2011年 6月 01日

フライドポテト

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 孫とじゃがいも掘りをした。
食べる分 二株だけ。
「あっ 赤いじゃがいもだ!」
(普通の色の方が、じゃがいもらしくていいなあ・・)
「ケンチャン お手伝い大好きだよ!」
「ケンチャンがやってあげる」
となんでもしたがる。
 私は大きいシャベル、 ケンは小さなシャベルで
「うんとこしょ どっこいしょ」
掘ったじゃがいもを、ここにもある! また でてきた!と
ざるに入れて。
 井戸水でザブザブ 洗い
台所に持っていき〜ここまでは2人で。
皮をむいて、切るのは まだちょっと無理なので私がやり、
切ったのを さらすために、水に入れるのはケンの役目。
よく水気をとって、油で揚げて お塩をパーラ パラ♪
 はい どうぞ(^O^)/
 おいしいね。

投稿者: kun - 午前 10:26 | コメント | 固定リンク

2010年 12月 31日

和菓子

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 手作り。
水仙が清楚でかわいい。
あの人が作ったんだ!と思うだけで、味わい深い。
いつも しばらく眺めてから ゆっくりいただく。


 今年は特に、ブログの更新が滞りがちでした。
旅疲れし、暑さに負け、慣れない仕事にあたふたしました。
萎えそうになる力を振り絞って やってきたという感じです。
(これでも?!)

「友の部屋」の住民はいつも前向きなので、きっと 来年も
頑張ってくれると思いますから HPは続けます。

拙いブログを覗いていただいて、本当に感謝します。
どうぞ 良いお年をお迎えください。
恵みにあふれた一年となりますように心よりお祈りしています。

投稿者: kun - 午後 09:39 | コメント(2) | 固定リンク

2010年 12月 08日

切干芋

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 裁判所共済組合員になった息子。
国民年金などとの切り替えのために必要な そのコピーを送ってきた。
「臓器提供の意志」を問う項目があり、提供するというところに○がつけられ
サインをしてあった。
 息子の臓器が誰かの身体の中で働く〜想像したら・・・100パーセント
悲しいとは言えないにしても・・移植される前のことを考えたら つらい気持ちに
なった。 
願わくば、順番通りに?!逝き、そういう現実に向かいたくないものだ。

投稿者: kun - 午後 05:19 | コメント(2) | 固定リンク

2010年 7月 25日

アイスクリーム(ドイツ)

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 「50代最後の夏を楽しんで下さい」とメールをいただいた。
しかし、ここ2週間は 高熱、咳、めまい、不眠で苦しい日々だった。
ようやく 熱が下がり 咳もほとんど出ない。
息子も発熱。そんな中 夫は元気そのものだ。
「お父さんは、長生きしそうだね!
お母さんは、早死にしそう」と息子。
「お父さんが一人になって めんどう見切れなかったら、施設に入れて」
と私。
「それだと金もかかるから、離れ(小さな2階建ての倉庫風の所)に 
入れておこうか! そして 犬に番をさせて 外にフラフラ出ようとしたら
かみつかせるように しつけるか!」
(爆笑)
「老人虐待で訴えられるよ!」
 冗談を言えるほど、元気になれて嬉しい。
TVに出ていたある医師が
「私は朝、今日 一人でもいいから、誰かを幸せな気持ちにしてあげたい 
と思って一日を始めます」と言っていた。
素晴らしいお医者さんだなあと感動した。
医師ではなくても、どんな職業であっても、たとえ病気のときでも、そういう思いを
一日の始めに持つことができたら、きっと 素敵な一日になるんだろうなと思う。
思いがこもったひとことや眼差しだけでも、人は幸せな気持ちになれるものだから。



投稿者: kun - 午後 10:31 | コメント(2) | 固定リンク

2010年 7月 16日

アイスクリーム(フィンランド)

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 そんな季節になったんだなあと布団に横になって、蝉の声を聞いていた。
しばらくすると、もう聞こえてこない。
 成田での前泊を入れると2週間の、フィンランドとドイツへの旅行から
12日午後に帰宅し、13日の午前中、草も花も伸び放題になっていた花壇の
手入れをした。午後に荷物の片付けをしたり 郵便物を見たり、息子たちから
留守中のできごとの話を聞いたり、そんなときもボーッとするのは きっと
時差ぼけだと思っていた。しかし、それだけではなかったようだ。
久しぶりに孫に会うこともなく、お土産を手にし、情けないかなその夜から 
咳と発熱でダウン。
 ドイツでの最終日の夜 頭痛がして・・ 早目 早目と思い、風邪薬を飲んだ。
帰りの飛行機の中で、トイレに立ったとき、ツアー仲間が耳打ちしてくれた、
「私たちの後の席の人が熱が出ているから、後のほうには行かないほうが
いいよ」と。彼女はしっかりマスクをしていた。飛行機に乗るときは、マスク位
用意しなくっちゃね〜反省&今後のための教訓
飛行機の中では、咳が何ヵ所からか聞こえていた。
その風邪をもらったか、元々ドイツ風邪をもらっていたか わからないが、症状は
同じだ。 
 今日は、ようやく会計の仕事などを少しずつやり始めた。
あと ひといき〜♪

投稿者: kun - 午後 04:19 | コメント(6) | 固定リンク

2009年 9月 09日

チーズフライ(孫娘作)

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 11歳の子が考えることは、思いがけず斬新で面白い。
フライを作るのを手伝ってくれたあと、小麦粉や卵がついて湿り気の
ある残ったパン粉を丸めて、チーズを入れてっと〜楽しそう♪
いつもなら 捨てられるか、犬の餌行きの残り物が。
揚げたてを口に入れ、「おいしい!!」 




投稿者: kun - 午前 09:18 | コメント | 固定リンク

2009年 7月 06日

桃と桃ジャム(いただきもの)

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 クロ(犬)が、夜中2時頃 突然 激しくほえた。
とびおきてみるとさっきまでクロのそばになにかが近寄っていたような気配。
2階の窓から息子が見ると、なにか2匹の四つの目が光っていたそうだ。
こういうことが、最近3回続いている。
真夜中だというのに、みんなクロのことが心配でとびおきる。
 もうすぐ13歳と1ヵ月。年寄りだ。ここのところ毎年 今年が最期かもねと誰かが言う。 
息子たちは出かける時も、帰ってきた時も、必ず クロの頭などをなで 話しかける。
そのときのクロは、穏やか顔をして ほんとに幸せそう。 
そのたびに一日 寿命が延びるんじゃないかと思う。
 なでている息子に言った「お母さんが寝たきりになったら、そばに来て 一日に一回は
なでて♪ 長生きすると思うよ」 笑っている息子にすぐ付け加えて言った。
「ま、そんな姿で長生きしたら迷惑だね」
 1週間ほど前、教会の仲間たちと福祉村のディアコニアに奉仕に行った。
草取りと傾聴ボランティア。
ご老人に寄り添い、目も耳も口も体もすべて その人に向けて時をともに過ごす。
傾聴ボランティア。どんなに嬉しかったことだろう。それを言葉で表現できないほど
の認知症の方でも、誰かがそばにいて手を握ってくれた、よだれをふいてくれた・・
心あたたまる空間のなかで、喜びでいっぱいだったにちがいない。
 帰り路 車の中はにぎやか にぎやか〜〜疲れたはずなのに。
「また 行こうね!」と言い合える仲間がいることが、私にとってはほんとに嬉しい。


投稿者: kun - 午前 10:40 | コメント(4) | 固定リンク

2009年 4月 08日

退職祝

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 「子供一同」の文字が嬉しい。
180何人かの職員が働く学校の校長という責任から解き放たれた。
退職した次の日から、NPO法人となったばかりの施設の基礎づくりのために
調べたり あちこち出かけたりしている。
それでも週3日ぐらい働くことにしようとしているので、余裕がある。
時間的にもだけでなく、精神的にも余裕があるってことはすばらしい!
定年を迎える前から こんな時間の使い方ができたらよかったのに。
働き過ぎなくらいに働かないと認められない日本では、毎日ひたすら遅くまで
働いて 心も体もすりへらして 定年を迎えるのが一般的だろう。
 働き始めて10年ぐらいとなる長男や長女が自分の位置を確立し始めている社会に、
そして 夫が一段落終えた社会に、4月から いよいよ末っ子がとびこんでいく。
ワイシャツのアイロンかけは二人分となり、研修期間が終わるとお弁当づくりも
再開する。
 小学校にあがったばかりのピカピカの1年生だったころ、帰ってくると子供から学校
の様子などいろいろ聞くのが楽しみだった。社会人1年生の息子は、あのころのよう
な無邪気さはなく、疲れて帰ってくるので 話しかけるにも気を使うが、毎日姿を見られ
て幸せ♪
 

投稿者: kun - 午後 02:43 | コメント(4) | 固定リンク

2009年 3月 26日

イチゴケーキ

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退職祝♪と言って、友人がケーキをくださった。
その人の優しさをあらわしているかのようなキメの細かい生地と
柔らかい甘さ。手作りのものは、心が伝わってくるなぁ。



 クーシランタ宣教師が、日本での働きをこの3月末で終えられ、
フィンランドへ帰国される。
日本での滞在年数の半分の6年間を私達の教会で過ごされた。
高校の校長を退職されて、若いころからの夢だった宣教師という
道を選ばれたのが53歳のとき。
 聖書のなかで、「神はひとりひとりを愛している」ということが書
かれている。 クーシランタ宣教師は、私達を暖かく広い心でしっ
かりと受け止め、受け入れて下さることで、それはこういうことなん
ですよということを教えて下さったと思う。 
私は先生にお会いするまで、自分もこのままで、必要とされてい
る大切な存在なのだという実感があまりなかった。
 4人の子供の親としては、かけがいのない存在だとは思ってい
たが、それも子供たちが成長するまでのことで。
地域の役員などもいろいろやらせてもらったが私でなくてはいけな
いことなんてなにもない、教会の中のことなんぞなおさら、信仰深
い人たちにまかせておけばいいといつでも逃げていた。
 そんな私だったのに、ないに等しいほどの良いところを見つけて
はほめ、認めて下さった。
いつのまにか、私の存在の意味が見えてきた。
私だけでなく、多くの人たちが同じような思いをもつことができるよ
うになって、生き生きと輝いていくのがわかった。
 高齢者も 病気の人も 誰でもみんなその場所で価値あるもの
だと思いたいのだ。実際 大切な存在なのだから。  
 先生から受けたものを、(私にはその半分もできないと思うが)これ
からの生活で行いをもって周りの人に示していきたいと思っている。
 

投稿者: kun - 午前 11:14 | コメント(4) | 固定リンク

2008年 12月 26日

自家製 レモン ゆず みかん

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 家の前の元お茶畑の荒れ地がサラチになった。
地番から 地主の住所を探して、私達夫婦と畑にしたいという近所のおじさんと
ある夜 その家を訪ねた。10年ほど前 最後に見かけたその家の奥さんは
ガンで亡くなられたといううわさは聞いていた。まだ60代前半かと思われる
ご主人は、アルツハイマーなのだと 独身の息子さんがお茶を出してくれながら
話していた。息子さんはサラリーマンで農業をしないので、すっかりほったらかしに
してしまって・・・と頭を下げ、大きくなってしまったお茶の木も切ってもらえば助かる
し、どういうふうに使ってくれてもいいということだった。
 広い庭に ふたりで住むには大き過ぎる家。時代とともに 家族の形が変わるのは
自然の姿だけれど、先行きの不安を抱えた寂しさが飾り気のない薄暗い部屋に
漂っていた。できるものなら、誠実そうな息子さんのお嫁さんを世話してあげたいもの
だと話しながら帰ってきたのは秋の終わりごろ。
 それから、お茶の木は近所のおじさんがのこぎり1本で少しずつ切り、とうとうぜ〜んぶ
切られて山のように積み上げられ、それが枯れると、今度は風のないときを見計らって
燃やされた。これを自然農法を広げたいという志を持っている土建屋のおじさんが見て
一緒にやらせてほしいと土をトラックで運んできて、ブルトーザーでならしたのだ。
 私の家側のすみは、駐車場に借りることになっている。そして、その横に八朔(駿河
エレガント)の木を植える予定だ。無料でいいと言ってくれているが、たまには地主の家
を訪問して おふたりを見守る輪に連なっていきたいものだ。


投稿者: kun - 午前 10:08 | コメント(2) | 固定リンク