2008年 6月 30日
豆腐中華風サラダ
ゴマ油、酢、醤油で和え、豆腐に味がしみるようにしばらく置く。
きょうで今年の半分が終わる。
そしてあと1週間で ホームページ開設から6年。
この6年の間に、夫は2回転勤し 長女も今年転勤 長男は結婚 そして孫が産まれ、次男も三男も・・家族がそれぞれ人生の節目のときを過ごしてきた。そばにいて ハラハラ したり ワクワクしたり。
だけど、私自身には 大きな変化はなし。あ・・白髪 シワシミ体重 体脂肪は増えたが〜そしてホームページ(ブログ)作りもひたすら楽しかったときが過ぎ、このところ、写真はあるけれど 何を書いたらいいものやら わからなくなって 手付かずの日が続いてしまう。
昨日、看護師の友人が「あこがれは主婦♪」と話していた。「ないものねだりよ〜看護師のほうがずっと いいよ。人のために働けてお給料は入ってくるし」と私が言えば、「まだまだ私の年齢位までは働きなさいよ」と私の夫。友人のご主人もそばで「死ぬまで働けって言ってるんですよ」と笑っていた。3人で説き伏せるように相手にしなくて ちょっとかわいそうだったな・・今度会ったら「どうして主婦がいいと思うの?」とゆっくり聞いてみよう。
2008年 6月 23日
2008年 6月 21日
きゅうりのぬか漬け
お弁当にきゅうりのぬか漬けを入れられる季節になった。窓の向こう側に、なりだしたきゅうりが見える。黄色の花が沢山咲いている。
ケンが昨日 入院してしまった。
細い腕に点滴をして、それを取ってしまわないように包帯をグルグルひじまで巻いて、小さな指先だけが出ている。昨夜 熱が39度 朝には40度・・・午後私たちが行ったときは7度台になっていたので、私たちの顔を見たら、ニコッと笑ってくれ、「アイアイアイ・・」とおしゃべり〜小さな声で3人で「アイアイの歌」を合唱♪ いつもなら その元気が続くのだけれど、すぐに疲れてしまう・・痛々しくて涙が出た。大事に至ることなく 回復するのをひたすら祈っている。
2008年 6月 20日
(たらの芽天)おろしそば
山菜の王様と言われるたらの芽。
山から採ってくるものだけど・・・それを採りにいく元気もなく、
店で売られているけれど、私のなかでは買うものではない部類に
入れられている。でも 年に一回ぐらいは食べたい。
ということで、苗を(私が)買い 畑の隅に(夫が)植えた。
今年は3回ぐらい天ぷらにした。そのたくましいこと!芽を折られても
折られても新しく枝を出し、いまや木!虫もつかない。
考えてみれば、畑の野菜や庭の木や花には、すぐに虫がつくのに、
森や林の植物は、(消毒もしてないのに)青々としている。
厳しい自然のなかで、生き残ったものは強い。
全く環境が違う所に植えられた たらは、そのうち軟弱になってしまうのかな?・・・
2008年 6月 19日
ひじき大豆煮
トップの写真
ルピナスは、昨年秋種まきをしたもの。冬を越させるのにも気を遣ったぶん
咲くと嬉しい。ゼラニュームを4種類 切花でもらったのを昨年
挿し芽にした。どんな花だったか忘れてしまうくらい時間がたっていた。
根がはり、花芽ができ、今 花が開いて♪・・楽しませてもらっている。
2008年 6月 18日
ジャーマンポテト
1週間も 更新しなかった・・唖然
こうして時間は、ザクザクと過ぎていくのね。
今 過ぎた1週間のことを思い起こすと〜災害や事件のこと
そして、人との会話・・・特に言われた(聴いた)ことばがうかぶ。
清水の畑でサツマイモを挿したり 草取りをしていると98歳の近所の
お爺さんが声をかけてくれた。畑に行く前に母の所に行くと、
洗って皮をむいたじゃがいもがあった。これを届けてくれたのはこのお爺さん♪
煮物にすると5回分ぐらいある量で、むいてしまうと黒ずんでくるが
それより その優しさに感動した。
皮までむいてくれてとじゃがいものお礼を言うと、お婆ちゃんがむくの
大変だからって。母よりひとまわり以上も年上なのに。
田舎の片隅で、わずかな土地で野菜を作ってきた(だけの)お爺さん。
たぶん本を読むこともなく、これまで脚光をあびたようなこともなかった
かもしれない。でも 素敵な歳のとりかたをしているなと思う。
「これから焼津まで帰るんじゃあ大変だね」と私のことまで気にかけてくれて。
あの秋葉原事件の犯人も、事件を起こすまでの人生で過去のことを
思うことも多かっただろう。心に浮かんだ人、ことばが心を癒して
くれることがあったら・・と残念に思う。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
新約聖書 マタイによる福音書11章28〜29節
休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
新約聖書 マタイによる福音書11章28〜29節
2008年 6月 11日
ポテトピザ
お姉ちゃんのフーカが マイコプラズマ肺炎になってしまった。
外来で大丈夫で、食欲もまずまずあるようなので、フーカの好きな
ピザを作って届け〜ケンを乳母車に乗せて散歩に連れ出した。
途中 小さな子たちが遊んでいて、その周りで3人のママたちが
話していた。その路地で”ひとあぶら”売り♪
その後 何ヶ月か会っていない近くの友人宅へ〜”ふたあぶら目”
3歳のお孫ちゃんもいて、子供同士も嬉しそう。
昔 田舎では、縁側がどの家にもあって、ばあちゃん達は孫守りを
しながら、縁側に座って お茶など飲みながら話していたものだ。
数年前までは、私達もこういう姿は 想像できなかったが。
近況情報を交換しあったあと、もぎたてのビワをいただき、家に。
しばらくして帰ってきたじいちゃんと、犬とで 授乳時間に合わせて送り
とどけた。ケンは、帰りの500メートル位の道のりの400メートル位は
笑っていた。私が咳ばらいをしたその顔?が面白かったらしく笑ったので、
咳ばらいを繰り返すと そのたびに笑いヾ(@^▽^@)ノわはは
顔を紅潮させて爆笑する。息ができなくなるんじゃないかと心配になって
咳ばらいを止めていると、「ほら ほら 待ってるよぉ」と夫。
そう言われて見ると、じっと私のほうを見て 咳ばらいを待っている。
笑いのツボにはまってしまったケンに引き込まれて、私達も大笑い。
亡くなった祖母が、「子供がいると笑えて 嬉しいよ」と口ぐせのように
言っていたが・・・・その気もちがわかってきた今日このごろ(^^)
2008年 6月 09日
再開?お弁当作り
「このおかず 持ってっていい?学食だと これで○○円ぐらいかな・・」
夕食の残りを1品 持っていったのが始まりで・・次の日も・・・
「ちゃんと作らなくてもいいよ〜なければないでいいんだから」
と言いながらも、作ると(嬉しそうに)持っていく。
やはり、昼と夜 2回の学食には、早くも飽きてしまったようだ。
お弁当作りは苦にならないので、結構 楽しく(ありあわせだが)作っている。
健康管理の手助けが少しでもできることは、親としての喜びでもある♪
2008年 6月 08日
豆腐ハンバーグ
長男が乳母車にケンを乗せて 遊びに来た。
次男と帰省していた三男と昼食後まったりしていた時〜
4人でケンを囲み、そのしぐさのひとつひとつが面白かったり
かわいかったりで、みんなの視線が集中。
幼な子は、最高の幸せを運んでくれている。
2008年 6月 07日
焼き豚(ソフトボールコーチ作)
焼き豚をいただいた。
(持病が出たのか)具合が悪いので、病院へ一緒に行って欲しいという
宣教師からの電話を切った1秒後位にピンポ〜ン。
出かける前に急いで夕飯の支度をせねばと思ったまさにその瞬間!
なんて グッド タイミングゥ〜〜〜♪♪♪
包みを受け取るとまだ温かい。元肉屋さんだったコーチが作る焼き豚は、
忘年会などのとき差し入れてくれたので、みんなで美味しくいただいた
ものだった。
ソフトボールを辞めて一年半・・・・引き止められても耳を貸すこともなく
さっさと辞め 振り返ることもない私のことなんぞ忘れられていて当然なのに
覚えていてくれたことがありがたくて、今しみじみ思うと涙が・・・。
もうなんの関わりもない者に こうして手作りのものを届けるなんて
私には さかだちしても できない。
焼き豚を切り レタスを添え、肉じゃがを作り〜急いで宣教師宅に。
救急で受付をしたのは 午後6時少し前。一応入院の支度をして
行ったが、採血 レントゲンなどの結果そうするまでもないということだった。
混雑していたので、4時間もかかってしまったが、家に帰ってこられて
嬉しそうな宣教師を送り ほっとひといきつき 遅い夕飯。レタスと一緒に、
きゅうりと(アンケート用のペンぐらいの細さの←いつも書くからわかってるって?!)
アスパラガスも添えられていて♪
気を利かせ 畑から採ってきて 豪華に飾ってくれた夫は 得意気に
「アスパラ だんだん 太くなってきたよ」・・それに関しては
ノーコメントだけれど、瑞々しくて 味わい深い。
2008年 6月 05日
ズッキーニのクリーム煮
犬走り(家の周りの砂利の部分)の所から、きんぎょ草とマリーゴールド
が芽を出し、つぼみをつけている。どちらも 花壇に移すまでもないかな
とそのままにしてある。その近くに 知らぬ間に本葉4〜5枚になっている
植物・・・・よく見ると、千日小坊のようだ。
「あなた 千日小坊よねぇ!! よく芽を出したね!」ひとりごとを言いながら
花壇に移植。最近では、ネモフィラも嬉しかった。 葉が”けし”に似ていたので、
前の空地のほうに植え替え、しばらくたって見たら、青い点があるネモフィラが
咲いていた!「あらぁ あなただったの〜〜ごめんごめん」(←これもひとりごと)
と花壇のほうに連れ帰ったのだった。
こぼれ種は、突然の思いがけない自然のプレゼント♪
2008年 6月 04日
チキンステーキの玉ネギかけ
親戚をたどると、食べ物関係では「あんこ屋」「おすし屋」「八百屋」(今はない)
があった。子供の頃、親や祖母に連れられて行き、店の裏側(内側?)
で子供の視線で見た思い出がいくつもよみがえってくる。
昨日伯母の葬儀のため、兄夫婦 弟と母と1台の車で浜松へ行ってきた。
親戚だったおすし屋さんで若い頃 働いていた伯母は、お寿司を握る
手つきがあざやかで、出しまき卵を作るのもじょうずだった。
まだ20代の頃私が作った筑前煮を「味はいいけど、蓮根はコリコリ
しないとね〜あと一息!」と言って食べてくれたっけ。
伯母が作る味噌汁は、細かく刻んだ小ネギが表面にすきまなく
青々と浮いていた。私が作るものも「ネギの入れすぎ!」
と言われるくらい つい入れてしまうのは、この伯母の影響だ。
昨日集まった(母方の)親戚の中で食べ物関係の仕事で成功したのは
一番年長の従兄弟。(もうひとりの伯母の長男)
http://www.shunkado.co.jp/unagipai/unagipai_birth.htm(写真右)
春華堂のうなぎパイといえば、静岡のお菓子としてお土産にも
喜ばれているようだ。昨日は、帰宅して やれやれ〜とお茶を入れ
↓このとら焼きをほおばりながら、
http://www.shunkado.co.jp/gallery/g_w_torayaki.htm(美味しいよ!)
バターの値上がりのため、お菓子の値段もあげざるをえなくて、6月から
値上げをしたと残念そうに言っていた従兄弟のことを思い出していた。
親の世代の人達が亡くなると、いとこたちとの関係もだんだん
遠くなっていくような気がする。次の世代の子供たち同士は はとこだが
家が近かったりして付き合いがあれば別だけれど、きっと もう他人のように
なるんだろうな。