2012年 3月 27日
大根とツナサラダ弁当
「ここから 富士山がすごくきれいに大きく見えるんだけど」
と富士で美味しいランチのお店に案内してくれた友人。その日は、あいにく雨だった。
先週 義母の入院している病院で桃祭りが行われた。
富士山がいつもなら 遠くによく見えるのに この日は雨は降っていなかったが雲で
覆われていた。
5階の窓際に車椅子を止めて 見えないねぇと眺めていたが義母は、それほど残念な
様子でもない。
ここらあたりに住む者にとって 富士山は その時見えなくても、また見たければ
いつでも 見られる 身近のものだ。
過去大きな地震のあと、富士山は噴火したというから、東海大地震が起きたら 噴火
するのかもしれない。
息子の就職先は、浜岡原発から1.5キロぐらいの所らしい。
東海大地震が起きたら・・・と今 誰でも考えるのがフツーだ。
高台なので津波で流される危険性はほとんどないかと思うが、原発が心配だ。
「浜岡原発は大丈夫だよ」と上司になる人が言ったというが
「なにを根拠にそんなこと言ってるんだか」と息子は呆れていた。
「そう思わなければ そんなところで生活できないかもね」と私。
明日のことは誰にもわからないけれど 人間の知恵で予想してみれば、不安はあるの
だから、なんとしても浜岡原発を廃炉にしてもらわなくては困る。
富士山の噴火を止めることはできなくても、原発の再稼働を止めることは 皆の力で
できると信じたい。
2012年 3月 26日
ねぎの肉巻き弁当
近くの中学校の前を通ると女子テニス部が練習していた。
「ナイスゥ!」
「ドンマ〜イ」
私語もなく 坦々とボールを追いかけている。
「ボール拾って コート代えてェ」
キャプテンらしき子が言うと
「はーい」と声をそろえて 返事。
「こんにちはぁ」
すぐ横の道を通るクロを連れた私に気付いて 誰かが言うと
次々にみんなで
「こんにちはぁ」
もうすぐ 新入生が入ってきて 雰囲気がまた 違ってくるんだろう。
10年ほど前 ここの男子テニス部だった息子は、新しい歩みを始めようと
している。
2012年 3月 23日
ほうれんそうソテイ弁当
自分の顔を鏡で丁寧に見ることがなくなってきているこのごろだが、危機を
感じて しげしげ 見つめた。
スルガエレガント(甘夏)を上を向いて 背伸びしながら 採っているとき、
鼻の上に甘夏がどしんと落ちてきたのだ。
その痛いことったら! しばらく鼻を押さえて 涙ポロポロ。
そして また その日、家の壁の角で 口をぶつけた。
どんだけ にぶくなってるのか・・・
突然の衝撃〜〜〜 鏡を見ると 鼻は赤くなっていて 口元は腫れてしまって
いた。 痛い日だった。(やれやれ 涙)
2012年 3月 19日
菜花弁当
クロと郵便局に行った。
入口付近に 紐をゆわえて 待たせておいた。
「おとなしくて えらいねえ」と どこかのおばさんにほめられた。
その後、銀行に行き、用事が終わって 帰ろうとしていたら
一歳ぐらいの赤ちゃんが クロに興味津津。
「触らしてもらっていいですか?」とママ。
「うちにも孫がいて 背中に乗ったりして〜小さな子に慣れているから 大丈夫よ」
と言うと、ちっちゃなかわいい手で ニコニコしながら 触ってきた。
その赤ちゃん 生まれて初めての体験だったのだそうだ。
生まれて初めて触った犬がクロだったとは、なんと光栄なこと!
お礼に 赤ちゃんの頭をなでなでした。
いつも車で行ってしまう所だけれど、歩いて しかもクロを連れていると
いいことあるね、クロ(^_-)-☆
2012年 3月 17日
ちらし寿司弁当
前夜 お寿司だと次の日のお弁当は、こうなる。
数えてみると最後に書いてから10日目。
ほっておくと1ヵ月ぐらいあっという間にたちそう・・・(~_~;)
次男夫婦が先週土・日滞在。
静大法科大学院で講義を頼まれたのだそうだ。
来て、嫁から聞くまで 知らなかった・・・ま・息子なんて こんなもの!? ・・
というか・・娘のことも 今では 知らないことだらけ?・・(はぁ)
長男の家族もよんで
「これで お姉ちゃんがいればいいんだけど」と言いながらも、愉しくにぎやかに団欒。
夕食のメインは手巻き寿司。
準備をほどほどに手伝ってもらうことも仲良くなる道だと思うので
春巻きは、具を私が作り 嫁二人と孫娘に包んでもらい、揚げてもらった、漬けておいた鶏肉もついでに。
食事前後は、ふうせんやビーチボール、だるまおとしなどを使って、ケンを中心に
昔 遊んだように 遊ばせ 遊ぶ子供たち♪
長男も次男も、夫婦でいるときには ふたりでキャッチボールやビーチボールなどで遊んでいるのを
見ると、そういうDNAは受け継がれているなあと可笑しくなる。
結局 ケンは次男たちが帰った次の日も来て、昨日もきたので ここ1週間で4日 来ている。
今 ケンが喜んでみている本は、”バムとケロ シリーズ”(島田ゆか作)
ブームを起こしたのは私(^_^;)〜まとめて 5冊ネット購入し、何日かにわけて 小出しにしている。
新しい本を後に隠し持ち、「ジャジャジャ〜〜〜ン」とちょとずつ 見せたり、隠したりすると
ケンはとびきりの笑顔になる。 その無邪気な顔を見るだけで幸せ♪
(ばばばか 全開で すみません)
(寝付けなくて、)朝 起きるとき、「今日は 昼寝しなきゃ持たないな」と
思った日は一日だけあったが、昼ごろになったら 元気になった。
その(眠れなかった)日は、ホワイトディだったので、孫娘の所にチョコのお返しを
持っていって、そのまま 散策を始めた。
よその家の庭を眺めたり、いろいろ思いながら歩いていると、「ここはどこ?」と思うような
所にまで 行ってしまい〜途中コートとセーターを脱ぎ、足にはマメ!〜ようやく 家にたどり着く
と2時間たっていた。疲れすぎだったか!?
そんなこんなの9日間。
花の手入れ 草取りもたくさんした。
義母のところにも行った。
そういえば〜「戦火の馬」を セノバの9階で観た。
読んでいる本は
「雨降りの心理学」〜雨が心を動かす時〜藤掛明著
これが とっても面白い☆
三男にも勧めたりしたくらい。
そうそう 今度の女性会の聖書の学びの当番になっていて、その箇所は創世記なので
珍しく 通して じっくり読んだりもした。
2012年 3月 07日
鯖の味噌煮弁当
「お父さんがちっとも来てくれない」
と亡くなって10年たつ夫(義父)が、まだ生きていると錯覚している義母。
「この小さな子が離れなくて・・」と 子供が困らせているかのように顔を
しかめたりもする。
あまり気がむかなそうな義母を車椅子に乗せ、病室を出た。
昨日 静岡は日本中で一番の暖かさだったそうだ。
リハビリ室で ぬりえやパズルをやっている人たちを見たあと 廊下に出て
「○○子も リハビリの先生なんだよ」と義母に言うと
「え〜〜っ ○○ちゃんが??」と 驚く。
義母の中で、孫の○○子は、何歳なんだろう?
初孫である○○子の就職を喜んでいたあの頃は、孫たち全員の誕生日を
覚えていて お祝いをくれたものだった。
時がたち、そんな義母にも 老いがきて 記憶は混乱状態。
廊下の絵や、玄関付近に飾ってあるお雛様を観た。
お雛様の顔をながめ 「口元がかわいいねぇ」と義母。
外に出ると 暖かい風♪
もうすぐ 桃の花が咲くね!
菜の花が咲いている!
チューリップがのびているね。
義母と過ごす時間は ゆっくり流れる。
部屋に戻っての第一声は
「そろそろ家に帰ろうか」・・・・
ちょうどその時、看護師さんがおやつを持ってきてくれた。
「あんたたちの分がないね」と申し訳ながる。
「優しいね・・いつも私たちのことも気にしてくれるんですよ!」と
看護師さん。
先生と相談し、これから、義母も リハビリを受けてもらうことになった。
2012年 3月 05日
ハンバーグ弁当
発信したくて始めたHPだった。
ブラインドタッチを学ぶ前にHPの作り方を覚え、文章を打てればそれで
いいと思っていたので 全くの自己流の指使い。
文章は考えながらだから、そんな早く打てなくても良かった。
最近 にわかにブラインドタッチを練習したくなり 始めた。
サラサラと軽やかに打っている姿は 優雅でかっこいいなと思って。
私ときたら、FとJのところにひっかかりができていることを、なんと初めて知った!
へぇ〜〜って感じ。(^_^;)
変な癖がついているのでなかなか大変だ。
覚えも悪くなっている。 3日続けて しばらく休み また始めて すぐに
嫌になり・・・なんともはや・・一年後は少しましになっているといいな。
2012年 2月 27日
大豆ごま揚げ弁当
キリスト教のお祭りで代表的なものは、イースターとクリスマスだ。
イースターは復活祭とも言う。今年は4月8日だ。
クリスマスは、キリスト教国ではない日本でも、商業ベースにのっかって
にぎやかにやられるが、イースターは はやる気配はない。
ドイツにこの時期行った時、街も村もイースターの飾りつけでいっぱいだった。
デパートやスーパー、市場に行くと、日本でバレンタインデイの前 様々なかわ
いいチョコレートが並べられているように、きれいな卵やうさぎのチョコレートやら
オモチャなどが沢山 置いてあったり、吊り下げられたりしていた。
村の家の前の木にも、色とりどりの卵を ちょうど七夕飾りのように飾ってあった。
街のショーウインドーを覗くと、飾りは どこも おしゃれに飾られた卵 卵・・・
イースターを待つこの40日間は、特別な時期〜〜〜〜といっても、私は
毎年 のほほんと過ごしてしまっているが〜〜(クリスチャンで)必ず お酒断ちを
する人を知っている。
一般的に、なにかを断つことは、願いごとをかなえてもらうために やるものだが、
それとは 少し 意味合いが異なる。
実行するのが大変なこと 困難なことを 続けてやろうとすることには違いないが。
私も 今年はなにかやってみようかなぁ・・・普段 やらないこと(=難しいこと)って
なんだろう?と考えた。
まず 最初に浮かんだのは、
「敢えて 幸せを祈りたくない人のために、心をこめて 幸せを祈ること」(汗)
思い切って やってみたら できた☆
40回祈ったあとのイースターは、いつもと違うだろうか?
ちょっと楽しみ♪
2012年 2月 23日
かつ丼弁当
義母が療養型病院に転院して 3週間が過ぎた。
弟の家と私の家の中間ぐらいにある場所であることと、身体拘束ゼロを目指して
いるというところが気にいって 決めたのだけれど、いよいよ中に入ってみると
細かいところが見えてきて、なんだかなあ??と思うことがある。
どこでも 100パーセント満足というところはないのだろうとは思う。
すべて 人によって営まれているわけで、完璧な人なんて いないわけだから。
家でだって、十分に介護ができるのも難しい。
それでも 最低 気をつけていただきたいことがある。
利用者に対する言葉遣いもそのひとつだ。
思いやる気持ちは、言葉となって出る。
気持ちがあっても 言葉になって出ないこともあるけれど、眼差しや態度で
わかるから それはそれでいい。
年老いて 介護してもらわなければ生きていられない人、認知症になって
わけのわからないことを言っている人たちにでも、目上の人に対する尊敬の
念をもって 接してほしい・・・というほうが 無理なのか?
おひとりおひとりのそれまでの人生の生きざまが多少は現れることもあるが、すべてが
そこに凝縮しているわけじゃない。
孫か子供の世代の看護師さんや介護士さんが、利用者さんを「ちゃんづけ」
や、「おじいちゃん」などと呼ぶのはいかがなものだろうか?
食事中のこと
もう食べてしまったあと、まだあると思うのか 匙ですくおうとしている人に
「○ーちゃん もう食べちゃったから ないの! ね、ほら(と器を見せて)」
「おじいちゃん これも食べよう」などなど。
子供がえりしているような人たちは、なんとも思わないのかもね。。。
家族としては、「さんづけ」で できれば(子供に言うようにではなく)丁寧な言い方を
していただきたいと思う。
義母は まだ 慣れていないからか、「さんづけ」で よんでくれるが、
この先 「 ほらほら ふみちゃん、急いで食べるから 咳きこんじゃうんだよ」
なんて 言われたりするのだろうか?(-_-;)
2012年 2月 21日
ほうれんそうとハムチーズ海苔巻弁当
ここらあたりは道路から少し中に入れば、田舎なので昔のままの
土の農道があったり、舗装されていても道路の両脇は草が生えて
いたりする。
そんなわけで、犬の排泄物は道の隅などにシャベルで深目に掘って
いけるほうが持ちかえって ゴミにして 出すより、地球に優しい。
片付けない人もいて〜クロは そのままで 捨てられているものに
興味津津。 臭いをかぐのは まだいいとして。。。。(-_-;)
さっと紐を引っ張ったりしていたが。
これらは、クロが気付く前に私が片付ければいいんだ!と クロが元気
になったのが嬉しくて、勢いで?やるようになった。
よその犬の排泄物など、 ヤなもの見ちゃったと(-_-;) できるだけ
早く 通り過ぎようとしていたので、最初のころは、
「クロのため・・それにケンチャンはじめ 子供たちが踏んづけたら困るしね」
と自分に言い聞かせながらだったが〜慣れてきて、わりと抵抗なく
できるようになった。
今朝も、3ヶ所 クロより早く気付いて 処理した♪
なんだろ、この達成感(笑)