2010年 5月 19日
酢豚
母の衣類の片付けをしている。
一部屋が山になり、埋まってしまうほどの沢山のもの。
ここ2年ほど、その季節ごとに着るものが決まってしまっていた。
「いつも 同じものを着ているねぇ・・・」
「これが着やすいんだよ」
「一体いつ洗うの?! (下着は替えてるんでしょうね?)」
「昨日 洗ったよ」
「汚れてるねぇ・・・きたならしいね・・(縫ってある?!)」
「そう?」
他にも着るものはあるはずだ・・〜というわけで、床の修理をすることにもなったので
全部出してみた。 これまでは、自分で管理できていたので(と思っていたので)、
触れない領域だった。 あるは あるは〜〜〜〜〜〜!
全体的に、きれいにきちんと大切に保存してあったが、湿気が多い家なので、カビくさい。
母をよび、一枚一枚 見せて、「どうしよう、これ とっておく? 私にくれる?捨てる?」
とやり始めた。
最初のころは、「こんなのがあったんだ?! どこにあったぁ?!」と感動さえしていたが
そのうち「あああ 疲れた〜もう いやんなっちゃった。あんたが捨てるとも持ってくとも
して」と立ち去った。
それから、日があいているときに行き、時には 夜の8時過ぎまでかけ、ようやく少し
片付いてきた。
姉(伯母)が洋装店をやっていたので、独身のころ そこで洋裁を習っていたこともある母は、
とってもオシャレで、特に私たち兄弟が結婚して家を離れてから、洋服を作ってもらったり、
買ったりすることが楽しみだったようだ。もとい〜ようだ〜ではなく、楽しみだったのだ。
同じようなものが何枚もあるのには、あきれた。 バッグも帽子の数も、私の感覚から言うと、
もしかしたら病気だった?!と思うほど。
10年以上前 体型が変わった70代のころ、50代ごろまでに着た派手な花柄もの、ピンクや
赤が基調のものなどをなぜ 手放さなかったんだろう?
(その問いをつきつめると、長くなりそうなので省略)
その頃 子供の教育費の占める割合が大きかった娘(私)の家庭では、私の被服費はゼロに
近い状態だった(今でも あまり変わらないけど)。 きっと 喜んで着たろうだろうに。
そう思いながら、家に持ってきたものを手洗いしたり、クリーニングに出したり、まだ 母が着れる
!とまた 持って行ったり。「おばあちゃんの物を持ってきてからか、目がかゆい」と息子が言うので、
倉庫に運びこみ 少しずつ 整理している。
捨てるものも多く、再利用するには、時間も手間もかかる。
自分のものは できるだけ 自分で片付けができるうちに片付けたい、物はなるべく少なく〜
というのが、母から受けた教訓だ。