2014年 3月 14日
ごぼうと野菜のきんぴら
実家のすぐそばの畑のモクレンが咲いているだろうか?
じゃがいもや里芋などを植えて、孫や友人たちと賑やかに収穫したものだったが
今はなにも植えてない。 (民家も横にあるのに、)イノシシに荒らされるようになって
しまった頃、母が入院し そのまま亡くなったので、わざわざ遠くのその畑まで行く
理由がなくなった。
ひとつも残さず、じゃがいもや里芋も食べていったイノシシ。
がっかりしたけれど、甘夏を盗られた時の気持ち悪いショックとは違う。
イノシシは生きるために 柵もなく たまにしか人の姿を見ない畑のものをねらう。
イノシシの姿を思い浮かべると 憎めない感じもする。
大切にしていることがわかるように、甘夏に網をかけたり 柵をしても、廻り込んで 採って
いく人って 一体どんな神経の持ち主なんだろう?とあれこれ想像してみる。
多分毎年同じ人で そんな人は きっとひとりしかいない。
若い人は、硬い皮をむいて食べるのをめんどうと思うだろうし・・・ごそっと持っていくの
は重たくて女性だと大変だから、きっと 前期高齢者の爺さんではないか!?
食べる物にも事欠く貧しい人ならば 仕方がない〜許せる・・・というのが夫と私の
共通の思いだ。
義父が植え 義父が管理していた頃は、その時期になると、沢山届けてくれたもの
を「ありがとう!」といただくだけ。 義父の優しい笑顔が浮かぶ。
人は余分なものを持つと、それを無くしたり 盗られたりしないかと心配し、盗られれば
がっかりする。
”持たない良さ”は、持ってみるとよくわかる。
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