2009年 12月 13日
チキンソティクリームソース
聖書には、「人を愛しなさい」と書かれているけれど、「人を好きになりなさい」と
は書いてない。 と渡辺和子さんは講話集の中で話されていた。
生理的に好きになれない人がどうしてもいるもので、それは仕方ないことなのだと。
夜、プロテスタント他宗派の教会のクリスマス会に、その教会の教会員である
友人に誘われて行った。
教会のクリスマスは、自分の教会のクリスマスで十分満足できるのだけれど、
友人が誘ってくれたので、なにか得るものがきっとあるかもしれないとも思い
(お付き合いで?!)行くことにしたのだ。
私の教会のクリスマス案内チラシを2枚 持って行った。
一枚は、その友人に! そして、あと一枚を誰かさんにお渡しできますように
と祈りつつバッグに入れた。
一緒に行った友人は下足番の係だったので、40分も前に教会に着いた。
私は、前の席に座ってきょろきょろしながら、持っていったクリスマス案内チラシを
渡せる人を探していたが、みんな知らない人たちばかりで・・・
あきらめていたとき、マスクをした女性の目に見覚えがある人が入って来られた。
その方は、8年ほど前まで 私たちの教会で役員をされるほど深く教会に
結びついていた。それが、任期が終わるか終らないうちに、突然教会に見きりを
つけたように、来られなくなった。
そういう人たちも残念ながら 何人かあるのだけれど、その中で 私にとっては
どちらかといえば にがてな部類で、積極的に話をしたくない人だったのだが。
始まる前、「お久しぶり!」と挨拶程度の会話をした。
知り合いに たまたま誘われて来たのだそうだ。
終わったあと、彼女はさっさと、帰られようとされた。
そのあとを追い、玄関で、クリスマスの案内を渡し 話すことができた。
クリスマスに来られないかもしれない、そうだとしても きっと 私を通して、
「待っているよ」というメッセージは伝わったと思う。
一枚のクリスマス案内を手渡すことができた人は、大好きな人というわけでは
なかったが、大切な人ではある。
この世的には、「会いたい人には会えず、会いたくない人に会うものだ」などと言う
のだろうが、それにも ”わけ”があると思える。