2013年 3月 22日
人面大根
無農薬なので、虫がよってたかって食べて 創作。
近所の、母と同年齢の人が 母より数日前に亡くなった。
独身の息子さんとの二人暮らしだった。
道でその息子さんと会った時、「寂しいですね」と言うと、顔をぐちゃぐちゃにして、
涙を流し 会話ができないほど泣いていた。
昨年の暮れ入院するまで、歩いて買い物に出かける姿をよく見かけたし、入院する
前日には シチューを作ってくれたと言っていたから、突然のことで 心の準備ができて
いなかったのだと思う。
父が亡くなった時、母も私もそんな状態だった。 私には一緒にいる家族がいたから
救われたけれど、母は一人暮らしになり どんなに寂しかったか・・・私たち子供が時々
行っても、心の空洞は埋められないほどだったと思う。
今 父と再会して 喜んでいるだろうなと思うと、母が亡くなった寂しさは和らぐ。
2013年 3月 21日
母は歌が好きだった♪
母は、若い頃 歌手になりたかったのだと聞いたことがある。
その当時 歌手は、今のようにまともな?職業とは言えなかったようで、周りから反対
されて あきらめたのだそうだ。
この写真のように合唱団に所属して 歌っている写真や、一人で歌っているものなど
写真を整理していたら、何枚も見つかった。
今でも、地元の盆踊りのとき 決まってかけられる”宍原音頭”の歌は、母が歌っている。
子供の頃、母が家事をしながら歌っていると
「母さんは、ほんとに歌がうまいなあ」と ”ほんとに”という所に力を入れて、父はよく
言っていた。
たまに そのあとに、
「おまえは、母さんに似ないで 父さんに似ちゃって かわいそうだ」とも。(-_-;)
先生について 習っていたということなので、発声の仕方は、腹式で本格的♪
金婚式のお祝い家族旅行の時、宴席でアカペラで歌った ”ここに幸あり” 今も目をとじると
歌声が聞こえてくるようだ。
傘寿のお祝いの時にも、カラオケで何曲か歌っていたが、ほれぼれするような歌声を聞いたのは
それが最後だった。
昨年 10月に入院してから、弟がプレゼントした歌集を開いて、母と一緒に 何回か歌ったが、
耳が遠くなっているせいか 音程はくずれ、昔の歌声では 全くなかった。
歌う本人も愉しくないのか、積極的に 歌おうとはせず、切なく 悲しかった。
2013年 3月 18日
クロも畑で♪
クロは、よその人が来ても 前のようにほえない。
散歩の時、グイグイ引っ張るので ケンは、ついていけずころんでしまった
こともあったが、今は そういう力もない。
周りのことに興味を示さなくなっているクロだが、ケンが無邪気に遊ぶ姿を
目で追う。 ケンの声が好きのようだ。
2013年 3月 09日
クロ昼寝、母永眠
このところ 春のように暖かい。
芝生の部分に寝ればいいのに・・・
黄砂・PM2.5・杉花粉が入り混じった風の中で 昼寝中(~_~;)
昨日 昼、88歳の誕生日を迎えたばかりの母永眠。
父亡きあと、13年間 一人暮らしだった。
この間 入院したのは今回だけだったから、健康には恵まれていたと思う。
最期の数日は、弟曰く「穏やかな灯火」のようで、静かに消えていった。
すべてのことで反面教師のような部分も感じていた母だったが、よくよく
今 思えば 自分と五十歩百歩だったかもしれない。
エラそうに 批判したり 反抗したりする資格なんて ひとつもなかったと亡く
なってみると、良い所だけが思い出される。
60歳過ぎてから、琴の師範をとり、教室をいくつも掛け持ちしたり、手打ちそば
教室の講師をしたりと溌剌と頑張っていた母の方が努力家だった。
かけつけた孫娘たちがハラハラと涙を流している姿を見ると、明るくて優しい
いいおばあちゃんだったなと あらためて思う。
2013年 2月 25日
ひだまりで♪
眠くなってきたなあ・・・ 寝よっと。
ひだまりで寝ているのを見て、
自分でそこへ 行ったの?
えらいねっ!
お父さんに ほめられた。
私をじっと見ていて、舌なめずりをした。
わかってるんだね、食べ物をくれる人を。
えらいねえ!
おっ 水を飲んでる!、えらいねぇ!
最近のクロは、ほめられてばかり。
2013年 2月 24日
黒糖
煮物などには、黒糖を使うようになった。
以前は、三温糖やきび砂糖だったが、やはり黒糖が一番 身体に良さそう
なので、少し値段は高いが 使っている。
70代後半の一人住まいの友人と食事に行った。
「なに食べたい?」と聞いたら、少し考えて 「たまには 焼き鳥が食べたい」
と言うので、居酒屋さんへ♪
私は車を出したので、残念ながら お茶で焼き鳥。
彼女の話によると、圧力鍋の蓋がふっとんで 天井にあたり 落ちてきて
頭をかすり、二針 縫ったのだそうだ。
ちょっと下を向いていたので、もろに当たるのを免れたということだ。
いつものように蓋をしめたはずなのにと首をかしげていた。
圧力釜は良く使うので、あわてず とにかくきちんと蓋をするようにしなくては・・
と肝に銘じた。
彼女は、忘れることが多くなったので 病院に行き 検査をしたら、認知症と
言われたそうだ。 そういうふうに診断された時、私だったら 人に
「私は認知症なんだよ」と話すんだろうか?
まだ想像もできない80歳に近い自分の姿・・・
彼女のように 明るいおばあちゃんでいたいものだが。
恐いなあ・・認知症・・・使い方によっては、圧力釜も!
2013年 2月 23日
梅干しの黒焼き
「免疫力を上げる 一生モノの食べ物・食べ方」 (田中愛子著)
〜人はなぜ病気になるのか 治るのか〜
という本を弟からもらって 読んだ。
似たような本を前に読んだことがある・・・と、本棚を探すと〜あった!
「家庭でできる自然療法」〜誰でもできる食事と手当法〜(東城百合子著)
東城さんの本の紹介を田中さんの本の最後のページでしていたから、
同じような勉強をした人達なんだろう。
もう一度 読み返してみると、共通するところが沢山ある。
まず どちらも玄米食が基本になっている。
30年ほど前 東城さんの本は友人にもらったか 勧められて買ったか
忘れたが、いろいろと子育て中に試してみたものだ。
玄米食には出来なかったけれど、胚芽米を食べていた。
子供が咳が出たりすると、れんこんの節やそこに近い所をすって、しぼり
おちょこに一杯飲ませると咳の出始めなら すぐ治ったっけ。
これは どちらの本にも 載っていた。
最近 孫が咳が出た時、パパも飲んて 治ったよ♪と言って、飲ませた。
梅干しの黒焼きは、花粉症にもいいと田中さんの本に書いてあったので
息子に飲ませようかと作ってみた。
解毒作用などもあって、発展途上国を旅行中 飲んでいたら 誰も飲み物
などであたったりしなかったのだそうだ。
梅干しは、シソと塩だけで作ったものを オーブンで焼いた。
180度で1時間ぐらい。 炭になってしまうと効果がないというのを あとで
読んで ちょっとあわてた。 でもセーフ♪
フードプロセッサーで粉状に。
2013年 2月 21日
味噌作り
大豆(2K)を煮てつぶし。 塩(830g)と麹(2K)を混ぜ。 できあがり(約7.5K)♪
味噌作りは、時間はかかってしまったが、結構楽しかった。
これに 中蓋をして おもしを載せる。
分量は、ネットでいくつかのレシピを調べてみて ほぼ平均的な量にしてみた。
保存の仕方は、冷暗所に置くというものあり、人がいる温度がそれほど低くない所に
置いたほうが発酵が進むと書いてあるものあり〜どうしよう・・・
とりあえず、日が入らない廊下の隅においてみた。
2泊3日 一人暮らし。
夕方になると、雨戸のすべてを閉め、サッシの鍵といつもほとんど使わないロックの
2ヶ所も 厳重にする。
夜 クロが玄関にいてくれるから、頼りになる!?・・・・いや、頼りにされてる
ほうだが、たった一人とは違い なごむ。
2013年 2月 20日
塩麹
今週日曜日、焼津港へ インドネシア人 フィリピン人 ミクロネシア人の三人のクリスチャンである船乗りさんたちを送っていった。
焼津港に着く度に 教会に来てくれるようになり、この日は 沢山のブロック
のマグロとカツオをお土産に持ってきてくれた。
皆で分け、教会に来られなかった人の所まで 届けるほど、どっさり♪
タクシーで来てくれたので、帰りは送っていったのだった。
カタコトの英語と日本語で たわいないことで大笑いして 面白かった。
思えば、焼津外港へ行ったのは、久しぶりだった。
今週は、”久しぶり”が続く・・・
今日は、下村こうじ屋さんへ行った。
そのあたりに行ったついでに、急に思い立って行ってみたのだ。
子供が小さかった頃 味噌作りをしていた時期があって、その当時は時々
行っていたが、ここ何十年もその前を通ることはあっても、中に入ること
はなかった。
北海道から、新鮮で上質な大豆をわけてもらうことができたので、
人にもおすそ分けしたりしていたが、やっぱり お味噌を作ろうか・・・と
思い立ったのだ。
店番をしていた70代のお母さんと 40代位の息子さん〜発酵食品を食べて
健康なんだろう、笑顔が素敵だったし、肌がつやつやしていた。
味噌作り用の麹を買い、話しているうちに、ひところ話題になった塩麹を
作ってみたくなり、その麹も買った。
麹と塩と水(300g・100g・350cc)で、一週間かき混ぜるだけで 簡単に出来る
という。
早速分量を計り塩麹作りスタート♪ 味噌用の大豆を、洗って水につけておかなくては☆
2013年 2月 17日
クロ 16歳8ヵ月
友人宅は、街中にあるため近所迷惑でもあることから、 夜泣きするように
なった犬を安楽死させることを決断したいきさつを聞いた。
クロも一週間は、2時間おきに 30分から1時間吼え あまりの大変さに
安楽死?・・・という選択も頭をよぎった。
しかし、その後 薬がきいて 夜は起きなくなり、正常が ほぼ戻った。
痙攣前の状態は、壁に向かって吠えたり、隅に入ってしまうこともあったが
それもなくなって 元気になってきた。
長寿犬街道をまた ゆっくり歩き始めた♪
息子曰く「奇跡の犬」