2012年 1月 13日

里芋と大根の煮物弁当

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 実家へ、この1週間で2回行った。
東名高速を使う。 
二つ目のインターで降りるので 途中サービスエリアに寄ることは
ほとんどない。 休憩するほどの時間がかかることもないので。
ただ 時間によっては、行く途中 日本坂のサービス
エリアで食事をしていくこともある。
帰り道は、たとえ 食事時になっても 寄ることはなかったのだが、
寄ったことのない下りのサービスエリアを覗いてみたくなった。
1回目は、日本坂〜今日は日本平。
 トイレに入るわけでもなく、コーヒを飲むってこともなく。
夕方 コーヒーを飲みたいと思わない。
食べ物を買うということもなく・・・
少しだけ 目が食べたいと思うものもあるが、それで食べても
太るだけ〜で 後悔するに決まってる。
日本平には、おせんべいの試食も何種類も豊富にあったが、味を
みなくても 想像できるものばかり。
それで、店の中を見て回るだけ。 
ひとりで。
のんきに。
帰るときには いつも つぶやく「もう帰っちゃうの!?」
という母の言葉を思い出しながら。
高速を運転するのは、緊張するので あまり好きではないが、寄り道を
すると 深呼吸できて、 ちょっとだけ 愉しい。

投稿者: kun - 午後 11:04 | コメント(2) | 固定リンク

2012年 1月 12日

鶏の唐揚げ弁当

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 息子の結婚式の時、あちらのお父さんのご友人がボジョレヌーボー
の樽を下さった。
披露宴や2次会のときにもいただき、それでも
また沢山 残っていたので、家で皆で 毎晩のようにいただいた。
飲み終えた樽は、鉢にするといいと聞いたので、半分に切り
ドリルで水抜き穴を作った。 って すべて夫がやってくれたんだけど。
見たこともないほど 立派な鉢が出来上がった♪
きっと 何年も 何十年も?使えるだろう。
ひとつは、あちらの家に置いてもらいたいと思っている。
いつか行く機会があったら 持っていきたい。

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 (一番 手前の鉢)
  

投稿者: kun - 午後 12:26 | コメント | 固定リンク

2012年 1月 11日

フライ盛り合わせ弁当

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 正月休みに DVDでも借りてきて観ようか!ということになり
「しあわせの隠れ場所」と「ツォツィ」を借りてきて観た。

 「しあわせの隠れ場所」は、以前 観たことがあったことを観ていて
思い出した。それでも細かい所は忘れていたので 愉しく観た。
「ツォツィ」は南アフリカが舞台になっていて、厳しい子供時代を
過ごした青年の切なく哀しい物語。

 返しに行って、また借りてきた。
「砂と霧の家」と「スラムドッグ$ミリオネア」
「砂と霧の家」は、これもまた観たことがあったものだった。
イランから亡命してきてアメリカで生きる家族とアメリカ人の女性とが
家をめぐり 争う果てに 悲しい結末が待っている。
「スラムドッグ・・」は、インドで生き抜く兄弟の話。

 返しに行って、借りてくるパターンが しばらく続きそう。 
観るのは夜!ということにしておかないと、昼 他のことはさておいて
観てしまいがちな傾向があるので〜自粛 自粛(*_*;


投稿者: kun - 午後 12:10 | コメント | 固定リンク

2012年 1月 06日

牛丼弁当

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 病院の中に入ると、もうそこは外とは違う世界。
義母が入院しているところでは、若い入院患者は見かけない。
 今後のことを 夫と義弟と私 それに二人の医師とで話し合った。
「豊かな人生のための最期の迎え方」について、医師はご自分の
考え方を話された。 自分だったら こうしたいという考え方が基本
になっていた。
 昨日だったかの夕刊に、夫に先立たれることが多い〜そのとき
「ひとり力」と「女子力」が試されるというようなことが書いてあった。
周りにいるのは、年老いて 1人になった女性だらけになるというのだ。
 私は、男の兄弟に囲まれて育ち、結婚した相手も男兄弟だけで
生まれた子供も3人男で・・・女子力などというものは どんなものかは
知らないが〜女子だけの中でやれる自信は はっきり言ってない。
自信はないけれど、案外 やれるかもしれないとも思っている。
「ひとり力」はあるだろうと今は思うけれど、実際 その時になったら
寂しがり屋の本性が丸出しになりそうな気もする。
 

投稿者: kun - 午後 09:49 | コメント | 固定リンク

2012年 1月 05日

八つ頭芋しんじょ

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     沢山作り過ぎたおせちの残り。

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 家族が集まると、昔から こんなことをして遊んでいた。
「だんご三兄弟」の歌がはやっている頃だった。

 次男の結婚式の披露宴のプロフィールビデオに使うために スキャンしたもの。
次男が11歳なので、長男は13歳、三男は3歳だった。
一番下でもへっちゃらで、いつも子供たちの重みを肩に背中に乗せ
歩き続けてきた父親も今年は64歳〜疲れが見え 無理のきかない年齢に
なってきた。
弟たちを背中に乗せていた長男は、今や父親となり
          ↓ 
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 今年のお正月、組体操をしていた。
陰でおじいちゃんは補助役♪



投稿者: kun - 午後 12:07 | コメント(2) | 固定リンク

2011年 12月 30日

まぐろの山かけ

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 朝6時半過ぎ、玄関にいるクロを見ると、またもや(コブを取った後の)
傷口から 出血していた。
なかなか 血が止まらなくて、包帯をしても すぐに真っ赤になってしまい、
滴り落ちる血を プルプルッと飛ばすので、土間から壁まで 血の斑点が
ついてしまう。
 この前は、土間や数メートル先の壁まで 血糊がついてしまっていたが、
次男がいたので 一緒に拭いてくれて助かったが、今日はひとりで 包帯を
巻いたり 掃除をしたりと大変だった。
  コブを取る前に、出血し あたり一面 血だらけのことが4回ほど、コブを
取ってからは、2回目なので さすがに落ち着いて処置できた。
 9時過ぎになって、クロは失神状態になった。
倒れて吠えた声で、三男が 驚いて飛び起きてきた。
その後 三男とともに病院に連れて行き。
明日から 病院も休みなので、出血の際の処置方法を教えてもらい 止血剤
包帯などいただいてきた。
先生の奥さんでもある看護師さんが、「休みのときでも 近くにいますので
いつでも 連絡して下さい」と言われると先生も「多分 遠くにも行かないと
思いますから」と言って下さり、ありがたい。



投稿者: kun - 午後 09:56 | コメント | 固定リンク

2011年 12月 29日

ネギときのこソテイ弁当

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 24日に退院した義母が、27日に再々入院。
今度は 24時間付き添うように言われて、昨日は朝 義弟と交代した。
前夜の様子から、24時間付き添わなくて良いということで まずはひと安心。
病院で ノロウイルスが広がり、義母も退院後 その症状が出てしまった
ためだったが、ひどくならずに治まったようだ。
 正月も病院通いだなあ・・・
12年前の大みそかから お正月は、入院していた父と病院で過ごした
ことを思い出す。 父は頭はしっかりしていて、痛みがあったので
かわいそうでつらかったが、義母は認知症が進んでいて、痛い所も
ないし 苦しくもないし 気持ち悪くもないというので 気が楽だ。

 〜昨日の義母との会話の一部〜

義母「おりんごが冷蔵庫に一個あったから、私がむいてあげるよ」
  (家にいると思っている。実際はむく力はない)
私「ありがとう♪ 優しいお義母さんで 私は幸せだよ」
義母「 そう思ってくれて 嬉しいよ」

義母「 ちらかっているから 片付けなくっちゃ」
   (なにやら 手を動かしている)
私「○○さん(義弟)がちらかすから 大変だねぇ」
義母「うん もう これぐらいでいいにしとこうかな」 

 幻聴 幻視があるらしい。
優しい性格はそのまま残っているので、老いを看る厳しさの中にも救いが
ある。

投稿者: kun - 午後 09:51 | コメント | 固定リンク

2011年 12月 22日

大根なます弁当

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 花の手入れを延ばし延ばししているうちに、寒いのに負け やる気が
全くなくなっていた。
息子の家に行くと、息子妻がきれいにビオラやパンジー なでしこなどを
植えてあって、かわいいなあ〜きれいに植えてえらいなあ〜と眺めていた。
いつもは 私の方が先に植え付けなどすることが多かったかもしれない。
私の庭といえば、枯れた花がそのままの鉢がいくつもあり、花壇の千日紅も 
もう枯れ始め、どこから手をつけていいものやら・・・といった感じで。
 数日前、お花屋さんに行き、ビオラとストックと培養土3袋を買ってきた。
何日かそのままになっていたが、一昨日 植え、駐車場や道路の脇に植えて
あったメランポジュームを抜いて 片付けた。
少し すっきり♪ 早くやれば良かった・・と思っていたら、ケンが来たので
中断〜もっと やりたかったなと思いながら片付けをした。
 昨日は、午後になって、花屋さんでパンジーを何鉢か買い植えた。
このころになると楽しさがムクムクとわいてきた♪ 
もう 夕日が沈むころだったが、勢いを止めるのが惜しくて、今度は遠くの花屋さん
まで行き、鉢や花壇に植えるイメージをふくらませて、やる気満々!
 赤とオレンジの大根草、新種のデージー、オレンジと黄色が混じったジュリアン、
ピンクと濃い紫のジュリアン、ビオラなどなど 20株ほど買った。
レジで合計金額を聞き、ちょっと胸が痛かったが・・・そういえば 誕生日に自分
から自分へのプレゼントは なかったから、これがその代わりさ!なんて言い訳。
 そして、今日 午前中に 楽しく植えた。
「寒いのに よく働くじゃん」と近所のおじいさんに声をかけられたり、「いつも
きれいに咲かせてるねぇ」とどこかのお婆さんに言ってもらったりして〜
花咲かばあさんは、また 目覚めた☆シャキー☆

 

投稿者: kun - 午後 04:32 | コメント(2) | 固定リンク

2011年 12月 21日

弁当に ちらし寿司

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 カシャカシャと すそにチャックがあるジャージのすそを引きづって
歩いているような足音がした。
さっき出かけた息子が忘れ物をして戻ってきたのかな?と
振り向くと、台所を通って 居間のほうにクロ(犬)が歩いてきた。
あらあら〜こっちまで来ちゃだめだよぉ!と玄関に連れ戻した(~_~;)
 コブを取る手術がうまくいって、明日は抜糸。
足の痛みもなく軽くなったのか、散歩のときもついていくのが大変なほど
に元気に4本の足で軽やかに歩く。
今日は、玄関に入ってきた宅配便のお兄さんに吠えまくって おどかして
お兄さんは開けたドアから 跳び逃げた。
 手術は1時間かかり〜〜難しかったとお医者さんは話していた。
1週間の入院。 
平日の昼間、息子2人と面会に行ったり、それ以外は末の息子と行った。 
病院のお医者さんたちは、「息子たち ニートか!?」と思われているかも
しれないねと笑いながら。
来年の春から県職員として就職が決まっている末の息子は、今警備員の
アルバイト中で夜の勤務が多いのだ。
通院も ほとんど息子がしてくれて助かっている。
「入院費用など 出してくれて ありがとう」と息子が言った。
お父さんのボーナス分すべてが ちょうど入院費用に回せたのは良かった
というか 切ないというか・・・(-_-;)
折角 元気になれたから、せめて 17歳位まで生きて欲しいよね!と息子と
話している。 


 

投稿者: kun - 午後 08:38 | コメント | 固定リンク

2011年 12月 15日

ニンニク抜きチーズぎょうざ弁当

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 司法修習の最後には、2回試験という試験が 1週間行われる。
司法試験には合格しても、この試験に落ちると 実際には資格は
もらえない。 落ちると翌年 再度 2回試験を受けることになる。
発表前に ほとんどの人が就職も決まっていて、もう 安心して
いるかに見えるが、実は 1割ぐらい?は 落とされている。


昨日は、(落第者の)発表日だった。

 当日の朝 息子との会話
息子「もし 落ちたら、母さん 泣く?」
私 「泣かないよ」
息子「 今までも 泣かなかったもんね」
私 「? 陰では 毎年 泣いてたよ」
息子「 えっ!? 泣いてたの?」
私 「そりゃあ 泣くよ、あんたが また1年 勉強しなければならないのかと
   思ったら かわいそうで・・・」
息子「・・・・」
私 「でも これまでの時間は無駄ではなかったと思うよ、(大変だったでしょうけど)
   あんたの人格を作ってくれたと思うから。
   (2回試験に)落ちても、きっと1年 また違う経験ができるよ」

この後、落ちたら どこへ住んで どんな仕事をしたいかなど話してくれたのだった。
そして、そして 発表の16時過ぎ
名古屋へ 行っていた息子にメールを打った。
「どうよ」
すぐに
「無事 明日から弁護士になれます!」と返信メール。
 夫に連絡
「おめでとう! ささやかにお祝いしよう」と返信がきた。


*今年は3パーセントぐらい落ちたらしい  


投稿者: kun - 午前 10:39 | コメント(2) | 固定リンク