2013年 5月 30日
あらめと筍の煮物

筍料理をUPする間もなく 過ぎてしまった筍のシーズン。
今年は、裏年らしい~実家のそばの、同級生のNちゃんが言っていた。
誰もいない実家の かまどを使うのも、寂しいし嫌だし・・・と非常時にも使えるような
かまどを買ってあったのだが、あまり採れなかったので 掘ってすぐに茹でていくのが
美味しさを保つのに やはり良いからということで、いつもの年のように実家の古いかまど
を使った。
「おう 来た来た!」と迎えてくれる人もなく、
掘ってくると、「採れたかね?」とかまどのある土間をのぞき、喜んでくれる人もないけれど
その声は耳に残っていて、よみがえってくる。
叔父の葬儀の時、東京在住の従姉妹が 「子どものころ 夏休みに遊びによく来てさぁ~
みんなで ごろごろ寝たよね!」と懐かしそうに言っていた。
葬儀のあと、母の梅干しを欲しいと言う他の従妹たちと実家に寄った時も、みんなで母の
思い出話をしながら、分けた。
一緒に行った弟が、帰り際
「2階にあがって 部屋を見てみたよ。 子どものころ 姉さんとボクが隣同士の部屋だったよね」
としみじみ言っていた。
人はこの世での終わりを必ず迎え、家は古くなり 住む人がなくなれば 壊される時もくる。
そういう時がきたのだなと実感として 押し寄せてきている。
2013年 5月 29日
新じゃが♪
(4月24日のもの)
5月24日 父の弟が亡くなった。
従兄弟たちとは、今年3回も顔を合わせることになった。
悲しいね・・・また、会ってしまったね・・・と言いながら。
8人兄弟のうちひとり残っていた叔父だった。
病気療養中だったので、義姉の私の母が3月に亡くなったことも すぐ上の姉だった叔母が
4月に亡くなったことも知らせなかったから、きっと天国で再会し驚いていることだろう。
叔父は、実家の近くに住んでいたので、 子どもの頃 夜など ふらっとやってきて、ニコニコ
しながら 丹前のたもとから キャラメルを3箱取り出して 私たち兄弟に分けてくれたもの
だった。とろけるように甘く美味しかった~ミルクキャラメルだったり、一粒にココアとミルクが
半々のものの時もあった。
今思えば、農閑期の時だったと思う。
父の兄弟 8人のうち クリスチャンは3人。
お寺が一軒あり、教会は勿論ない 山奥の村で育った3人の伯(叔)母達はどうして キリスト教に
出会ったのだろうか?・・・聞いてみたこともなく。(ざんねん)
日本のクリスチャン人口率と比べれば、はるかに多い。
父は跡取りだったから、伯(叔)母達は 年に2回位は 子ども連れで来て 何日か泊っていった。
クリスチャンの伯(叔)母たちから受ける影響は大きかった。
そんな恵まれた環境の元に産まれ育ったことは、幸せだったと思う。
その子どもたち 17人(2人没)のうち、クリスチャンは6人。
親たちの世代とほぼ同じくらいの割合だ。
そして、次の世代はどうかというと~~全員で38人??・・・・父達の世代から見て 孫の世代に
なると、会ったことがない子たちも何人もいてはっきりしたことはわからない。
”兄弟は他人のはじまり”と言われるように、親たちがなくなれば、特に遠くに住む従兄弟同士は、
段々疎遠になっていき、その子どもたちとは 通りすがってもわからないほどになるのかもしれない。
従姉妹会をやりたいねという話は持ちあがったので、また きっと会えると期待している。
2013年 5月 18日
ふきと筍の煮物
ふきと筍の煮物をどっさり作り置いて、息子の家に産後の手伝いに行ったのは
6日だった。
10日間の名古屋での生活。
料理をはじめとして、家事は場所が違っても すぐ慣れるもの~特に料理を作るのは
愉しかった。
嫁が全幅の信頼をしている○○式母乳育児法によれば、乳管がつまるとかで食べて
はいけないものが、カレー 筍など~昔は、母乳の出がよくなると言われていた
お餅類などもその中に入っていた。
また、オリーブオイルとごま油以外の油と乳製品は、使わないようにということで やや
料理の幅は狭まってしまったが。
添加物が少ない、より安全なものを食べるように心がけ、アルコール類はやめること
ぐらいで、なんでもバランスよく食べ、穏やかにゆったりと育てようと心がけ、母乳で4
人を育ててきた私からみると??
筍なんて、どの子のときも どっさり食べながら 母乳をあげていた。
(と言いたいところを、ぐっと抑え)
昔と違い、今は食べ物が豊富だから、もち米などカロリーの高いものは抑えるように
したほうがいいのだと言うけれど、私の子育ての時代は そんな大昔ではなく 食べ物も
豊富にあったんだけどなぁ・・・(と、心の中でつぶやいていた)
ネットで検索して得た情報や本から得た知識、その○○式の助産婦さんが言うことを
ひたすら信頼する新米ママとパパに、私の経験談など ほとんど必要とされてないことを
度々感じた。
まあ、それも仕方がない 当然といえば当然のことでしょう。
私だって、育児書を読み、講演会などに行ってその道で活躍されている人の話を聞き、
自分で考え夫と相談し、試行錯誤で子育てをしてきたのだもの。
ママは よく赤ちゃんに優しく話しかけ、パパも すぐ抱っこして、 まるでおもちゃのように
顔をマッサージしたりとスキンシップたっぷりに育てている。
調味料や洗剤類なども できるだけ 安全なものを使うことも、私以上に心がけている。
きっと、健康で 優しい子に育ってくれるだろうと思っている。
2013年 5月 02日
母の作った梅干し

梅干しは、どのくらい持つだろうか? ネットで調べてみたら、塩とシソで
素朴に 塩辛く作ってあるものは、賞味期限は長いらしい。
一応 100年以内に食べて下さい~と書いてあった。(笑)
母の作った梅干しは、床が斜めになっている蔵に 山のようにある!
認知症になる前は、無くなるともらってきていたが、認知症になってからは、
大丈夫か!? とやや 不安になり、「梅干し 持っていく?」と度々 聞かれたが
「いいよ、まだ あるから」と断っていた。
今 思えば、かわいそうだったな・・と思う。
折角 子供たちや皆にあげたくて 作っていたのに。
(ごめんね、お母さん。)
これは、実家の冷蔵庫にあったもの。
今 玄米に ちょんちょんとつけて 食べている。
(昔と変わらない味で 美味しいよ、ありがとう お母さん)
容器に名前を書いてある。
どこかへ漬けものや煮物でも 持っていったのだろう。 間違えたり 忘れたりすると
困ると思ったのか、なんにでも 名前を書いていた。
さて、沢山の梅干し、欲しい人たちに分けることにしよう♪