2007年 2月 28日

ワカメ入り シュウマイ


朝のお味噌汁に入れたワカメが 戻し過ぎて余っていたので、それも入れて。


 長男妻ちゃんは妊娠してから、昼間 眠くて眠くて仕方がない時間帯があるのだそうだ。
気持ちが悪いというようなつわりは ほとんどないようで 良かった。
 私も ここのところ お昼前後 眠くてたまらない。
もしかして 私も?!o(゚^゜)○☆バキッ!



*この"白磁緑彩角皿"は、丸田秀三さんの作品です。









投稿者: kun - 午後 10:01 | コメント | 固定リンク

2007年 2月 15日

おでん


この冬 最後のおでん・・かな?
畑には もう ほとんど大根がない。
もうしばらく おでんは食べなくていい!と思うくらい 作ろうと・・・
それにしても、ちょっと作りすぎたか。。。

大根・卵・牛すじ・豚もつ・黒はんぺん・さつまあげ・煮ちくわ・昆布・きんちゃく餅。


久しぶりに 今日は、込み入った表(会計報告書)を作った。
慣れれば (たぶん)なんでもないことなのに、忘れていることが多くて、あっちこっち 引っ張り出したり削除したり。
より美しく 見やすいように 書きやすいようにと手直しを何回もして なかなか 満足のいくものができた♪
パソコンに何時間も向かっていると 目がどろ〜りと疲れるし、やらねばならないこと(&やったほうがいいこと)がたまってきて あとで大慌てするんだけど・・・こういうこと結構好きなんで〜時間のたつのを忘れてしまって。。。 ジツに 困っちゃうわねぇ・・・




投稿者: kun - 午後 04:26 | コメント(13) | 固定リンク

2007年 2月 12日

牛肉と野菜のすき焼き風




相良梅園まで、自転車で行ってきた。
往復 4時間〜〜。
行きは、向かい風のため 大井川を渡るときには、帽子が飛ばされそうになるし、こいでも こいでも 同じ景色が続く。
ようやく梅園の看板が見えてからは、ずっと上り坂で、自転車を引いていると車にどんどん 追い越されていく。
「車って ありがたいねえ」と夫。
久々のハードな運動で、足が痛くて・・・
でも、こういう時間の過ごし方って 面白くて大好き〜♪
当分は、遠くに 自転車で行きたくないと思ってはいるが。

投稿者: kun - 午後 09:24 | コメント(2) | 固定リンク

2007年 2月 09日

八つ頭と大根の煮物


八つ頭は、煮崩れるので 大根を茹で 肉の灰汁をとったあと 味付けし、よく煮て 最後に入れる。


 生揚げを買ってきたんだけど、調理の仕方を教えて〜と三男から 電話があった。
電話の声がすごく近くに聞こえたので・・
「駅に着いたから迎えに来て!と言うのかと思ったよ」と言うと、
「きっと それは 元気な声だからだね〜」
「うん 元気そうで嬉しいよ」
「元気だよ! 良かったね 元気で」だって。
ほんとに 元気でいてくれることは嬉しい。
春休みの終わりごろ ちょっとだけ帰ってくるのだそうだ。
多分 京都にいるのは、この4年間だけだと思うから、折角だし じっくり京都の生活を味わいたい言う。
なんだか 大人っぽくなったなあ・・・
それはそうと〜「砂糖と醤油と酒を入れて・・」などと教えると「大匙 何杯とか ないの?」って 言ってたけど、「味をみて 甘じょっぱい感じにすればいいよ」なんて・・・いつものごとく・・わかりにくい言い方してしまった。
どうかなあ〜電話してみよっと。





電話すると、薄味になってしまったらしいが まあ おいしかったということで 下のような写真が送られてきた。
きょうのおやつと最近買ったという観葉植物の写真も。(^^)




投稿者: kun - 午後 08:44 | コメント(3) | 固定リンク

2007年 2月 08日

野菜で ステーキ


里芋は 茹でて皮をむき、肉を焼き残った油で小松菜やざっと茹でた人参・椎茸などといっしょに焼く。


 昨日は、兄がチャーターした19人乗りのバスで、草加市の叔父(73歳)の葬儀のために 親族達と出かけた。叔父は、民生委員や地域の役員・ソフトボール協会の役員をやるような世話好きな人で 豪快さとユーモアもあり、努力家でもあった。(子供のときに亡くなった2人も含め)11人兄弟の末っ子で、私が生まれたときは、まだ十代の後半だったこともあり、私たち兄弟はずっと「○○兄ちゃん」と呼んでいた。子供のころの写真のほとんどは この叔父が撮ってくれたものだ。
 まだ小学校へあがる前のクリスマスの夜のことだった。帰ってきていた叔父もいっしょに家族でこたつにいると「なんか 縁側のほうで音がしたぞ!サンタさんがきたんじゃないか?!」と叔父が言うのだ。こわごわ 兄弟で縁側に行って びっくり!!お菓子がいっぱい入ったくつした(の形をした箱)が置いてあった。お菓子など珍しい時代だったから、私たちは もう大喜びだった。
 叔父がしてくれたことをいろいろ思い出すと、あらためて感謝の気持ちがわきあがり、それに引き換え 自分が甥や姪たちに なんにもしてないことが恥ずかしくなる。
ここ数年は病気がちで目がどんどん悪くなり、最期は失明した。そんなふうになっても 勉強して整体師の資格をとり、友人知人たちのために無償で治療し 喜ばれていると嬉しそうに話していた。大切なことをたくさん たくさん 教えてくれた叔父だった。


 
 



投稿者: kun - 午後 10:17 | コメント(2) | 固定リンク