2006年 9月 30日
(初堀り)里芋と大根抜き菜の味噌汁
夫が勤務する学校の運動会へ行った。
多分 メンは割れてないので 気楽だが、ちょっと感慨深い。結婚30数年目にして 初めてだったのだ。
親がまず 自分の子供の姿を見つけようとするように、私は夫を探す・・・
いた いた♪
にこやかにお客様と話したり、子供たちに拍手をおくったり、写真を撮ったりする夫をしばらく眺め、こっそり夫の姿を写真に納めた。その後 子供たちの写真を撮っていると知らない間に横に夫が来ていて「ごくろうさまです〜ありがとうございます」ですって(笑)
とっさに 他人のふりができなくて「あっ どうも」と言ったときには もう背中を向け 他の人に挨拶をしていた。
「ごくろうさまです〜ありがとうございます」は私のほうから 言いたいセリフです。
2006年 9月 25日
ポテトとモロヘイヤのチーズ焼き
?じゃがいもは、オリーブオイルを熱した中へ入れ 焼く。
?インゲンなど 野菜も加え塩こしょうし、モロヘイヤを入れ チーズをかかけ 蓋をして溶けるまで。
向かい側のM農園で働くシルバーさん(らしき人)達は、みんな気がいい。農園の生垣の消毒のついでに、道路側の(我が家の)この木も消毒してやれよと誰かが言えば、あ〜そこの四本 昨日消毒しといたよといった調子。ほんとに ありがたい♪
今朝は、珍しい花の苗を届けてくれた。
「ランプの妖精」「ミッキーマウスツリー」「夜香木」「白い綿のような花が咲くというゼラニューム」の4鉢。
この前水撒きをしていると、大変ですね〜と言うので、好きだから 苦にはならないんですよ〜というところから会話がはずみ、そのおじ(い?)さんとしばし花談議をしたのだ。600鉢も花があるのだそうだ。同じ花好きでも、足元にも及ばない!
私は 花壇に植えっぱなしでも 時が来ると芽を出し花を咲かせてくれる雑草のように強い花が好き♪ というか、デリケートな花は知識もあまりなく おおざっぱな私には不向きで。(汗)
鉢物は ほとんどが今回のような”花大好きさん”にいただいたもの。花が咲いているはずの頃 霜にやられてしまったりで もう 命さえも危ぶまれるような鉢を眺め、生みの親の”花大好きさん”に申し訳ないと思う時もしばしばある。そんな姿は見せられない・・・と裏のほうに運ぶ。
そこを見て、ここは さながら花の墓場だね〜と夫。(ドキッ)
今回 いただいたものは、実際の花を見たことがないので 是非見たい! 大切に育てます。つもりです。
2006年 9月 12日
ゴーヤサラダ
?ゴーヤは、白いわたをとり 切り、塩をふり15分ほどおく。
?氷水に ゴーヤを放ち ざっとかきまぜてあげ 軽く絞る。
?あとは 他の材料を用意し、オリーブオイル・酢・塩・砂糖少々でドレッシングを作り和える。
先週行った”えんや”(居酒屋)で ゴーヤサラダを食べた。玉ネギとゴーヤとベーコンだけのサラダだったけど、シャキシャキしておいしかったので マネしてみた。
8月にケータイを換えた息子から「きょうの晩ごはん」という楽しい添付メールがくる。前回は 具沢山のチャーハン〜今回は親子丼♪
件名を見て、「おっ!」とニコニコ
開いて「おお〜〜っ!!」ヾ(@⌒▽⌒@)ノ
緑の野菜もしっかり 入っていて感心 感心〜〜
バイト先のスーパーでもらった半額シールつきの刺身などの写真も添付してあって 爆笑。ちゃんと栄養も考えて作って食べているから安心してね!と語っているかのような写真を何回も眺めている。
2006年 9月 11日
ナスの丸ごとグリル焼き
焼けたら皮をむき、おかかとおろしショウガをかけお醤油タラタラ〜ッ。
いつもソフトボールの試合や練習があれば それらを最優先してきた。が、昨日は試合があったけど、午前中は教会に行き午後は静岡の畑へ草取り。試合はどんな具合かなあ・・と思いつつ 礼拝 そして クリスマスに向けての歌の練習(楽しかった!その1) その後運営委員会(といっても雑談風・・楽しかった!その2))だった。午後は、ウィーンで行われたピアノの大会で2位に輝いた大学2年の教会員の息子さんのコンサートが教会であるということだったが、後ろ髪を引かれる思いで草取りに出かけた。
野菜を作り管理してくれていた叔父がこの夏体調をくずし続けられないから返すというのだ。どこから手をつけていいかわからないほどに雑草が生い茂り〜〜しばらく覗いてみることもしなかったことを反省しつつ 隅から草を取っていった。そこで、たまたま近くの畑へ来た叔母に会い、おいしそうなさつまいもをいただいたり、その後(高齢の)伯父が通りかかり 話をすることができた。義父の兄弟は5人が静岡にいるのだが、短時間にそのうちの2人に会うことができたわけだ。
試合の応援に行かなかったことで気を悪くさせてしまい、余計な憶測をうんでしまうことにもなったり、すぐ目の前で無料でなんて 今回だけかもしれないピアノの演奏を聴く事ができなかったことは残念だったが、それでも やはり神様が備えてくれていた道を歩んだ一日という気がした。