね)
私はどうして言わないのか?
これをテーマにしたら、ちょっとした論文が書けそうだ。
子育ての方針・性格・人生観の相違・・なあんて、単元ができるかな?
母とはいろいろ話しているようで、深いところまで実際には聞いてなかったかも。
今度からは、丁寧に心理を探ってみよう!
いえ 論文は書くわけないけど・・って わかってるか。(^^;;;









投稿者: kun - 午後 03:14 | カテゴリ: 魚介類 野菜おかず
コメント

よしひろ:

ナスのことは知りませんが
花の数だけ実を付けるとは
痩せた実もあるのでしょうね
全ての実は完全ではない
良い実も悪い実もあることでしょう

完全で無いのが悪いのでは無く
小さな実も真面目で正直で
あることが大切ではないかと
変なことを考えてます

なすの幹が間違っていても
真面目に真剣に愛情たっぷりに
実をつけたなら
食べた人は感謝して
その愛情を感じるでしょうね

変なコメント・・ごめんなさい
明日からジャスパーへ行ってきます
(2007年 11月 09日 午後 12:45)

kun:

よしひろさん
そうです〜痩せて小さい実もあります!
親の意見は、すべて いつも子供のことを思ってのものであり、
子供のためになることだという意味なんでしょうね。
そのことわざを親が言うのはどういうことなのかが どうもわかりません。
特に大人になってからは、親の意見は ほとんど聞かない娘で なんでも自分で決めてしまうので、きっと 母は聞いてもらいたいんでしょうね。
私は、子供達は自分で考えて自分で決めてくれていいと思っています。
でも 決める前に相談しあえる家族のほうが本当は いいのかもしれませんね・・
(2007年 11月 09日 午後 03:58)

よしひろ:

私も昔は何もかも自分で決めてしまった人間です。
私は子供と何時も一緒に友達のような気持ちで話していました。私も負けてませんでしたが何時も議論してました。そんな議論を非常に楽しんでました。それと子育てとは育てる以上に子供から多くを学びました。

今息子は同じように子供から多くを学んでいるようで息子が成長しているなぁ・・と見ています。
(2007年 11月 10日 午前 12:59)

くん:

よしひろさん
議論を楽しむ・・・って いいですね!
なかなか できそうでできないことだと思います。
どうしても感情的になりがちです〜特に家族だと。
子供にだと、上からお説教的に 押し付けのようにもなることが ありますし。
そうならず じょうずに議論しあえれば、きっと楽しいことと思います。
今 息子が家にいるので、ニュースなどを話題にして いろいろ 言い合うことがあります。
大人になった子供との議論ともよべないような日常的な会話は 楽しんでいます。
私達の親の世代とは・・・性格にもよりますが、なかなか意見を言いあうのは 難しいですね。
(2007年 11月 10日 午前 07:32)