2013年 3月 27日
トノサマガエル?
クロとケンの視線の先は〜〜〜カエル!
畑の土をおこしていたら、出てきた。
ねぼけまなこで〜動きがのろく、遊ぶには ちょうど良い。
捕まえられ 背中をなでられたり 話しかけられたり。
カエルにとっては とんだ災難!?
クロもパクッとかみつきそうだった。
2013年 3月 22日
人面大根
無農薬なので、虫がよってたかって食べて 創作。
近所の、母と同年齢の人が 母より数日前に亡くなった。
独身の息子さんとの二人暮らしだった。
道でその息子さんと会った時、「寂しいですね」と言うと、顔をぐちゃぐちゃにして、
涙を流し 会話ができないほど泣いていた。
昨年の暮れ入院するまで、歩いて買い物に出かける姿をよく見かけたし、入院する
前日には シチューを作ってくれたと言っていたから、突然のことで 心の準備ができて
いなかったのだと思う。
父が亡くなった時、母も私もそんな状態だった。 私には一緒にいる家族がいたから
救われたけれど、母は一人暮らしになり どんなに寂しかったか・・・私たち子供が時々
行っても、心の空洞は埋められないほどだったと思う。
今 父と再会して 喜んでいるだろうなと思うと、母が亡くなった寂しさは和らぐ。
2013年 3月 21日
母は歌が好きだった♪
母は、若い頃 歌手になりたかったのだと聞いたことがある。
その当時 歌手は、今のようにまともな?職業とは言えなかったようで、周りから反対
されて あきらめたのだそうだ。
この写真のように合唱団に所属して 歌っている写真や、一人で歌っているものなど
写真を整理していたら、何枚も見つかった。
今でも、地元の盆踊りのとき 決まってかけられる”宍原音頭”の歌は、母が歌っている。
子供の頃、母が家事をしながら歌っていると
「母さんは、ほんとに歌がうまいなあ」と ”ほんとに”という所に力を入れて、父はよく
言っていた。
たまに そのあとに、
「おまえは、母さんに似ないで 父さんに似ちゃって かわいそうだ」とも。(-_-;)
先生について 習っていたということなので、発声の仕方は、腹式で本格的♪
金婚式のお祝い家族旅行の時、宴席でアカペラで歌った ”ここに幸あり” 今も目をとじると
歌声が聞こえてくるようだ。
傘寿のお祝いの時にも、カラオケで何曲か歌っていたが、ほれぼれするような歌声を聞いたのは
それが最後だった。
昨年 10月に入院してから、弟がプレゼントした歌集を開いて、母と一緒に 何回か歌ったが、
耳が遠くなっているせいか 音程はくずれ、昔の歌声では 全くなかった。
歌う本人も愉しくないのか、積極的に 歌おうとはせず、切なく 悲しかった。
2013年 3月 18日
クロも畑で♪
クロは、よその人が来ても 前のようにほえない。
散歩の時、グイグイ引っ張るので ケンは、ついていけずころんでしまった
こともあったが、今は そういう力もない。
周りのことに興味を示さなくなっているクロだが、ケンが無邪気に遊ぶ姿を
目で追う。 ケンの声が好きのようだ。
2013年 3月 09日
クロ昼寝、母永眠
このところ 春のように暖かい。
芝生の部分に寝ればいいのに・・・
黄砂・PM2.5・杉花粉が入り混じった風の中で 昼寝中(~_~;)
昨日 昼、88歳の誕生日を迎えたばかりの母永眠。
父亡きあと、13年間 一人暮らしだった。
この間 入院したのは今回だけだったから、健康には恵まれていたと思う。
最期の数日は、弟曰く「穏やかな灯火」のようで、静かに消えていった。
すべてのことで反面教師のような部分も感じていた母だったが、よくよく
今 思えば 自分と五十歩百歩だったかもしれない。
エラそうに 批判したり 反抗したりする資格なんて ひとつもなかったと亡く
なってみると、良い所だけが思い出される。
60歳過ぎてから、琴の師範をとり、教室をいくつも掛け持ちしたり、手打ちそば
教室の講師をしたりと溌剌と頑張っていた母の方が努力家だった。
かけつけた孫娘たちがハラハラと涙を流している姿を見ると、明るくて優しい
いいおばあちゃんだったなと あらためて思う。