2007年 6月 29日
インゲンのベーコン巻き
インゲンは塩茹でし、ベーコンを巻き、巻き終わりの部
分を下にしてフライパンで焼く。
教会の案内板に貼る”聖書のことば”を書いた。
満足できるように いつも書けない。
今の私の力ではこれ以上は無理〜と自分なりに納得し
(あきらめて)筆をおく。
書いたのを見て、「このことば いいなあ、はずしたあ
と、もらえる?」と息子。
これ↓
明日のことまで思い悩むな。
明日の苦労は 明日自らが思い悩む。
その日の苦労は その日だけで十分である。
新約聖書 マタイによる福音書 6章34節
これ↓もいいでしょ?と言うと
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることは
なさらず、試練と共にそれに耐えられるよう、逃れる道を
も備えていてくださいます。
新約聖書 ローマの信徒への手紙5章3〜5
やっぱり、今はこのことば(明日のことまで・・のほう)が
胸にひびくと言う。
論文式試験まで、あと20日。引き返せないし、先に進
めるところまで進み、進めないときはまた そこで考える
しかない厳しい現実と立ち向かっている。
そんなに気にいってくれたならと同じことばを息子のた
めに書いた。祈りをこめて、力をこめて。
2006年 11月 12日
大事なことは一言で
あらゆる教えの中で、何がいちばん大切ですか?と尋ねられたイエス・キリストは、神を愛することと隣人を愛すること、と端的にお答えになられました。重い質問に対して、ずいぶんあっさりとお答えになられた印象が残ります。でも、簡単な答えでしょうか。その意味をあらわにするには、その反対の姿を思い浮かべて見るのもひとつの方法です。
今、あなたが神を愛さず、隣人を愛さないとすれば、あなたは何をしているのか?何を求めているのか?何を愛しているのか?・・・・ほんの一分でも考えてみてください。そうして見えてくるのは、(多分間違いなく)自分を中心にした世界です。
世の中でいちばん大切な教えは、神を愛することと隣人を愛すること・・・それは自分を喜ばせることではなく、自分の欲求を満たすことではなく、ただ他者のために、ただ相手が喜ぶために、見えざる神様がお喜びになるために、と自分の時間や自分の体や心をささげることです。
見えてきましたか?それをできない自分が・・・。イエス様は、そこに気づかせたかったのです。短いお答えのなかに、イエス様の愛がこめられています。そんなあなたを救うために私が来たのだ、という愛が。
(日本福音ルーテル栄光教会 角本牧師)
〜幼い日の娘 愛子〜
隣人を自分のように愛しなさい。
マルコによる福音書 12章31
2006年 11月 06日
いのちは神の御手に
人は死んだらどうなるの?イエス・キリストの時代、たとえばユダヤ人たちとの間でも、復活すると主張した人たちと、復活はないと主張する人たちとがあったようです(ルカ福音書20章27−40節)。
私たちの周りでも、天国で会いましょう、とか、お星様になるの、とか、なまなましく描かれた天国地獄の話とか死んだら皆二十歳とか、死後の世界などありはしない、・・・などなど、夢や思想や、その人の生き方に裏付けられた考えがたくさんあります。それを見てきた人はいないのですから、絶対にこうだ、とは誰も言えないことでしょう。
そこであらわれるのが、”信じる”ということですが、これは見たこともない空飛ぶ円盤を信じる、ということとは違って、神様がいちばん良いようにしてくださるから大丈夫、と信頼するという意味の”信じる”です。そのような”信じる”心は、魂に平安をもたらしてくれます。後のことは全部お任せしているから心配なし、と思えるのが、神への信仰です。信仰によらず、魂に平安をもたらすものはありません。
魂に平安をもたらす言葉が、聖書にはいっぱい詰まっています。信頼に足るものと言えましょう。(11/5 日本福音ルーテル栄光教会 週報より 角本浩牧師
(5ヶ月以上も次々と咲いている・・左からペンタス・アメリカンブルー・千日紅)
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネによる福音書 15・5)
2006年 10月 30日
変わらないもの
これから 週1回ぐらい 聖書のことばを載せていきたいと思います。まず 私が通っている教会を紹介します♪
日本福音ルーテル栄光教会
牧師:角本浩(すみもと ひろし)
BOFAFA.SUMIMOTO@nifty.ne.jp
宣教師:テレルボ・クーシランタ
kuusiranta@ybb.ne.jp
焼津礼拝堂・・・焼津市栄町5−16−27
TEL054−628−6762
藤枝礼拝堂・・・藤枝市瀬戸新屋296−1
TEL054−641−9065
島田礼拝堂・・・島田市中河町8677−1
TEL0547−37−2680(木曜日)
誰かに話を聴いてもらいたいと思ったとき、いつでも 気軽に(というわけにもいきませんよね〜では) 思い切って!電話するなり メールを送るなり してみてください。
多かれ少なかれ 誰の人生にも悩みや苦しみがあるものです。どのようにして それらを乗り越えていったらいいのでしょう。まぎらわすためにお酒を飲む?・・仕事や趣味に没頭する?・・・それとも占い? それらができない状態のときは、どう考えて どこに向かって歩めばいいのでしょう・・
この10月で受洗して26年がたちました。100パーセント信じることができたら、人に聖書の教えを伝えていけるだろうと思ってきました。が、私のなかには、時々疑いや迷いが生じます。100パーセント!!を待っていたら、一生 それはできそうにありません。そこで、視点をかえ 原点に返って 一緒に 聖書のことばを考えていこうと思ったわけです。
草はしおれ 花は散る
しかし 主のことばは とこしえに 変わることがない
〜聖書より〜
2006年 3月 10日
きんとき豆
たまには、こういうお豆も 食べたくなる。
甘味を抑えて 煮るので、たくさん食べられる。
夫と私は、ホカホカごはんにかけたり、パンにはさんだりして 喜んで食べたが、息子達は 一粒も食べてない・・・たぶん。
きょうは、夫が勤務する学校の高等部の卒業式。
冷たい雨が降るなか、夫を送る車の中での会話。
「天気の良い日に 式服持っていってあって よかったね!
あなたは、偉いねぇ♪ いつも 早め早めに なんでも して〜」
「そうだよお、早め早め対応は 大事だよ」
「私は なんでも 遅め遅めで ぎりぎり対応・・」
「ギリタイかぁ」
「いけないねぇ、ギリタイ!」
(一応 反省はしている。)
暮れに、くも膜下出血で倒れた叔父は、なんでも 早めにやる人で、税金の申告の書類を書き上げていた。
叔母は、ただ 持っていくだけで助かったと言っていた。
いつ どういうことがあってもいいように、今できることは今 やらねば>私
聖書に、こんな箇所がある。
”その日 その時は、だれも知らない。・・・・・
気をつけて目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、
あなたがたにはわからないからである”
目に見えることもだが、特に 心のなかを整えておきたいものだと思う。