2011年 11月 18日
春雨サラダ弁当
ここ10年ぐらい じわじわと体重は増えていたが、今年の夏
めまいと吐き気で4食 食べられなくて 2キロ減った。
体重が減るということは、全く このところ 経験してなかったの
で、嬉しくて 人に話すと「そういうときの体重減は すぐ戻るよ」
と言われ。(チェッ)
増やしてなるものか〜と、その後、食べ過ぎないように!
ゆっくり 野菜から よくかんで!ウォーキングもして!と
気をつけていたら、さらに 少しずつ3ヶ月ぐらいで、2.5キロ
減った♪
ウエストも5センチほど 減り、洋服を着た時 横向きの姿を
鏡に映してみるのが 苦痛でなくなってきている(^^ゞ
減り過ぎか!? どこか悪い所があるのかしら?とちょっと
心配になったりするが、元気だから大丈夫だと思う。
2011年 11月 16日
ベーコンと野菜炒め弁当
タンスの引き出しの片付けをしていたら、義母が意識がなくて
病院に運ばれたと電話があった。
「取るものもとりあえず駆けつける」という言い方があるが、まさにぴったり。
タンスから出した洋服をたたみ直し、整理しながら入れていたその時
だったので、タンスの引き出しは開けたまま 持っていた洋服をばさっと
下に置き 散らかっていた服もそのままで駆けつけた。
数時間して意識は少し戻ってきたが、こちらの質問に対し、首をふったり
うなづいたりするだけで、言葉が出てこなかった。
駆けつけた弟とも 会話できずにいたころ、夫が仕事を早退してきた。
夫の声掛けに(あまり見えていない様子だったが)目をあけた。
「なにか 欲しいものはあるかね? なんでも 買ってあげるよ!
金のネックレスがいいかね? それとも ダイヤの指輪かね?」
「いらない」 義母が一言 言った。
言葉がしゃべれた!!と 看護師さんにも 連絡。
「なにをしゃべったんですか?」と言われたので、そのいきさつを話すと大受け
だった。
帰りに 入院しているクロに会ってきた。
お医者さんと話しながら、クロをなでていたら、少しして お医者さんが視界から
消えたので 続けて しばらく クロのあちこちをなでていた。
もう 帰らなきゃと立ち上がると 後にお医者さんが立って 待っていてくれた。
他の仕事をするために場をはずされたとばかり思って、長々 クロと遊んでいたのに
申し訳ないやら 驚くやらだった。獣医さんは いつも対応が丁寧で感心する。
2011年 11月 14日
野菜かき揚げ弁当
クロ(犬)のコブのレーザー治療のあと、コブは小さくなってきているが
膿をもち、少しのことで切れ 血の混じった膿がでるようになってしまった。
このままだといいことないので〜コブを取る手術をすることになり 再入院。
歳が歳なので、点滴 輸血で体力をつけてからということになった。
皮膚が縫えないような場合 断脚もあるということだ。
前の犬は、病院にかからず 13歳半ぐらいで亡くなった。
自然死に近い状態で 動物の死に方として 私たち夫婦のポリシーに合った
最期だった。
子供たちは、そういう方法に対し、意見を言うような年齢でもなかった。
クロの病気は、外から見えるので ほっておけず、病院にかかっているが、
もう認知症のようなぼんやりしたところもあるのに、痛い思いをさせ、医療の力で
生き長らえさせておくことが クロにとって幸せなことなのかどうかわからない。
といっても、細くなった生を止めることもできないわけで〜お医者さんにお任せ
するしかない。
2011年 11月 11日
里芋の煮物弁当
クロが、貧血もだいぶ改善し、元気を取り戻したかに見えたので、
入院中にレーザー治療が始まり、今週も月曜日にレーザー治療した。
すると、コブができているほうの足がひどく腫れあがり、 下につけ
なくなった。3本の足でぎこちなく歩く・・
散歩も遠くまで行きたがらなくなった。
火曜日に抗生物質・止血剤を注射。 包帯をゆるくしてくれた。
ここ数日は、ぼんやりして うつむいていることが多い。
食欲は元気なときの半分ぐらい。 散歩も家の周りだけ。
食べることと散歩が大好きで 年がいもなくいたずら好きのクロの
元気だった姿を思い出すと、あまりの変わりように切なくなる。
この2週間で 一気に 下り坂をころがるように歳をとってしまった。
15歳5ヵ月。
検診しても コブ以外はどこも悪い所がないと言われていた。
20歳までも 生きられそうな気がしていたのに・・悲しい。
2011年 11月 10日
お寿司弁当
今を第一に考えたい。
過ぎたことを考えて、嘆いたり 悔しく思ったり悲しんだりする傾向を
なんとかしたいものだ・・・と思うことウン十年(-_-;)
先のほうが短いんだから、今を大切にしなくては! といよいよ
切羽詰まって思う。
同窓会で 私が作った替え歌を皆で歌った。
難病と闘っている、幼友達であり親戚でもある同窓生が、家に帰って
ご主人に歌って聞かせたと 電話口で言っていた。
ご主人が 同窓会に行ってこい!と背中を押してくれたのだ。
病気のため 小さな声しか出ない・・・・
きっと そばで ほほ笑んで 聞いてくれただろう。
その光景を想像して 嬉しかった。
「思い出のアルバムのメロディで」
一、いつのことだか 思い出してごらん
あんなこと こんなことあったでしょう
石けりに メンコ ビー玉に 陣取り
暗くなるまで 遊んでた
二、いつのことだか 思い出してごらん
あんなこと こんなことあったでしょう
けんかして 泣いて 次の日には笑って
クラス替えなし 六年間
三、6年間を思い出して ごらん
あんなこと こんなことあったでしょう
山や川 たんぼ 道路も遊び場
いつになっても 忘れない
四、60年を 思い出してごらん
あんなこと こんなことあったでしょう
やなことは かなたへ キラキラ思い出
共に 還暦 60代
2011年 11月 08日
肉じゃが弁当
ブログの更新が滞っている間に、義母が大腿骨骨折で入院、その後退院。
並べて書いては申し訳ないが、クロ(犬)が 足にできた(良性の)コブが切れ
出血多量による貧血で入院し3日目に退院した。その後、週2回のコブの
レーザー治療のための通院となった。
夫は、風邪で寝こむことなど 記憶にないほどの人だったが、発熱で3日も
仕事を休んだ。
私も風邪をひいたが、「予定していたことが終わるまで絶対寝こまない」
と自分に言い聞かせ、薬を飲み熱を計るのはやめた。
3日には早朝名古屋に向かい 一日のイベントを終え夜帰宅。
5日 6日は、同窓会で〜〜5日の夜も 風邪薬を飲んだ。
昨日、明日は仕事で、そのあと 倒れる予定だったが。
寝そべって 本を読むことができそうな まずまずの体調だ。
2011年 11月 06日
ごまししゃも弁当
小学校のときの同窓会が泊りで行われた。
出席率は、67パーセント♪
一クラスしかなかったので、六年間 クラス替えなし。
地元に残っている人たちと違い、日ごろ ほとんど接点がないが、
何十年ぶりかの再会でも、すぐに打ち解けて、ちゃんづけで呼び合える。
司会だったので、少し気を使ったが・・・先生が「楽しかった!!」と
言って下さったので、それだけでもよかったなあと思う。
旧姓で出席簿を作っていき、先生に、昔を思い出しながら 名前を
呼んでいただき 出席をとってもらったり、「学級会」を開いたりした。(笑)
テーマは、「老年期をどう生きるか」
人生の先輩である先生に、まず発題をしていただいた。
(これは、前日 先生に電話でお話しておいた。)
思いがけない発言があったり、脱線したり イメージ通りには いかなかったが、
それもまた 面白かったかな。
そのほかゲームの準備もしていったが、時間になってしまって、ビンゴしか
できなかったので、次回 やることにしよう。
同級生で、このHPを覗いてくれている人が、「このごろ更新がないので
心配していた」〜〜と言ってくれて、嬉し&反省。
ごめんなさい。
2011年 10月 07日
いろいろ野菜煮物弁当
人の言葉の端々を気にして深く考えると沈む。
やがて 時がたてば、つらいことも 懐かしい思い出となる・・・かな?
動画で 聖書の話を聴いていたら、ニューヨーク市立 リハビリテーション病院の壁に
はってある詩を紹介していた。
聞いたことがあった詩だったので、ネットで調べてみた。
しみじみ読んでみると、心に 柔らかな風が通り、鬱々していたものが抜けていった。
「苦難にある者たちの告白」
−ある患者の詩−
大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
(訳者不明)
2011年 9月 30日
インゲンとさつま揚げの煮物弁当
だいぶ秋らしくなってきているが、9月も暑かった。
今日は孫の4歳の誕生日。
本を読んだり ロボットで遊んだり。
膝にのってくる。
重くなった・・・
頭や背中をなでていると、おばあちゃんやおじいちゃんたちが
うちの子供たちを 同じように していたことを思い出す。
しんどいことも多かった中で、嬉しいこともあった9月だった!
家を離れている息子と娘に会い、一緒に食事をした。
特に東京で暮らしている娘とは久しぶり。
東京も名古屋も 私の中では「遠い!」と思いこんでしまっている
ところがあるけれど、行ってみれば たいして遠くないと感じた。
2011年 9月 21日
中華飯弁当
台風15号が直撃。
台風が近づいてきたころ、孫の家に用事があって行き すぐ帰ろうとすると
「もう 帰っちゃうの?! 一緒に行く!!」と ベソをかき、ついてきた。
本、パズル、クレヨン、はさみ、ボール 次々にいろいろ引っ張り出して 遊び、
にぎやか にぎやか!
夕方 雨がやんだので、強い風の中 散歩がてら 送っていった。
台風も 豆台風も去ったあとは〜虫の声だけが聞こえ。
2メートルぐらいに大きくなっていたデュランタ、ブーゲンビリアが倒れている。