2008年 11月 05日
しょうが焼き
水菜 ねぎ ピーマン しょうが 畑から調達。
残っているおもちゃもそろそろ 処分しようとしていたころ、4番目の子が
生まれた。その末っ子が小学校にあがるころは、長女は大学生になっていた。
結婚が早ければ、おもちゃなどそのまま 使えるかもしれないと、きれいに
使ってあるものは保存しておいた。自分が使ったものを自分の子どもが使う
なんて、夢があって 楽しいと子どもたちが喜ぶだろうと思ったのだ。
今のあなたたちが子どもを大切に育てているように、私たちもあなたたちを
一生懸命 愛を注いで育てたのよ〜ということをおもちゃが伝えてくれるような
気もした。
↓最近 長男の息子のケンが喜んで遊んでいる木製のぞうさんの押し車は、
長男が1歳の誕生日に(亡き)おじいちゃんが買ってくれたもの♪
ちょっと ガタガタしていたのを新おじいちゃん(夫)が直した。
座るところのフタをとると、中には”キンニクマン”の
おもちゃがたくさん入っている。
これは、叔父さん(次男)が集めたものだ。
口に入れてもいいように私が熱湯消毒をした。
消防自動車のミニカーは、三男が覚えがあると
このまえ 帰省したとき言っていた。
子どもたちが遊ぶ姿を思いだし懐かしく目に
浮かべながら、孫が遊ぶ姿を見られるとは!
こんな幸せなことはない。
出番を待っているおもちゃたちを、これからも
時期に合わせて 少しずつ 登場させるつもり。
2008年 10月 23日
ねぎ豚肉
塩 こしょう 酒で肉を焼き、ネギを入れる。
居酒屋さんなどに行くと、「ネギマ」を注文することが多い。
(多かった・・と言ったほうがいいかな? この頃 とんと行かなく
なった。)豚肉をある程度のボリュームを持たせつつも、火が通り
にくいから、焼いていてネギが焦げない程度の厚さにしなければ
串で焼くのは難しい。それで、味は「ネギマ」風にして、時間差を
つけて焼いた。今年も、虫の攻撃をくぐり抜け、ネギが育っている。
夜の犬散歩の途中、ファックスを借りるために(一応 そんな理由を
つけ)息子の家に寄った。まず ケンを抱っこしたが、とりあえず 先に
ファックスを借りようと ケンをジイジのそばにおき、立ち上がって 玄関
のほうに行くと、居間から泣き声がしてきた。私が、帰ると思ったらしい。
急いでママが連れてきて、私に抱っこすると泣きやんだ。
まさか、孫が私の後を追うようになるとは!!
時々 会うだけなのに〜この人は自分のことを特別に大切に思っている
ということを認知してくれたってことなのよね♪
4人の子育て中は、どの子にも後を追われたが、そのころは それが
これほどに嬉しいとは思わなかった気がする。今は、これって なんて
幸せなんだろう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜としみじみ。
よく 連れてきてくれるし、行っても自然に迎えてくれるママには、感謝
しなければ。やはり なんといっても子供にとってママが一番なんだし
実際 そうなんだから、ママをたてていかなくてはいけないし、お姉ちゃんが
やきもちを焼かないように気遣っていかなくては〜と思う。
2008年 10月 03日
さつまいもなどと豚肉の炒め煮
ナスとピーマン、さつまいもに 豚肉。
野菜は家の畑で採れたもの。それぞれ 別に塩こしょうで炒めてから、豚肉に
醤油・砂糖・酒・みりんで味付けし、そこに全部入れて合わせて味をなじませる。
さつまいもは硬いので、切るとき 添えた左手にひびいた。
昨日は、じっとしていても ズッキーンと左腕の付け根の肩が痛いし、
動かせば、悲鳴をあげてしまうくらいで、横になるのも寝返りをうつのも
起き上がるのも大変で、つらい一日だった。 お風呂に入らないと眠れ
ないほどの風呂好きなのに、入る気力もなく11時頃横になったが、眠れず
起き上がって 座ってうなだれていた。
病気で倒れ半身がマヒしてしまった友人が、不自由になった半身が「いつも
痛い」と話していたことを思い出した。私は肩だけだけど、友人は半身全部だ、
そのつらさはまだまだわかるようで、本当にはわからないだろうと思えた。
どういうふうにしてその困難と闘っているのだろうか・・・と。
こういう眠れないときは、聖書(でも)読もうかと出してはみたが、開きも
せず、頭の中は、「痛いイタイ痛い」のことばが充満。
50肩はすぐに治るわけではないんだから、どうせ祈ったところで痛いのは
続くんですよね。。。と前置きして〜こんなとき祈りがなんになるんですか?!
祈りがきかれることを信じて祈らなければきかれないとは、神様もうまいこと
言うもんだわ!などと悪態をつきながら、ようやく聖書を開いたものの2章読む
のがやっと。
今日はアサイチで病院に行き、レントゲンをとってもらうと、典型的な50肩なの
だそうで。 注射を打てば、回復が早まるから 注射を打とうと言われた。
注射は嫌いだから。。。とごねたが、説得され〜 患部に注射を打ってもらい、
痛み止めの薬を飲み、シップをすると、なんとなんと 激痛はおさまってきて
こんなに長々 文章を書く気にもなれて、嬉しい。
(老化により)石灰質がたまり、運動もせず 無理をした拍子に、痛みが出る
ということなのだそうだ。パソコンをやるのも、姿勢が悪かったりすると肩などに
負担がかかるらしい・・・・先週は、ブログこそ更新しなかったが、文書作りのために
長時間 パソコンの前にいて疲れたのも原因のひとつだったかもしれない。
肩に限らず、無理はしないで ストレッチやウォーキングをしたり、頭の老化進度
を遅らせるためにも読書をしたり、新しいことに挑戦したりしないとめざす健康老人
になれない!!とつくづく 反省している。
2008年 9月 13日
鶏肉の酢からめ
一口サイズの鶏肉を塩こしょうし、衣(小麦粉 卵 水)をつけて
揚げ、フライパンで熱した酢・砂糖・醤油少々のタレをからめる。
花の手入れをしていると、杖をついた(半身マヒらしい)おじいさんが
「ばあさんが生きていたら、『きれいだね』と言うと思うよ」とニコニコして
声をかけてくれた。昨年 亡くなられたのだそうだ。
朝夕と違って通る車の数も少ないから その時間帯を選んだのかもし
れないが、暑くて大変そう・・・おばあさんがそばにいたら、散歩は
もう少し涼しくなってからにしたら?と言ったかもしれないなぁと思いな
がら、後姿を見送った。
誰かが心のなかで生きていて、その人がここにいたら こう言うだろう
こうするだろうと想うことは私もある。その人たちは、亡くなった父 義父
祖母だったり。
キリスト教の信仰をもつ者としては〜イエス キリストが私のなかで生きていて、
イエス キリストだったらこう思うだろう、こう言うだろう、こうするだろうと想像し
考えて私が動かされたいものだと思っている。考えなくても そういう
思いや言動や行動がとれたら それはさらになおいい。90歳ぐらいになったら
それに近づけるかな?
(って。。。 めちゃめちゃ長生きする気でいるよ、この人!(^_^;)
2008年 8月 01日
ナス詰めグラタン
いつもの犬散歩コースのところに新しい家が建てられている。
”なんとか林業の家”というだけあって、そこを通ると木の香りが
漂ってくる。「いい香りだね」「懐かしくなるような香りだね」など
などと毎日言い合っていた。
「まさか木に香料をつけてあるんじゃないでしょうね?!」冗談で
自分で言っといて、自分がウケテしまい 笑ってしまった。
そんなことあるわけないと思いつつ、心の奥底で「ありうる!」
とつぶやいてしまう・・・ありえないと思うようなことが現実に
様々な業界で起こっているから。
もうひとつ ありうると最近 思っていることがある。
「セルフ給油」の機械〜ガソリンを入れるとき、量と料金の
数字が動いて 満タンになると自動で止まる。
この数字の操作は、微妙に設定することができそうだ。
量の数字を実際の量より少しだけ大きくするだけでも、総利益
は変わってくる。
人に知られないようにできても、神様に知られないことはない。
神様はいつも見ている。それを信じることだけで生き方が違って
くるものだと思うが。
2008年 7月 23日
ゴーヤ チャンプル
ゴーヤが苦くなかったらこんなに美味しいと思わないかも
しれない。苦さがさわやかで
箸がすすむ。
今 与えられているものに感謝の思いをもつこと。
これがなかなかできない。
自分のそれより もっと いいものを人が持っていると
うらやましいと思う。それが手にいれられそうにないと
それを持っている人をねたましくさえ思ってしまったり。
持ち物 能力 容姿 環境・・・欲求は際限なく広がり、
そこに感謝の念は入り込めない。安らぎもない。
2008年 7月 03日
豚(スペアリブ)の角煮
圧力釜使用。大抵の圧力釜の料理ブックには、
作り方が載っている。その通りに
やれば、ほろりと身がほぐれる程に
柔らかく仕上がるはず♪
夫出張から帰宅〜2泊だった。息子が夜遅く帰ってくるので、
たったひとりよりもいくらか寂しさが違った。
それでも、目が覚めているときはひとりで・・・
「亭主元気で留守がいい」と言う妻たちは、どうしてそう思うのか?
夫がいるせいで やりたいことができないからか・・
(何も家事をしない)夫のためにしなくてはならないことが沢山あって、
そのくせ夫はそれが当たり前と思っている?!
と、まあ そんなんであっても、それでも いつもそばにいたい、
いて欲しいと思うか思わないかは、妻次第?夫次第?
あ・ 私は、「留守がいい派」とちゃいますよ。(^^;)
2008年 6月 07日
焼き豚(ソフトボールコーチ作)
焼き豚をいただいた。
(持病が出たのか)具合が悪いので、病院へ一緒に行って欲しいという
宣教師からの電話を切った1秒後位にピンポ〜ン。
出かける前に急いで夕飯の支度をせねばと思ったまさにその瞬間!
なんて グッド タイミングゥ〜〜〜♪♪♪
包みを受け取るとまだ温かい。元肉屋さんだったコーチが作る焼き豚は、
忘年会などのとき差し入れてくれたので、みんなで美味しくいただいた
ものだった。
ソフトボールを辞めて一年半・・・・引き止められても耳を貸すこともなく
さっさと辞め 振り返ることもない私のことなんぞ忘れられていて当然なのに
覚えていてくれたことがありがたくて、今しみじみ思うと涙が・・・。
もうなんの関わりもない者に こうして手作りのものを届けるなんて
私には さかだちしても できない。
焼き豚を切り レタスを添え、肉じゃがを作り〜急いで宣教師宅に。
救急で受付をしたのは 午後6時少し前。一応入院の支度をして
行ったが、採血 レントゲンなどの結果そうするまでもないということだった。
混雑していたので、4時間もかかってしまったが、家に帰ってこられて
嬉しそうな宣教師を送り ほっとひといきつき 遅い夕飯。レタスと一緒に、
きゅうりと(アンケート用のペンぐらいの細さの←いつも書くからわかってるって?!)
アスパラガスも添えられていて♪
気を利かせ 畑から採ってきて 豪華に飾ってくれた夫は 得意気に
「アスパラ だんだん 太くなってきたよ」・・それに関しては
ノーコメントだけれど、瑞々しくて 味わい深い。
2008年 6月 04日
チキンステーキの玉ネギかけ
親戚をたどると、食べ物関係では「あんこ屋」「おすし屋」「八百屋」(今はない)
があった。子供の頃、親や祖母に連れられて行き、店の裏側(内側?)
で子供の視線で見た思い出がいくつもよみがえってくる。
昨日伯母の葬儀のため、兄夫婦 弟と母と1台の車で浜松へ行ってきた。
親戚だったおすし屋さんで若い頃 働いていた伯母は、お寿司を握る
手つきがあざやかで、出しまき卵を作るのもじょうずだった。
まだ20代の頃私が作った筑前煮を「味はいいけど、蓮根はコリコリ
しないとね〜あと一息!」と言って食べてくれたっけ。
伯母が作る味噌汁は、細かく刻んだ小ネギが表面にすきまなく
青々と浮いていた。私が作るものも「ネギの入れすぎ!」
と言われるくらい つい入れてしまうのは、この伯母の影響だ。
昨日集まった(母方の)親戚の中で食べ物関係の仕事で成功したのは
一番年長の従兄弟。(もうひとりの伯母の長男)
http://www.shunkado.co.jp/unagipai/unagipai_birth.htm(写真右)
春華堂のうなぎパイといえば、静岡のお菓子としてお土産にも
喜ばれているようだ。昨日は、帰宅して やれやれ〜とお茶を入れ
↓このとら焼きをほおばりながら、
http://www.shunkado.co.jp/gallery/g_w_torayaki.htm(美味しいよ!)
バターの値上がりのため、お菓子の値段もあげざるをえなくて、6月から
値上げをしたと残念そうに言っていた従兄弟のことを思い出していた。
親の世代の人達が亡くなると、いとこたちとの関係もだんだん
遠くなっていくような気がする。次の世代の子供たち同士は はとこだが
家が近かったりして付き合いがあれば別だけれど、きっと もう他人のように
なるんだろうな。
2008年 5月 28日
ベージュ和え
豆腐をつぶした中へ、ごまをよくすって入れたので ベージュ色になった。
なので ベージュ和え♪
今日も真夏のような日だった。
花を手入れしていたら、自転車に乗った白髪のおじいさんが
通りかかった。なんとなく 気になって、振り返って見たら、
ちょうど家の前を過ぎたあたりで、ヨロヨロガシャンところんでしまった!
もうあっという間で・・・
顔面をアスファルトの道に打ち付けたその瞬間を見てしまった。
猛ダッシュで駆けつけ、大丈夫ですか?と声をかけると座りこんで
鼻を押さえている。鼻の頭と鼻の下をすりむき、鼻血が出ていた。
車が来たので、とりあえず道の脇に自転車とお爺さんを誘導し、
消毒薬やティッシュを取りに走り。
応急処置をして、他に痛い所はないかと聞くと大丈夫と言う。
ソロリソロリと自転車を引いて行く後姿を見ているとたんぼの角を
曲がったあたりで、乗り始めた。
・・・・心配で・・・落ち着かないので 自転車を走らせた。
捜したけれどいない・・家についたのかなと思って帰ろうとすると、
1本 向こうの道を歩いている姿が見えた。
驚かさないようにそっと近寄って 歩きながら話を聞くと、
子供の同級生の家のお爺さんだった。
家までもう少しという所だったので、引き上げてきた。
骨折はしてそうになかったけれど、きっと 打撲で痛いだろうなあ。
父が生きていれば同じぐらいかな。
父は、社交ダンスを楽しんだり 仕事もし 歩く姿も勢いがある頃
倒れ そのまま逝ってしまったので 80代の父を知らない。
老いて生きるということはなんて大変なんだろう。
なにもない 平らな道なのに・・