2015年 3月 08日
たくわん
焼津礼拝堂のことが載っている新聞記事の中で、菅野君江さんが話した
ことばが出ている。
このたくわんは、その菅野さんからいただいたもの。
自分の畑で作った大根で、糠と塩だけで作ったものだから、安心して
食べられるよ!と今年もいただいた。
みんなに いつも分けてくれる。
暖かくなるとすぐに、すっぱくなってしまうから〜美味しいうちに食べて!と。
我が家も野菜を作っているので、昨年の教会のクリスマス会でやったビンゴの
賞品に、大根やネギを提供した。
ここ焼津の教会では、珍しいことではなく、プレゼントと言えば 野菜だったりする。
ちょっとずっこけ 笑い声に包まれる。
2015年 1月 17日
めんたいこスパゲティー
アルフォンス・デーケン氏の「よく生き よく笑い よき死と出会う」
という演題の講演会に行った。
デーケンさんといえば、死に関する本も書かれていて とっても名の
しれた人。
こんな有名な人の講演を聞いて、感動しない私って 一体どうなって
しまってるんだろう・・・(~_~;)
夫に言うと、「もう 自分で話すしかないんじゃない!?」ですって!
それはないけど。。。
デーケンさんの本も読み、最近 精神科医の和田秀樹さんが書かれた
ものなど 乱読しているせいか、耳新しいことがなかった。
要約すれば〜よく生きるとは、人のために役に立つ生き方〜という
ことだったと思う。ユーモアの大切さも言われていた。
ルーテル学院大学の門の所には、
『自分のためではなく、隣人のために生きて仕える生に
神の祝福があるように(ルターの祈り)』とある。
もう500年も前から、いえ聖書ではそれよりはるか前から 言われて
いることだ。
目にしたり 聞いたりすることがあっても、そのような行いができているか
といえば、下を向くしかない。
2014年 10月 25日
トマトソースパスタ
「眠れるって いいよね!」
と、話したりしながら いい気分で 布団に入り、すぐに寝入った。
真夜中 目が覚めた時には、吐き気でムカムカ・・・下痢と嘔吐を5回ほど
繰り返し。
朝になったら、食欲こそないけれど、下痢も嘔吐もおさまっていた。
一日 ゆっくりグデグデ過ごし〜その日の夜中、今度は胸が痛くて 寝て
られなかった。
「胸が痛い・・」と夫を起こした。
救急に連れていってもらいたいと夫に言うと、電話番号を調べてくれて
いるようだった。
そうしているうちに、まもなく すっと なにごともなかったように治ってしまった。
次の日の夜、今夜はなにが起こるんだろう!?と 疲れているのに寝つけず
そして 夜中・・・・眼は冴え・・・そろそろどこか具合が悪くなるか!?と覚悟して
いたが、どこも痛くもなく・・・朝方 まどろんだ。
この夏 食べる量が少しずつ 増えていた。
ご飯こそ 軽く一杯ぐらいだが、おかずは 夫より食べる時もあった。
「気持ちいいほど 食べていた」と夫。
「そうだった!」と深く反省して、その後 ひたすら少食&よく噛むことをこころ
がけている。
「もっと食べないと力がつかないよ」と言われても、食べたいと思えないヘンな
境地に陥っている。(~_~;)
2014年 9月 08日
和風スパゲティー
錦織が、全米テニスで決勝に進む!
日本テニス界初の快挙ということだ。
日本中に広がった久々の明るい話題☆
「日本では、大ニュースになっているかなあ」と錦織が言っている
テレビに向かって、「すごいトップニュースで盛り上がってるよお!」
と答えてはしゃいでいる。
中学の時から息子がテニスをやっていて、6歳の孫もやり始めたので
テニスを身近に感じている。
息子のテニスシャツがいつのころからか、ユニクロのマークが入ったもの
が混じって、洗濯に出されるようになってきていたのは気付いていたが
〜そういうことだったんだね(^_^)v
2014年 8月 20日
そうめん
(青ジソ、おくら、きゅうり、アボガド、煮卵、ゴーヤ)
先月 いとこ(69歳)の葬儀の時、久しぶりに会った一番年上のいとこが、
「次はおれだと思っていたけど、順番がくるったなあ・・・今度こそ おれだよ」
と言っていた。
72歳。
ほんとにその一ヶ月後、逝ってしまった。
3月に病気がわかってから、医者にかかっても入院を拒否し、亡くなる1週間前には
友達と旅行し、倒れる前日には孫たちと最後の晩餐をしたそうだ。
倒れて4日目に亡くなった。
みごとな最期・・・とも言えるが、残された家族は治療し少しでも長くそばにいて欲し
かったと思っていただろう。
普段会うことはほとんどなかったが、いざという時には頼りになる優しい人だった。
自分で戒名を考え、和尚さんに承諾を得てあったという。
会社の管理者として”和”を大切にし、福祉にも貢献していた。
(母方の)4人いたいとこのうち 3人が亡くなり、残ったいとこは(その妹)ひとりになった。
電話で「私は 家族葬にするから〜」と言っていた。
私も、自分の葬儀のこと、そろそろ具体的に考えておかねば。
2014年 3月 02日
パスタ
2月 最後の週、息子家族が2泊滞在し帰った次の日から、久々の風邪で
寝込んだ。
このところ 風邪ひいてないのよ♪と得意げに 人に話した矢先のこと(-_-;)
高熱が出た次の日 病院で棉棒を鼻の奥に入れてインフルの検査〜陰性だった。
その夜中、右鼻の奥と右のどが痛くて 眠れなかった。
ようやく痛みが取れてきて ほっとしたら、反対側の鼻の奥とのどが痛くて・・・(+o+)
この間 熱は上がったり下がったり。
もう ほとんど回復したけれど、人に移してはいけないと 今日マスクをしていたら
「マスクをしているなんて、珍しい!!」と友人。
2月はオリンピックで楽しませてもらった。
真央ちゃんのSPが16位に落ちた日・・・どうして立て直すんだろうと心配した。
後で聞いた息子妻の話によると、「(真央ちゃんが失敗して}ダレがかわいそうって
ウチの母さんが一番 かわいそうだ」と息子が言ったそうだ。末の息子にその話を
したら、「オレも母さん 落胆してるだろうなと思ったよ」って (汗)
フリーは、気迫にあふれた素晴らしい出来で〜涙した。
その後 何回も真央ちゃんのフリーの演技を見て、終わった時 涙する場面で
何回見ても涙〜〜日本中の人たちに感動を与えてくれたと思う。
2月 東京に住む娘が出張の時、老猫のふうの世話に行ったのも 嬉しい時だった。
前は 家にも 年1回は来ていて 来れば長くいたけれど、今は 私が行かなくては
会えない。 やはり ふうにも たまには会いたい。
2月22日、つんちゃんの初動物園♪
息子が友人の結婚式に出た日、ママと一緒に日本平動物園に行った。
ふれあい館でひよこやうさぎに触ったり、近くで動く動物を興味深げに見て 喜んだ。
盛りだくさんのいろんなことがあった2月も終わり・・・
焼津の漁船がビキニ環礁 水爆実験で被ばくした60年前の3月1日。
特集番組が流れる中で、3月が始まった。
原発ゼロを叫んだ東京都知事候補が落選したのをいいことに、原発再稼働の動きが
不気味に進んでいる。 福島原発事故の汚染水は垂れ流し状態で、”コントロール”
には 程遠い状態なのに!!
戦後、集団的自衛権は行使できないとしてきたことで 平和は守られてきた。
今 ”集団的自衛権は行使できる”と解釈を反対にしようとしている。
それで いいんですか!? 皆さん!と 叫びたい。
孫たちの世代に残すものは こんなものでいいのかと・・
現役で働いていた時代は、家族のためにも 会社人間でなくてはいけなかっただろう、
公務員は反体制的なことができなかったかもしれないが、現役を退いたらもう恐い
ものなどないはず〜多くの高齢者たちが動いたら 世の中を変えられるかもしれない。
自分の健康や趣味も大事だけど・・・孫たちが戦争に行かされる姿を想像し、子ども達
が原発事故の犠牲になるかもしれないと考えることは、大切なことだと思う。
2013年 11月 05日
小カブのぬか漬け
この連休に帰省していた次男家族が帰り、前々から楽しく準備していた
教会のバザーが終わり、幼稚園最後のケンの発表会も同じ日に 可愛らしい
姿を目に焼き付けて閉じ〜いっきに 秋が深まった感じがする。
近くに住む長男家族も来て、みんなで賑やかに遊んだり 食事をしたり。
孫たちの無邪気なしぐさや表情、親となり 親の気持ちも少しわかるようになった
息子たちの思いやりのある言葉が 余韻となって、また夫婦2人生活に戻った日常を
元気づけてくれる。
車の中には、バザーで売れ残った古着が何袋もまだつまっているが、それもリユース
として収集所に出せば、無駄にはならない。
次男たちの忘れものは、「なにか美味しい食べ物と一緒に送って!」と言っていた。
何を作って送ろうか・・・くるみとナッツいりのごまめや小カブのぬか漬けを美味しいとよく
食べてくれたから、とりあえず その二つははずせない♪
2013年 9月 20日
トマトソースパスタ
台風18号の後、朝晩 めっきり涼しくなってきて 嬉しい♪
今年の夏は、猛暑続きで ほんと大変だったので、散歩している人たちにも
やれやれ〜という感じがみてとれる。
花に水をやっていると、犬を連れた近所の人が「ここに来ると、(犬が)立ち止って
(クロがいた小屋のほうを)気にして見るんですよ」と言った。
クロも母も春に亡くなった。
長かった猛暑の夏をはさんでいるせいか、ずっと前のことのような気もするし、つい昨日
のことのように思いだされることもある。
台風18号の風が吹き荒れている最中
「おかあさん、恐いだろうな・・・大丈夫かな?」と思ったその次の瞬間
「もう いないんだった・・・」と我にかえった。
昨日の記事の続きみたいだが、私の脳はまだこの世に母がいないという現実に慣れない。
仲良しの母娘のことを一卵性親子ということがあるが、私と母は全くそれには当てはまらない。
若い頃は反発した。 子供が幼い時も夫の実家が近かったせいもあるが、夫の実家に10回帰る
としたら、自分の実家には1回ぐらいだった。
ベタベタしない母娘だったから、兄弟のお嫁さんたちは やりやすいのではないか!?と思った
ものだ。親に頼らない ある面自立した娘で、あまりにさっぱりし過ぎて 母に寂しさを感じさせて
しまったかもしれない。
そんな娘だったけど・・・特に一人暮らしになってからは、母をいつも いつも案じていた・・・という
ことに、台風18号が?気付かせてくれた。
私のことを思う母の愛はというと〜比べられるものがないほど深かったと、なにかにつけて思いだし、
感謝している。
2013年 9月 02日
冷やし中華
「汚染水 五輪招致にも影」〜各国メディアが問題視〜という新聞記事。
英BBC放送は、「日本が国際的な支援を求めないのは大きな過ちだ」と
伝えたという。 汚染水が海洋に流れ出ている問題は、日本だけの問題
ではない。海はつながっているのだから。
世界中の知恵と力を結集して、一秒でも一分でも早く この問題を解決
してほしいと願う。
五輪開催の候補にあがっていることで、さらに世界からの注目を集めている、
それがたとえ 招致のためであってもいい、本当に安全だと言えるための一歩に
なって欲しい。
2013年 5月 22日
サラダときしめん(息子作)
私がこちらに戻ってから、息子が家事も頑張っている。
栄養のことをよく考えて作っているし、なかなか美味しそう♪
昨夕、家の前の道路の側溝に近くのお爺さんの車が脱輪してしまった。
溝が結構深いのと 前後のタイヤが入ってしまったのとで、脱出に難航。
息子さんや親せきのおじさん、通りかかったおじさんや近くの農家のおじさ
んも加わり、いろいろと方法を変えて 試すのだが、うまくいかず とうとう
暗くなってしまった。
最終的には、農家のおじさんのフォークリフトが大活躍し、出すことができた。
暗闇の農道を勢いよく フォークリフトを走らせて来てくれた姿は、仮面ライダー
のように かっこよかった(笑)。
J○○に入っていれば、きっと 暗くなる前に ほとんど誰にも知られず あっと
いう間に、引き上げてもらえただろうが、そういう力には頼らないで みんなで
力を合わせて あーでもない こーでもないと言いながら、やることは それは
それで田舎のあったかい良さがあるものだ。
持ち上げようとしたり、押したりしていた背中が曲がったお爺さん、どこか
今日あたり 痛みが出なければいいけれど・・・