2007年 9月 08日
ニラレバー生姜煮
鶏レバーを切り、牛乳に浸し その後ざっと茹でこぼして臭みを取る。
しょうがの千切り・レバー・砂糖・酒・醤油・味醂と入れ味付けし、
最後にニラを入れる。
高校の同窓会報が送られてきた。
74歳の元英語教師が、『差別礼賛』というコラム風の記事を書いていた。
大臣だったら、タイトルだけですぐさま引きずりおろされますわよ〜センセェ!
「差別されることにより 憤激し発奮する」(抜粋)
他に抜きん出て他と差をつけること、何らかの形で一番になろうと
努力することが一番大切と説く。
SMAPの”世界にひとつだけの花”のような心境に 若者はなってはダメだと。
うーーん それぞれが自分の成長の目標を持つことは大事だと思うけど、
それは他と差をつけるためでしょうか?
相当数の様々な境遇の同窓生が見ていることを頭におき、
みんなが希望が持てるような記事を書いて欲しかったな。
英語ばっかり勉強されてたんだね、きっと。
”区別”と”差別”・・混同してると思います。
今夜は、清水で学年の同窓会がある。
前回も 出席されていたし、きっと見えるだろう。
読みましたぁって 反応を探ってみようかな。
コメント
よしひろ:
差別をバネにして頑張るというのは淋しく悲しいですね。努力すると言うエネルギーは心の中から湧き上がる生きる喜びから来て欲しいと思います。
その先生の「読みましたぁ」、と反応を探ってみても満足できる答えは帰ってこないと私は思います。
こちらの都会ではかなり高度なレベルで人種差別はありません。しかし田舎へ行くとまだ古い人種差別が残っています。その実態は程度の低いものです。真剣に対処する価値が無いほど低度です。
先週の教会の説教で牧師が言ってましたが、私たちは如何なる差別を受けるいわれはない。一人一人は神様から祝福された存在だからです。しかし差別を受ければ何らかの反応を示さねばならない。
差別をする人の世界は狭いと思います。差別する心にはもっと広い世界があるということを理解出来てないのです。
差別の動機は一つではなく、多く有ります。自分たちの文化の優越性を守りたいと言うこと、経済的に自分たちのグループを守りたいと言うこと、単に違う肌の色を嫌うと言うこと、変化の激しい社会に置いてきぼりを食らったグループが自分たちの古い価値観にしがみつき、広い人類皆平等と言う価値観に付いていけないのです。
もし自分が差別されれば、差別される人の気持が理解できるようになれば意義があると思います。弱者の気持ちが分かり、自分が傲慢にならないように心がけられるようになれば良いですね。
その先生の「読みましたぁ」、と反応を探ってみても満足できる答えは帰ってこないと私は思います。
こちらの都会ではかなり高度なレベルで人種差別はありません。しかし田舎へ行くとまだ古い人種差別が残っています。その実態は程度の低いものです。真剣に対処する価値が無いほど低度です。
先週の教会の説教で牧師が言ってましたが、私たちは如何なる差別を受けるいわれはない。一人一人は神様から祝福された存在だからです。しかし差別を受ければ何らかの反応を示さねばならない。
差別をする人の世界は狭いと思います。差別する心にはもっと広い世界があるということを理解出来てないのです。
差別の動機は一つではなく、多く有ります。自分たちの文化の優越性を守りたいと言うこと、経済的に自分たちのグループを守りたいと言うこと、単に違う肌の色を嫌うと言うこと、変化の激しい社会に置いてきぼりを食らったグループが自分たちの古い価値観にしがみつき、広い人類皆平等と言う価値観に付いていけないのです。
もし自分が差別されれば、差別される人の気持が理解できるようになれば意義があると思います。弱者の気持ちが分かり、自分が傲慢にならないように心がけられるようになれば良いですね。
(2007年 9月 08日 午後 02:17)
kun:
よしひろさん
さきほど 帰宅したところです。
今回は 先生方は呼ばなかったのだそうで 残念ながら? お会いできませんでした。
>努力すると言うエネルギーは心の中から湧き上がる生きる喜びから来て欲しいと思います。
与えられているタラントを引き出し 伸ばすことは よしひろさんが言われるように 生きる喜びですよね。
それが・・他の人たちと差をつけた・・と喜べるとは 悲しいですね。
差別には、能力的なもの 人種差別など いろいろあると思いますが、それを”礼賛”とは。。。
もし今日会えたら、逆切れされても困りますので 様子を伺いながら 探ってみようかと思いましたが、残念でした。
聖書に基づいた牧師たちが書かれた文章を読むことが多いせいか、私は敏感に疑問を持ちますが、恩師の言われたことを素直に受け入れようとする人たちもいると思うので 困るなあと思います。
さきほど 帰宅したところです。
今回は 先生方は呼ばなかったのだそうで 残念ながら? お会いできませんでした。
>努力すると言うエネルギーは心の中から湧き上がる生きる喜びから来て欲しいと思います。
与えられているタラントを引き出し 伸ばすことは よしひろさんが言われるように 生きる喜びですよね。
それが・・他の人たちと差をつけた・・と喜べるとは 悲しいですね。
差別には、能力的なもの 人種差別など いろいろあると思いますが、それを”礼賛”とは。。。
もし今日会えたら、逆切れされても困りますので 様子を伺いながら 探ってみようかと思いましたが、残念でした。
聖書に基づいた牧師たちが書かれた文章を読むことが多いせいか、私は敏感に疑問を持ちますが、恩師の言われたことを素直に受け入れようとする人たちもいると思うので 困るなあと思います。
(2007年 9月 08日 午後 11:47)
よしひろ:
そうかぁ・・長い文を書きましたがちょっと半分早とちりでした。
本のタイトルから「差別されることから憤激し発奮」と早とちりしたのですが、内容は「他に抜きん出て他と差をつけること」だったんですね。
いずれにしろ他を差別してもいけない、他から差別されるいわれもない、と言うことだと思ってます。
それにしても教師とは生徒に多少は影響力を持ってますが、教師と生徒との出会いは偶然ですから、人生は面白い面とコワイ面がありますねぇ
生徒だけでなく人は善悪を見分ける力を持ちたいものです
本のタイトルから「差別されることから憤激し発奮」と早とちりしたのですが、内容は「他に抜きん出て他と差をつけること」だったんですね。
いずれにしろ他を差別してもいけない、他から差別されるいわれもない、と言うことだと思ってます。
それにしても教師とは生徒に多少は影響力を持ってますが、教師と生徒との出会いは偶然ですから、人生は面白い面とコワイ面がありますねぇ
生徒だけでなく人は善悪を見分ける力を持ちたいものです
(2007年 9月 09日 午前 01:20)
くん:
よしひろさん
文章というのは、受け取る側のそのときの思いなどによって 少しずつ理解が異なるものになっていくものですから、困ることもありますが きっと それは当然起こることで避けられないものであるんでしょうね。
文章に限らず 言動などすべて そうでしょうが。
>いずれにしろ他を差別してもいけない、他から差別されるいわれもない、と言うことだと思ってます。
ほんと ほんと まったくだ!(`へ´)
>善悪を見分ける力を持ちたいものです
そうですよね!
文章というのは、受け取る側のそのときの思いなどによって 少しずつ理解が異なるものになっていくものですから、困ることもありますが きっと それは当然起こることで避けられないものであるんでしょうね。
文章に限らず 言動などすべて そうでしょうが。
>いずれにしろ他を差別してもいけない、他から差別されるいわれもない、と言うことだと思ってます。
ほんと ほんと まったくだ!(`へ´)
>善悪を見分ける力を持ちたいものです
そうですよね!
(2007年 9月 09日 午前 07:33)