2006年 11月 01日
イクラとシャケの親子丼
小松菜を茹でいっしょに載せるといちだんとおいしい♪
もし 死のときが 数日後とわかっていたら、会いたい人・・・
きっと 誰でも 何人も何十人も思い浮かべることだろう。
私の場合 そのトップちかくをしめる人に今日会うことができた。数年前 挨拶を交わす程度には 会い 電話では話しているのだけれど、顔を合わせ 話したのは30数年ぶり?だった。
美術館で待ち合わせ、いっしょに県工芸美術展を観た。
良かった、会えて〜話ができて 嬉しかった・・・
爽やかな秋のひとときを ありがとm(__)mペコ
PS.女性ですよ(^_^;)
2006年 10月 11日
混ぜ寿司おいなりさん
お寿司は みんな大好きなので、昨夜 多めに寿司ごはんを作り、昨夜は手巻き寿司〜朝は ちらし寿司〜昼は残ったタネを切り混ぜておいなりさんに。
先日 家の前の道路に都市ガスの管を通す工事ををしていた。少し道路が高くなったせいで 駐車場の前に水がたまるようになってしまい 夫は困ったなあと言っていた。隣の家でも 庭に水がたまるようになり(旗振りのおじさんが言うには) 苦情を言ったのだそうで 今日は土を入れていた。うちも入れてもらいたいなあと思い 旗振りのおじさんに話すと言ってやってもらえばいいじゃんと言う。
そこですぐに 言いに行くというのが、この私 できない・・・見かけによらず 小心者で。。。一旦 家に入り、ずうずうしいかなあ・・・・・どうしよう?・・・夫は畑から土を運んで入れなければと言ってたし〜入れてもらえば喜ぶだろうけど・・言いに行って断わられたらヤダな・・としばし考え、決心が(それほどのことかい?!)つきかねていると隣の工事が終わりそうな気配。
ええいままよと玄関を勢いよくあけて 隣の家のところに行き 恐る恐るお願いしてみた。すると監督らしき人が見にきてくれて、「わかりました、じゃ このあたりまで 入れとけばいいね」と足で地面に線をひいた。
良かったあ♪
そして すぐに 土を入れたり固めたりしてくれて。
終わったころ 出て行って お礼を言うと、どういたしまして〜という感じでニコッと笑ってくれた。
日焼けした顔に白い歯の笑顔がすてきなお兄さんだった。娘の同級生に似ていた。もしかしたら そうかも?
あとで見ると 足で書いた線よりも広く 丁寧に土をいれてくれてあった。
ありがとう!!
2006年 10月 10日
栗ごはん
?栗は、2分ほど茹で 水をさっとかけ、皮を熱いうちに全部むき、次に渋皮をむいて 水に入れて あくをぬく。
?ざるにあげ 砂糖を少々まぶしておく。
?お米に もち米をあれば混ぜ といだら、塩・酒・醤油・栗と椎茸を入れ 炊飯器でたく。
(東名を使い)車で1時間ほどの実家のそばの畑に 芋ほりに行った。
ソフトボールのチームメイトたちやその子供たち 総勢9人。掘っていくと 土の中から顔を出すピンクの芋に大興奮の子供たちの様子に 大人もいっしょになって大はしゃぎの楽しい芋ほりだった。
普段は寂しいくらいに静かな山里に明るい声が響いていたのだろう〜上のほうから 私たちを見ていたおじさんに途中気づいた。
「あっ ずっと そこにいたんですか?」と驚いて聞くと
「うん 見ているだけですんごく楽しい」ですって(笑)
里芋も掘ったあと、この栗ご飯やその他 持ってきてくれたお弁当を広げ 昼食。
その後 キウイ採り、栗拾い、最後に畑でサツマイモを焼き ほくほくのおいしい焼き芋を頬張った。
子供たちって 芋の葉を傘にしたり、 出てきたミミズをつまんだり、サツマイモを洗うのも ホイルで包むのも〜なんでもかんでも遊びになるんだよね♪
2006年 10月 01日
じゃこチャーハン
ここ50日間ほど、新婚の時以来の二人暮しだった。
いずれ ふたりになるときのための予行演習のような日々。
息子がいない間・・・・
★タンパク質源は、もっぱら 魚や豆腐類のことが多かった。(中年食!)
★息子の役目だったクロ散歩を毎日した。時には車に乗せて海辺へ行き 散歩。
★意外と私は部屋を汚すし、やりっぱなしが多いことが判明。。。
新聞を広げたままだったり(私がやってたのかぁ)・・・風呂のガスをつければ スイッチのところのフタはしめないし(これは 夫に指摘され 気づいた!)
2006年 9月 24日
残りわずかな夏野菜でかつ丼
”拓郎&かぐや姫inつま恋”のコンサートのDVDを聴きながら(時々観て)これを書いている。
同世代の3万何千人もの人たちが集まっている様子を見て よく行くよなぁ、え〜っ ずっと立ってるの?!(実際は 座ったり立ち上がったりだったようだ)・・自分はこーゆう所 絶対行きたくないと夫が言う。私は それほど強く行きたくないとは思わないなあと夫との思いの違いを発見し〜ついつい 次回はぜ〜ったい行きたい!行くから!と言ってしまった。つま恋まで送ってくれる?迎えに来て!とエスカレート。迎えはだめなんだそうだ。じゃ いいよ、野宿してくるからと。おじさんやおばさん達がノリノリで盛り上がっている様子を見て、血が騒いだ。(笑)
そのときになればやっぱりヤメタというに決まってるんだけど・・・特にファンというわけではないし。
2006年 9月 07日
10種雑穀米
骨折してから 明日で2週間。
最初の1週間ぐらいは、「たかが 左手の小指・・3本固定してあっても2本の指は使えるし 大丈夫じゃい」と思っていた。負けん気バリバリの時が過ぎ、固定をはずす予定の日(たぶん2週間と言われていた・・と思う)が近づいてきたら、無理をしていたせいか小指が痛むようになってきた。回復が目で確かめられるわけではないので、痛みは治癒状況のバロメーターだと思うから かなりへこむ。
気持ちよく洗えない箇所があってじれったいしさ〜背中と右手・・・1回だけ 夫に洗ってもらったことがあったけど、(のんき暮らしの私と違って)毎日忙しく疲れて帰ってくるのに申し訳なくて、洗おうか?と言ってくれるのだが、なんとか洗えるから大丈夫と遠慮している。
早く 力をこめてゴシゴシ洗いたいなぁ〜〜!!
ああ ちょっとだけ すっきりした〜(^_^;)
2006年 8月 27日
2006年 8月 08日
牛丼
太平洋戦争中の硫黄島での戦いの記録を昨夜 TVで観た。
日米両軍あわせて 5万人弱の若者たちの命が落とされた戦い。
生還した人たちが真実を語っていた。胸の奥にいつも秘められ 消すことができない思いを。
多くの仲間が死んでいったことは意味があったのかどうか・・・意味がなかったと言ったら、死んでいったものたちがあまりにもかわいそうだと涙を拭いていた。
地下壕を最後は 米軍に取り囲まれ 出てくるように説得されたが、出て行けば殺される 出て行くくらいなら自害をせよという教育を受けていた日本兵たちは、奥に潜んでいた。食べ物もなくなり 炭を食べ ウジムシがわく死体のそばの泥水を飲み、正常な神経をなくしていった兵隊たちには、また違う言うに言えない残酷な生きるための仲間どうし間の戦いがあったと話すお爺さんの目にも涙があふれていた。
最終的には、地下壕の入り口に爆弾をしかけられ それでも出てこないので 水とガソリンが流し込まれた。
ガソリンが燃え 地獄さながらの地下壕から 引きずり出される生きる屍のような日本兵たちの姿がビデオで流れ、あたり一面に折り重なる死体の写真が映し出された。息を呑む光景に 涙 涙・・・
(私たち)戦争を知らない世代の者たちに、残酷という以外に言葉がない戦争の実態を知らしめるため これからも繰り返しこういう記録を放送して欲しいと思った。
2006年 7月 15日
うな丼(モロヘイヤ添え)
梅雨明けしたかのような強い夏の日差しが照りつける日。こんな土曜日には、ゆっくりクーラーのきいた部屋で読書をするのもいいけど・・・スポーツウーマンたちは、果敢にも グラウンドに跳びだしたのであった〜!
なにしろ 7月30日・8月6日と猛暑が予想されるときに志太榛原リーグの試合がある。暑さにも慣れなくてはいけないし、練習もしたい!
集まったのは、遅く来た人も含めて 6人。
私は、門の鍵を持っていることもあって 一番のり〜朝9時半前に到着し、ストレッチを始めていた。屋内から 私たちを見たら 暑そうだなあと思うかもだが、外に出てしまえばそれほど大変でもない。
といっても 汗だくだくで・・・終わって家に着き、着替えもせずにすぐ うな丼のしたくをし、家族に食べてもらっている間 シャワーを浴びた。体重を量ると、ここのとこ久しく見たこともないような(10年ぐらい前の)数字が並んでいた。たぶん 一瞬のことだろうけど それでも 気分そ〜かい♪
2006年 7月 05日
しらすチャーハン
小松菜・シソ・しらす・人参・玉ネギなど。
道路側の花壇の手入れをしていると、杖をつきながら 小さい犬を散歩させている近所のお爺さんが 興奮した様子で話しかけてきた。
「あの女 どこの女だか 挨拶しても 全然挨拶が返ってこない」とすれ違って遠くを歩いていた中年の女性を杖で指した。
「考え事をしながら 歩いていたようだから、気づかなかったんですよ〜きっと」
「いやっ、そうじゃない! いつもだよ!それと ほれ あそこの角のオヤジも 挨拶が出来ないやつだよな」と怒りが発展していく。
好意をこめて挨拶したのに反応がないと悲しくなったり 腹立たしく思ったりするものだ〜ということは普通の感覚の神経を持っている人なら わかるはずだ。
北朝鮮がミサイルを7発も発射したという恐いニュースが流れた。
人が集まって出来た国同士が平和な関係を築くことは、相手国の(人の)ことを考えることができれば、それほど困難なことでもないのだろうに。
北朝鮮の一般の人たちは、私たちと同じように平和を願う心を持っているのだと思いたい。
トップ(と体制)が変わらなければ、事態は良い方向に向いていかないのか・・。