« 戻る1 2進む »

2015年 1月 21日

ペンネサラダ風



 2月に入ると、メッセージを教会で話す当番がまわってくる。
時々 気になりながら、どんなことを話そうか・・・と考えていた。
昨日、牧師と話している時 そのことが話題になり、いよいよ
近づいてきたことを感じた。
昨夜は夜中に目が覚めたら そのまま眠れなくなり、構想を練りながら
寝がえりばかり打っていた。
 こんな夜が続いたら ほんと寝不足になり困るし。
とりあえず書いてみて それを元に削ったり 足したりすれば
いいなと思い、今日は 終日 ひとりなので チャンス♪ ととりかか
った。 
朝 9時ごろから始め〜お腹がすいてきたなあと時間を見ると
なんと 午後2時過ぎになっていた。
なんとか原稿が書けた☆
書いた☆
できた☆
嬉しい☆
やったね☆


投稿者: kun - 午後 04:16 | コメント | 固定リンク

2013年 12月 20日

ネギぬた(スモークサーモン入り)


 
久しぶりに習字の筆を握った。
3年位前までは、週に一度は聖書の言葉を書き、教会の掲示板に貼ったもの
だったが、あることをきっかけに やる気力がなくなってしまっていた。
それまで書いたものは、欲しいといってくれる人もあり ほとんどは手元になか
ったが、それでも残っているものがあったので、たまに代えていた。
年内にはやらなくては・・・と内心あせっていたが、その気になれないままで(~_~;)

 今日は、午前中ひとりだったので、思い切ってやり始めた。
予想通り〜うまく書けるはずもなく、何枚も書きなおして ようやく2枚だけなんとか
 どうやら 貼れそうなものができた。

  

 主に自らをゆだねよ
  主はあなたの心の願いをかなえてくださる  

           詩編37:4

  
  いつも喜んでいなさい。
  絶えず 祈りなさい。
  どんなことにも感謝しなさい。
       
        テサロニケの信徒への手紙1  5:16  
   

投稿者: kun - 午後 04:28 | コメント | 固定リンク

2013年 9月 19日

焼き肉(野菜にはピーナッツバターをかけて)




 無意識に動く思考には、その人独自の回路があるようだ。
それは、年齢とともに 固定化して 無意識の動きとして 現れる。
身体の動きだけでなく、感じ方にも そういうことが言える。
 脳科学者や哲学者がとっくの昔に そんなこと発表していることなのかも
しれないが〜最近 実感している。

 毎日使う歯間ブラシを、(どちらも鏡が扉になっている)洗面台の左上の棚から、
真ん中に変えた。 食べ終わると洗面台の前に行き、左の扉を開けて〜〜っと
自然に動いていた動きを 真ん中の扉を開ける〜〜という動きに完全に変えるのに
1ヵ月ぐらいかかったかもしれない。 ぼんやりしながらだとすぐ左を開けてしまって
・・・あっ こっちじゃなかった!となる。(^_^;)

 心の動きも同じことが言えるのではないか!!?
 
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。

 
 これは、有名な聖書のことばだが〜できない!! 永遠の課題!?
たとえば、子供たちのことを思うと、心配が絶えない。 喜んだり 感謝することがあっても 
不満や不安がムクムクと湧き上がり、心はそれで覆われてしまう。
 湧き上がる無意識のやっかいな思いをシャットダウンし、喜びや感謝で占めるようにして
いくことを意識的に努力していけば、長い間にはそれが習慣となり、無意識でいても喜びや
感謝で満ちるようになるだろう!(^o^) 
 私的には、(還暦を過ぎ) 大発見したことなんだけど〜どうでしょう?!
ただ、無意識の心の動きは、ことさら人には操作が難しい 神様の領域とも言えることだ。
祈りが大切なこととなると思う。


投稿者: kun - 午前 11:15 | コメント | 固定リンク

2012年 12月 10日

Let It Be

 私たちの信仰は、神様が共にあって「あるがままに」です。
苦しいこと、悲しいこと試練の中で人生を生きていかねばなりません。
しかしそのようなときにこそ「神様が共におられる」ことを知るのです。
そこに立って、神様にすべてを委ねるときに「あるがまま」という生き方を学ぶのです。
神様は必ず共にいてくださる。私たちに必要なことはご存知です。
いまの悩み苦しみも、きっと神様はご計画の中で見守っておられるにちがいありません。
苦しみを受け入れるには、イエス様が共に居てくださることを信じることから
はじめなければできません。
「あるがままにLet It Be」
〜神様のクレヨンより〜

日本福音ルーテル大江教会には、遠くて行くことができないけれど、ネットで立野牧師の
お話を読んだり 聞いたりできる。 恵まれた時代に生きているなあと思う。

投稿者: kun - 午前 07:19 | コメント | 固定リンク

2009年 12月 21日

洋風きんぴら

null


 なんて 弱いの! 
ほんの ちょっとのことにも 耐えることができないで・・・
もう お手上げ。
かんべんしてって かんじ。。。

 昨年の初夏のこと、可憐な花々をつけて 涼しげに咲いていた花を近所で見かけた。
初めてみる 珍しい花だった。
「シザンサス」という名前だと教えてもらった。
来年 苗をあげるね〜という約束どおり 5cm位の苗を10本ほど もらってきたのだ。
 雨に弱いから、水やりのときにも 倒れちゃったりする、風でも 倒れてしまうから
軒下の、日はあたるけど 風はあたらないところでないと育たないということだった。

 背丈は倍ほどになったが、風がふけば倒れている。
支えにしばってしまうと折れてしまいそうなので、支え棒だけにもたれさせている。
それでも すぐ 倒れて いつ見ても どれかが 地面に はいつくばっている。
それで つい 今日は、花に愚痴ってしまったってわけ。

 花だから、花には言えるけど、他人には言えないセリフだ。
よくよくふりかえると、自分で自分に こういうこと言っていた時期があったなあと思う、
ずいぶん 若いころ。かわいそうだったなあ・・若かった私・・
自分をせめ、打ちひしがれるばかりだった。
若い時に造り主を覚えよ〜という聖書の言葉があるが、青春のころ 真理がわかって
いたら、もっと伸び伸びとした豊かな青春時代を送れたかもしれなかった。
いつのころからか、しょうがないよ、弱い私が私なんだから・・と自分にあま〜い私である。


わたしの恵みはあなたに十分である。 力は弱さの中でこそ十分に発揮される。                      
                   聖書 (第二コリント 12章9節)

 

投稿者: kun - 午前 10:28 | コメント(2) | 固定リンク

2008年 6月 18日

ジャーマンポテト




 1週間も 更新しなかった・・唖然
こうして時間は、ザクザクと過ぎていくのね。
今 過ぎた1週間のことを思い起こすと〜災害や事件のこと
そして、人との会話・・・特に言われた(聴いた)ことばがうかぶ。
 清水の畑でサツマイモを挿したり 草取りをしていると98歳の近所の
お爺さんが声をかけてくれた。畑に行く前に母の所に行くと、
洗って皮をむいたじゃがいもがあった。これを届けてくれたのはこのお爺さん♪
煮物にすると5回分ぐらいある量で、むいてしまうと黒ずんでくるが
それより その優しさに感動した。
皮までむいてくれてとじゃがいものお礼を言うと、お婆ちゃんがむくの
大変だからって。母よりひとまわり以上も年上なのに。
田舎の片隅で、わずかな土地で野菜を作ってきた(だけの)お爺さん。
たぶん本を読むこともなく、これまで脚光をあびたようなこともなかった
かもしれない。でも 素敵な歳のとりかたをしているなと思う。
「これから焼津まで帰るんじゃあ大変だね」と私のことまで気にかけてくれて。 
 あの秋葉原事件の犯人も、事件を起こすまでの人生で過去のことを
思うことも多かっただろう。心に浮かんだ人、ことばが心を癒して
くれることがあったら・・と残念に思う。


疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。


新約聖書  マタイによる福音書11章28〜29節


投稿者: kun - 午前 10:03 | コメント(4) | 固定リンク

2008年 5月 13日

筍とひじきなどの煮物





 「物騒な世の中になっちゃったねぇ」と世間話のなかで
つぶやく人がこの頃 多い。
新聞でも、一般の読者からの投稿で、日本はどうなってしまうんだろう
と嘆いている記事があった。
しかし、実際は 殺人事件は戦後年々 減少しているのだそうだ。
メディアで大きくとりあげるので、増えているような錯覚に陥っているだけ。 
日本を訪れたアメリカ人がTVを見て「日本は殺人事件が
こんなに多いのか!」と驚いたということだが、本当はアメリカの
ほうが格段に多いのだけれどアメリカでは、殺人事件をニュースで
取り上げることは少ないんだって。
凶悪な殺人事件が増えたかというとそうでもなく、たとえば 
”サカキバラセイト”の事件と同じような事件は過去にもあったのだそうだ。
・・・・これら すべて息子から聞いた話。
ネットでも 調べてみると こんなサイトがあった。
 ついでに 減少つながりで(?!)日本のクリスチャン人口は減少
しているのだろうか?と検索してみたら、増えていると書いてある記事
(2006年)があって・・嬉しい驚き。




投稿者: kun - 午後 11:04 | コメント(4) | 固定リンク

2008年 4月 30日

サーモン玉ネギなどのマリネ







↑憲法9条サブレ。
これらが入ったお菓子の詰め合わせをいただいた。
食べるのがなんだか惜しくて、時々眺めている。
 イラクへの自衛隊派遣は、憲法9条に違反しているという
判決が出された。原告弁護団の団長弁護士は、私達と同じ
ルーテル教会の会員のUさんと聞いて嬉しくなった♪
お菓子を作り販売しているのは、ドイツやトルコの旅で一緒だった
Sさんのご主人で やはりクリスチャンだ。
日本でのクリスチャン人口は、1%あるかないかというほど少ないが、
このような働きをされている方々もある。




あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
コリント人への第1の手紙12章27節





投稿者: kun - 午後 11:46 | コメント(2) | 固定リンク

2008年 3月 11日

カレイのムニエル野菜添え


 塩をまぶし、酒・レモン汁をかけて15分ほどおき、小麦粉をつけ、
フライパンにバターとオリーブオイル少々を入れ 両面を焼く。



 小学6年生、卒業式を間近に控え”別れの寂しさ”のムードが
教室に漂っていた今頃、先生が「中学生になるのが嬉しい人! 」
と聞かれた。私は勢いよく手をあげた・・・
周りを見ると、手をあげていたのはひとりだったので、驚いてしまい、
はるか昔のことなのにそのシーンのことが印象に残っている。
新しさに対する憧れが人一倍強い子だったのか?!
 環境が変わることには不安もあるものだが、それ以上に
楽しみが心を占めた。卒業 進学・・そして 卒業 就職 結婚・・・・
そのたびに 新しい風がふき。
けど、しばらくすれば その風にもすぐ慣れ、根本のところでは
私は変わっていないと思えた。
本当に”新しくされる”という希望が持てるようになったのは 聖書に
ふれるようになってから。


古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を
身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。
   
(新約聖書 コロサイの信徒への手紙   2・9〜10) 




あなたがたはこの世に倣ってはいけません。むしろ 心を新たにして
自分を変えていただき、何が神の御心であるか、なにが善いことで、
神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい

   (新約聖書 ローマの信徒への手紙  12・2)


  


投稿者: kun - 午前 10:35 | コメント(2) | 固定リンク

2007年 12月 04日

サツマイモと牡蠣のグラタン


玉ネギ・ベーコン・エリンギ・しめじなども入っている。
サツマイモが、牡蠣とホワイトソースに合っていて、おいしい。お勧め!!


 おなかの皮がよじれて痛くなるほど笑うということ
無邪気だった こどもの頃はよくあった。
いつ頃からなくなったのか?・・
毎日 笑うことはあるにはあるけれど、お腹が痛くなる
ほどということはない。
 食べていて のどに詰まらせて苦しくなるということも
こどもの頃は度々あったなあ。
昨日 いろいろと用事が重なり、昼食が3時頃になってしまった。
まだ 片付いてないこともあったし、お腹もペコペコだったので、
あわてて食べたら のどに詰まってしまい、急いでお水を飲んだ。
これは、いいことではないけれど、久しぶりの懐かしいような感覚だった。


聖書には、↓こんなことが書かれている。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。」

(テサロニケの信徒への手紙一5章16−18節)



「いつも笑っていなさい」というふうには書かれてなくてよかった〜
って あたりまえか。。。
笑いにも 種類があるし・・・
どこかの会社のマニュアル本じゃないんだから。 
しかし、お腹の皮がよじれるほど 転げまわって笑う経験は、
もうできないんだろうか?



 

投稿者: kun - 午後 03:11 | コメント(7) | 固定リンク
« 戻る1 2進む »