2010年 8月 14日
鶏の照り焼き
フィンランドとドイツへの旅が、NO3まで 進んだ。
あせることもないな・・とのんきに構えている。
が、9月 中旬に、教会でスライドによる旅行記を発表するので、
それまでにはなんとかしたい。
猛暑続きの日々。
久しぶりに友人といろいろ話した。
「つぶやかないようにしようと決めた」と彼女。
えらいなあ♪
見習わなくっちゃあ。
私は、振り返ってみると つぶやいてばかり。
言葉に出さなくても、心の中で つぶやいている。
猛反省したら、急に片付けたくなった。
台所の調理台の引き出しから 食器戸棚、出しては片付けた。
捨てられなかった食器も、少し処分した。
空きスペースができたら、食器を買いたくなるかな?と思っていたが
それほどでもない。
お風呂の洗い場の汚れも やけに気になって〜ゴシゴシ。
海上花火大会は 雨が降りそうだから 延期かもねと昼間 話していたが、
花火があがりだしたと夫が二階で 呼んでいた。
小さい花火は見たくないし〜行くのを渋っていたら、わざわざ迎えに来て
「だまされたと思って 見てごらん! 小さくてもきれいだよ♪」と言う。
仕方なし行くと、特等席を用意してくれてあって、「はい ここに座って!」
途中 双眼鏡で見たりして 結構 楽しむことができた。
花火大会が終わると夏も終盤戦に入る感じがいつもしているが、
今年の夏は、いつになったら 終わるやら・・(また つぶやいてしまった)
2010年 5月 19日
酢豚
母の衣類の片付けをしている。
一部屋が山になり、埋まってしまうほどの沢山のもの。
ここ2年ほど、その季節ごとに着るものが決まってしまっていた。
「いつも 同じものを着ているねぇ・・・」
「これが着やすいんだよ」
「一体いつ洗うの?! (下着は替えてるんでしょうね?)」
「昨日 洗ったよ」
「汚れてるねぇ・・・きたならしいね・・(縫ってある?!)」
「そう?」
他にも着るものはあるはずだ・・〜というわけで、床の修理をすることにもなったので
全部出してみた。 これまでは、自分で管理できていたので(と思っていたので)、
触れない領域だった。 あるは あるは〜〜〜〜〜〜!
全体的に、きれいにきちんと大切に保存してあったが、湿気が多い家なので、カビくさい。
母をよび、一枚一枚 見せて、「どうしよう、これ とっておく? 私にくれる?捨てる?」
とやり始めた。
最初のころは、「こんなのがあったんだ?! どこにあったぁ?!」と感動さえしていたが
そのうち「あああ 疲れた〜もう いやんなっちゃった。あんたが捨てるとも持ってくとも
して」と立ち去った。
それから、日があいているときに行き、時には 夜の8時過ぎまでかけ、ようやく少し
片付いてきた。
姉(伯母)が洋装店をやっていたので、独身のころ そこで洋裁を習っていたこともある母は、
とってもオシャレで、特に私たち兄弟が結婚して家を離れてから、洋服を作ってもらったり、
買ったりすることが楽しみだったようだ。もとい〜ようだ〜ではなく、楽しみだったのだ。
同じようなものが何枚もあるのには、あきれた。 バッグも帽子の数も、私の感覚から言うと、
もしかしたら病気だった?!と思うほど。
10年以上前 体型が変わった70代のころ、50代ごろまでに着た派手な花柄もの、ピンクや
赤が基調のものなどをなぜ 手放さなかったんだろう?
(その問いをつきつめると、長くなりそうなので省略)
その頃 子供の教育費の占める割合が大きかった娘(私)の家庭では、私の被服費はゼロに
近い状態だった(今でも あまり変わらないけど)。 きっと 喜んで着たろうだろうに。
そう思いながら、家に持ってきたものを手洗いしたり、クリーニングに出したり、まだ 母が着れる
!とまた 持って行ったり。「おばあちゃんの物を持ってきてからか、目がかゆい」と息子が言うので、
倉庫に運びこみ 少しずつ 整理している。
捨てるものも多く、再利用するには、時間も手間もかかる。
自分のものは できるだけ 自分で片付けができるうちに片付けたい、物はなるべく少なく〜
というのが、母から受けた教訓だ。
2010年 4月 24日
筍とスナップえんどうの煮物
この世に生まれてたった2年しかたっていない幼児の思い、 話すことは面白い。
居間に置いてあった私のバッグの中から サイフを見つけ、そのサイフから
一万円札を出し、両手でもち
「バーバ コレ ドコデカッタ?」
思わず 笑ってしまい、なんて答えようかしどろもどろ。
「銀行で おろしてきたの」
(おろすということばなど)わかるはずないと思いながら、なんて言ったらいいか
わからなかったので。。。
「ケンチャンモ ギンコー イキタイ」真剣な顔をして言う。
なんかよくわからないけれど、これはとっても大切なものであるらしいと思っているようす。
大人たちがそれを扱っているときの雰囲気から感じるものがあるのだろう。
この孫が眠った顔を見ると、まさしく息子だ! とタイムスリップしたような感覚を
もつことがある。ときには、ヒロ(三男)がいる!と思うこともある。
2010年 4月 23日
揚げ鶏肉と野菜の中華風
ショルダーバッグの中に車の鍵を入れ、買い物に出かける。
買ったものを、カゴや大きな袋に入れ、車まで運び 家に着けば
車から台所に運び 冷蔵庫に入れるものは入れて ヤレヤレ〜とゆっくり
している暇もなく 食事の準備にとりかかることになる。
今の車は、バッグに入れたままでも 車のドアが開け閉めでき エンジンも
かかるので とっても便利だ。 しかし・・・・車を 夫と二人で使うので
鍵は所定の所に置いておかねばならない。
夫が車を使おうとするとき、鍵がない!! どこに置いたんだよ!!ということが
しばしば起こる。 私のバッグの中なのだ。
最初のころは、「あ〜〜ごめん」で済んだけれど、何回もこれが重なると 夫も
「まったく もう!!」ということになる。 腹をたてる夫をみて、気をつけようと思うんだけど
これがなかなかできない。 大体 両手に重い荷物を持っているので、車の鍵を入れる
引き出しのところは、一気に通り過ぎて 台所に直行するんだもん・・・(←いいわけ)
それで すぐ 次の仕事にとりかかるから、鍵のことはすっかり忘れてる。
もう ひとつの鍵を私が持っていればいいんだとある時 気づいて、バッグに入れて
おくことにした。しかし、バッグを替えることもあるので、探して見つからないと
きちんと(夫が)しまってある鍵をさっと持って あわてて 出かける。
帰ってきて またバッグの中にそのままで・・・
鍵を手に持っていないと車を開け閉めできなかった前の車では、起こらなかった
ことだった。 手にもったまま帰ってくるので、所定のところにとりあえず置いたのだ。
車を買い替えた時期と夫が家にいるようになった時期が同じだったから もう大変。
この一年 何回 やってしまったことか。。。私自身も自分に腹が立ち 情けないと思う。
時には、自分のいい加減さを棚にあげ、「いいじゃん、別に決めたところになくても
言われれば出すんだし。そんな怒ることでもないでしょ! 大体ねぇ、すべてにおいて
こうでなければならないということが多すぎじゃないのぉ!? 几帳面といえば聞こえが
いいけど〜融通がきかないというかなんというか・・・」と(心の中で)逆ギレする。
自分のうっかりさを棚にあげついでに思う、「最近の車の鍵は便利になり過ぎてるから
悪いんだよ!」
2010年 3月 02日
ジンギスカン
長野の人からいただいた。
長野あたりでは、普通にジンギスカンがスーパーなどで売られているのだ
そうだ。
冬季オリンピックが終わった。
いよいよ3月に入り、これから3ヶ月ぐらいは、蚊もいないし 花の手入れをする
には楽しい絶好のときだ。
庭仕事をしていると、「花咲かおばさんが動きだしたね!」と近所の人に言われた。
今 ラッパ水仙が咲き始め、フリージアもあちこちで沢山の花芽をつけ、こぼれ種の
ネメシア 勿忘草 ネゲラ アゲラタムなどがぐいぐい大きくなっている。
苗でいただいたシザンサスもみごとに育っていて、花が咲くのが楽しみ♪
昨年秋に長野を旅行したとき、お店などの軒先に飾られていた、大きな葉と花を
つけたピンクのミセバヤが素敵だった。
家にあったミセバヤは、わりとほったらかしていたので、小さくて 途中で病気に
なったりして、やっと生きているような状態だった。 反省して〜昨年 4つの鉢に
植え替えた。 豆粒ほどのかわいい小さな芽を出し、日に日に大きくなっている。
2010年 2月 20日
大根と木の実サラダ(持ち寄り食事用)
大根・・・形は悪いし 虫も入っているのもある。
短冊に薄く切り 塩をふって 少し置いてあるものを見つけた2歳の孫が、
「ダイコン チョーダイ」
「はい どうぞ♪」と一枚を口に入れてやる。
「しょっぱいかな?・・・」
「ショッパクナイヨ、オイシイヨ」口をとじ、コリコリ食べる。
クチャクチャ食べないし、口のわきに食べ物がつこうものなら、上手にそれを口に入れる。
この子の父親は幼いころ、口元を汚しながら、もっと大胆に?食べていたと思うが。
息子妻に言うと「今は、パパもきれいに食べてるけどね」と笑っていた。
ママの食べ方や食べさせ方がいいから〜と思っている。
「モット チョーダイ」
「はい、どうぞ♪ 良かったね、おいしくて!ジージが作ったんだよね」
「ウン オイシイ!(かみしめるように) モット チョーダイ」
「このまえ いっしょに抜いたねぇ、ウントコショ ドッコイショって」
20枚ぐらいは食べる。
ホウレンソウ・・・抜いてきてゆで、鰹節を削ってかける。
鰹節を削る音がすると孫はとんでくる。削るほうもとんでくるのを待っているんだけど。
「タベターイ!」引き出しを引いて、削ったばかりの鰹節を食べるのが好きだ。
ネギ・・・スプーンでご飯をすくい、その上に小さなお刺身と倍ぐらいの量の刻みネギを
のせて食べる。お刺身にはネギ、納豆にもネギ、味噌汁にもお吸い物にもネギがあると
おいしいと小さいながらに孫は感じているらしい。採ってきたばかりのネギは、辛いときも
あるのにネギだけでも拾って食べることもある。
「辛くないの?」
「カラクナイヨ、オイシイヨ」
「バーバモ タベテ」口に入れてくれる。
「う〜〜ん 最高だね!」
ブロッコリー・カリフラワー・・・ゆでたてをつまんで口にほおばる。
「木みたいだね、パクッ」
「(小さいのと大きいのがあると)コレ ケンチャントパパ」
昨日はカナダの料理教室に、夫と息子妻が行ったので 孫と散歩がてら見学に行った。(800m位)
その帰り、孫は眠くなってしまい 最初はオンブで途中から抱っこしたあたりで眠ってしまった。
「神様 こんなにかわいい孫を与えていただいて感謝します!」と寒くないように上着でおおい
抱きしめて帰ってきた。これが 同じ重さの物だったら〜きっと耐えられなかったと思う。
2010年 2月 11日
揚げチキンの野菜のせ
ドイツ旅行のときも、トルコへもご一緒した方とゆっくり話す機会があった。
信頼関係はあるけれど、特にじっくり話したことはなかった。
思えば、そういう関係の人は周りに多いということに今更ながら、気づく。
話し相手として苦手なのは、
自分中心の話題にもっていき、子供自慢やらなにやら ひたすらしゃべる人
こちらの話すことの上げ足をとったり、意見口調になる人・・・
そういう人とは、できれば話したくないと思う人(←私)は、人を受け入れる
度量がないということを証明しているようなものなんだけど。
そんな私だが、今日は楽しいひとときだった。
彼は、そういう人の対極にいるような方だから。
子供さんが大学を卒業され就職が決まったと聞いたので、「どこの大学だったん
ですか?」と聞くと「東京大学の医学部です」と穏やかに笑みを浮かべて言われた。
「良かったですね!! おめでとうございます♪」と心から 祝福の言葉が出た。
一度お見かけしたことがあるあのお嬢さんが産婦人科のお医者さんになられるという。
きっと 優しく 腕のいい お医者さんになるだろうと思う。 ご両親もどんなにか
嬉しいだろうと思うと幸せな気分になった。
そう思える自分がなんだか成長したような気がしたが・・・実は、そうではなく
彼の人柄のせいだろう。
”喜ぶ者とともに喜び 泣く者とともに泣きなさい”という聖書の言葉がある。
喜ぶ者とともに喜ぶほうが、泣く者とともに泣くことより難しいのではないかな。
喜ぶことを邪魔するのは、嫉妬? 涙もろい私には、泣くことはわりとたやすい。
2010年 1月 12日
カシューナッツ炒め
鶏肉を買っておいたのに、入れるのを忘れた・・・
遅く帰宅した三男
「これ 肉が入ってないじゃん。こんなのいやだよ」
そこで、初めて入れ忘れたことに気付いた。
先に食べていた二男に、お肉を入れてないことに気付いてた?と
聞くと、「もちろん!」という答え。
でも、このごろ太り気味だし〜
食べてみたら うまかったから、言わなかったと。
夫は、そういうものだと思って食べたとのこと「美味しかったよ」だって。
三人三様で面白い。 と言ってる場合ではない。
結構たくさん 鶏肉を買ってあったのに、なんで忘れるんだろ、ワタシ。(-_-メ)
2009年 12月 29日
ローストビーフ
長男の家族と一緒に、おばあちゃん(義母)のいるグループホームを訪ねた。
部屋で車椅子のおばあちゃんを囲んでおおにぎわい。
私たちが行くといつもニコニコ迎えてくれるホーム仲間の○○子さんも部屋
に来て、かわいい幼子の姿に目を細めてくれた。
おばあちゃんの髪を私が梳いていたのを見ていたからか、2歳の曾孫が、
背伸びして手を伸ばし〜なにをするのかと思ったら〜おばあちゃんの頭を
そのちっちゃな手でなでた。 おばあちゃんは、そのしぐさに顔をほころばせ
「ありがとうね。もったいないから、○○ちゃんがなでてくれた頭を洗わない
ようにするよぉ」と感動していた。
幼子は、いつも幸せを運んでくれる天使♪
2009年 12月 13日
チキンソティクリームソース
聖書には、「人を愛しなさい」と書かれているけれど、「人を好きになりなさい」と
は書いてない。 と渡辺和子さんは講話集の中で話されていた。
生理的に好きになれない人がどうしてもいるもので、それは仕方ないことなのだと。
夜、プロテスタント他宗派の教会のクリスマス会に、その教会の教会員である
友人に誘われて行った。
教会のクリスマスは、自分の教会のクリスマスで十分満足できるのだけれど、
友人が誘ってくれたので、なにか得るものがきっとあるかもしれないとも思い
(お付き合いで?!)行くことにしたのだ。
私の教会のクリスマス案内チラシを2枚 持って行った。
一枚は、その友人に! そして、あと一枚を誰かさんにお渡しできますように
と祈りつつバッグに入れた。
一緒に行った友人は下足番の係だったので、40分も前に教会に着いた。
私は、前の席に座ってきょろきょろしながら、持っていったクリスマス案内チラシを
渡せる人を探していたが、みんな知らない人たちばかりで・・・
あきらめていたとき、マスクをした女性の目に見覚えがある人が入って来られた。
その方は、8年ほど前まで 私たちの教会で役員をされるほど深く教会に
結びついていた。それが、任期が終わるか終らないうちに、突然教会に見きりを
つけたように、来られなくなった。
そういう人たちも残念ながら 何人かあるのだけれど、その中で 私にとっては
どちらかといえば にがてな部類で、積極的に話をしたくない人だったのだが。
始まる前、「お久しぶり!」と挨拶程度の会話をした。
知り合いに たまたま誘われて来たのだそうだ。
終わったあと、彼女はさっさと、帰られようとされた。
そのあとを追い、玄関で、クリスマスの案内を渡し 話すことができた。
クリスマスに来られないかもしれない、そうだとしても きっと 私を通して、
「待っているよ」というメッセージは伝わったと思う。
一枚のクリスマス案内を手渡すことができた人は、大好きな人というわけでは
なかったが、大切な人ではある。
この世的には、「会いたい人には会えず、会いたくない人に会うものだ」などと言う
のだろうが、それにも ”わけ”があると思える。