2011年 6月 03日
野菜の肉巻き弁当
結婚式のやり方は、やる人たちの考え方にもよるが時とともに
一般的な形は変わってきている。
披露宴のとき、新婦が親への手紙を読むというのは よくやられることだが、
なんか しっくりしてないと思うのは 私だけだろうか・・・
そういうのは、直接言いにくいのなら 手紙にしてもいいけど、家で渡せば
いいんじゃないの?と思う。
その昔は、嫁ぐ前の晩に 親にお礼を言ったものだった。
自分の親をほめ 尊敬している、ありがとう!とお客様の前で長々よく言うよ〜
うちうちでやることじゃないのかなあ。
謙遜の文化をもつ日本には、そぐわないことだったような気がする。
時代が変わったんだなあと思う。
そんなことを考えていたせいか〜娘が結婚した夢をみた。
キャリアを積み、ひとりで自律して生きている娘。(現実)
素敵な男性が隣にいてくれて 幸せそうだった。(夢の中で)
すごく すごく 嬉しくて ほっとした。(夢の中で)
最近 ご主人を亡くした友人が、
「淋しい・・いても淋しいことはあったけど、いないということは本当に淋しい」
と言っていた。
『淋しさは愛するためにある』 (最近読んだ本に書いてあった言葉)
夫がいても、淋しく孤独を感じるときがあるのは事実だけれど、結婚はできれば
したほうがいいと思う。人はひとりでいるのは良くない。
もっと娘が若い時に言っておけば良かった。
結婚してもしなくてもどちらでもいいんじゃないの!などとのんきに言っていたことを
今では後悔している。
2011年 5月 30日
ししゃものごま揚げ弁当
仕事に行くのが、100パーセント嬉しくて 毎日が楽しさでいっぱいなんて
ことは、誰でも まず ほとんどないこと〜これは真実だろう。
人の心は、計りで数字としてあらわれるようには計れないのに、勝手に
計っている。 気づけば・・うわべだけで人をみて比べて安心したり
うらやましく思ったりする感情がわきあがっている。
2011年 5月 29日
ハンバーグ弁当
午後 久しぶりに家で ひとりだったので、大きな声で歌を歌った。
YOUTUBEを開いて。
本田美奈子と一緒に「アメージンググレイス」
透き通るような声だ。←本田美奈子さん (わかってるって?)
石原裕次郎の「わが人生に悔いはない」
男性の歌でも 女性にも歌えるなあと思い、次々と開いて歌った。
「卒業」尾崎豊・・・はっきりしたいい声だ! 若い子たちの思いがわかる。
「みあげてごらん 夜の星を」 坂本九
なんで なんで?? みんな亡くなった人たちだ。
「みあげてごらん・・」は、秋に開かれる小学校の同窓会のときに みんなで
歌いたいな。
同窓会なら 「おもいでのアルバム」もいいなあ。
いーつのことだか思いだしてごーらん♪
歌詞を替えても 面白いかな。
田舎の小さな小学校だったので、一学年一クラスしかなく〜6年間一緒だった。
ホントに懐かしい。
86歳 母は、だいぶ壊れてきているが、昔の歌なら歌えるだろう。
今度実家に行ったときには、一緒に歌ってみようと思う。
2011年 5月 27日
酢豚弁当
このお弁当は、先週のもの。
今週は、めまいと吐き気でダウンし 一日もお弁当を作れなかった。
夫は、お弁当を買ったり のり弁など自分で作ってもっていった。
先週は、姪の結婚式 最後の筍堀り、孫の運動会、清水でのコンサート
息子とフィアンセが結婚式の準備のため来て〜などなど 楽しいことも
多かったのだけれど、疲れてしまった。
まず 近くの胃腸科に行くと、耳鼻科を勧められた。
胃腸科でいただいた薬 注射がきいて、回復のきざしが見えたので 耳鼻科
はどうでもいいかなと思ったが、息子が行こう!!と言うので従うことにした。
耳鼻科に行くと、沢山の薬をもらい〜〜 頭のMRIをとったほうがいいということで
紹介状をもらい、脳外科に行った。 幸い 脳は問題なし♪
結局 三半規管の異常ということだった。
仕事も休み、家で花のていれなどをして ゆっくり過ごした。
週の始めこそ 苦しかったが、その後は 大事をとって のんびりときままな時間
を過ごせて良かった。
(家にいるのが好きで・・はっきり言って・・仕事は あんまり好きじゃないんだよなぁ)
2011年 5月 20日
切干大根煮 弁当
被災された所で、自殺が増えていると聞いた。
過酷を極める現実の中で、絶望に追い込まれ 心の病にかかって
しまわれる人たちも少なくないだろうと思う。
自分のことを考えれば、日々の小さなことで くよくよしたり
やる気をなくしたり・・・恵まれた生活への感謝があまりにも足りなくて
情けない。
2011年 5月 17日
さやえんどうの肉まき弁当
事業所に勤める夫が、利用者さんたちより豪華なお弁当にしないで〜
と言う。 お安い御用だ。
利用者さんたちのほとんどは、○久のお弁当をとっている。
2段弁当は、豪華に見えるので 使わないのだが、いつものお弁当箱を
前日 忘れてきたので、息子のを引っ張り出して詰めた。
2011年 3月 09日
酢豚風 弁当
友人のご主人の前夜式、葬儀に出席した。
クリスチャンなので、キリスト教式で〜教会ではなく、一般の会場で
行われた。
一緒に行った70代後半の2人と 50代の友人たちがキリスト教の
式に出るのは、初めてと話していた。
仕事関係の方々はもちろん、お付き合いの幅が広い方だったので、
前夜式も葬儀も大勢の人たちが見えていた。
きっと ほとんどの人たちがキリスト教の式を初めて体験したのでは
なかったかと思う。
女性の牧師が、キリスト教の葬儀には、どういう意味がこめられて
いるか、死をどう考えるかということなどを 丁寧にわかりやすく
皆さんに話されていた。
故人が、洗礼を受けられるまでの詳しい経緯なども、聖書の言葉を
交えて 説明していた。 牧師が訪問したり、メールを通して 励まし
祈り続けていたのだそうだ。 最期と思われるとき、死・復活・再臨など
の話をすると、涙をスーッと流されて うなづいていたということだ。
伝えたいことを届けようとする気持ちのこもった前夜式 葬儀だった。
この世での幕引きのときを 宣教というすばらしい働きをされたなあと
感動した。 地味に葬儀をするのも ひとつの考え方だが、メッセージ
を伝えられる葬儀なら、まだ神様を知らない多くの人たちに来てもらえたら、
それは意味があると思わされた。
教会に行ってみたいと思われた人がいただろうな。
2011年 2月 09日
大豆サラダ弁当
干し芋を干しに小さな離れの二階に久しぶりに行った。
本棚の古ぼけた本を見ると、もう一度読みたい本が沢山ある。
その中から、一冊だけ 持ってきた。
「神を問う」 H・ティーリケ編 川村永子訳
〜現代に信仰をさぐる〜
30年ほど前、団塊の世代の教会の青年たちが、この手紙形式で
書かれた本を読み、読書会をやっていた記憶がある。
夫はその仲間だった。
夫が読んでいたこの本を私も読み始めたが、あまりにも理屈っぽく
わかりにくいので、途中で投げ出した。
今 読んでみると、訳していることもあるからか、難しい言葉が
並んでいたりして わかりにくいところもあるが、大体は 乾いた
土に水がすっと沁みこむように 心に響く。
昨日は、読み始めたときは眠かったが 最後の編を読んでいたら、
眠気が覚めた。 読み終えた途端 もう一度読みたくなった。
特に 面白かった箇所(目次)
3、人間は悩む
〜神は無力なのか
4、私たちはどこから来たのか
〜創造
12、聖書は本当に「神の言葉」か
13、祈り
〜神との接触
15、私たちはどこへ行くのか
〜死と復活
17、追伸
〜信仰を肯定し、教会を否定するのか
2011年 2月 05日
親子丼弁当
職場(喫茶)でインフルエンザに罹った人が出たりしたことだし、
マスクを全員着用しましょう!と呼びかけたが、反対する人がいて、できない
でいる。全員がマスクをしている姿は、”異様な雰囲気がする”というのが理由。
ちょっと へこんだ。意外だった。
食べ物を扱う所〜レストランや食堂など〜で、全員がマスクをしている所は
最近 珍しくない。 食品にツバが飛ぶのを防いでくれるので、衛生的だ。
気をつけてくれているんだな♪と好ましい目で私は見ていた。
あるレストランで、食事の途中 パンのおかわりを勧めてくれる所がある。
トレイに入れ、テーブルまで来てくれて、丁寧にパンの説明をしてくれる。
パンの上にツバが飛び放題の気がするので、夫はそのやり方には
批判的だ。モチロン私も。
先日、コンビニに寄ったら、店員さんたち全員がマスクをしていた。
「皆さん マスクをしているんですね」と声をかけてみた。
「インフルエンザが流行ってきたから」
「流行ってきたから?」
「うつりたくないですもの!」
「あ・・うつりたくないから?!」
店員さんは、少し声を強めて言った。
「そりゃあ うつりたくないですよぉ!」
万が一 ウィルスを持っていたとき、食品を通して、お客さんにうつすと困るから
マスクを着用しているとばかり思っていたので、目からうろこ?というのも 変だけど
驚いた。
マスクには、うつさないためとうつされないためのふたつの意味があるんだった!
2011年 2月 02日
肉じゃが弁当
「120歳まで 生きるとすると、まだ折り返し地点にきたばかりよ!
いろんなことができるよ。 だめだめ そんな70歳までなんて あと
10年しかないじゃないの!!」
70歳ぐらいまで生きられたら十分♪ という私を叱咤激励してくれる友人。
きっと 彼女は長生きするだろうな。
2代目クリスチャンの友人たちには、私にはない信仰への確信があり、
パワーが感じられる。
親に、この道こそ確かな道だよ、迷わずついてらっしゃい!とまっすぐな道を
示されているのだもの、安心して歩めるだろう。