2013年 1月 21日

めざし



 老年期にさしかかろうとしている二人だけの生活になってから、
これまでより 頻繁に めざしを食べるようになった。
朝、 めざしに具だくさんのお味噌汁(鰹節削りで削ったカ鰹節のだし☆)、
ネギ納豆に沢庵、玄米ごはん〜発酵食品ソロイブミ〜♪

 クロが、所構わず したい時に排泄をしてしまうようになってから、朝
クロより 早く起きて 外に連れ出そうとしているが、このところ 失敗続き(泣)
少しずつ 早くなり、とうとう今朝は5時に飛び起きて、急いで身支度を簡単
にして 出て見るともう すませてすましがお(~_~;)
 数日前 くしゃみをよくしていて、そのころから軟便で・・・ 
昨夜も9時過ぎに見てみるとその上を歩きまわるわ 鎖で広げてしまうわで
散乱状態〜〜大変なことになっていた。
 まず、散歩紐に替えて 紐の端に大きな石をのせ クロを避難させてから、
鎖を洗ったり、散乱しているものを片付け。
 朝まで眠ってほしいので、その後 散歩することにした。
夜の道をあちこち歩くこと1時間半!
空を見上げると 雲の合間に 星が輝いていた。
家の前に来て、庭に入ったらもうおしまいにしようと思っていたが、3回ぐらい
通り過ぎた。 
今もし 鎖から離れてしまったら、きっと家に帰って来れないだろうな。
 最後には、私が先導して庭に入れ、小屋に入れた。
疲れて その後眠ったようだったが、朝 起きてみると 前述の通り(~_~;)
 
 耳もだいぶ遠くなってきているので、耳元で、時々「クロ 大好きだよ♪いい
子だね」とささやく。 
クロの耳が 私の顔にふれて 温かさが伝わり、気持ちも伝わってくるような
気がする。
あまり苦しむことなく余生を送って欲しいと願う日々だ。





投稿者: kun - 午後 10:07 | コメント | 固定リンク

2013年 1月 06日

伊達巻


卵に白はんぺん・砂糖・塩・みりん・しょうゆを混ぜ フライパンで焼き
さめるまで巻きすで巻いておいた。
お正月に作って食べる予定だったが、お正月は過ぎてしまった^_^;


 12月29日に来た次男夫婦が、元旦に嫁の実家のほうに行ってしまうと
それに合わせて来た近くに住む長男の家族も 自分たちの予定があるらしく
来なくなり・・・
三男が時々 顔を見せてくれるだけ。
母と義母は入院中で、お正月は二人とも病院というなんとも切ない寂しい
年明けとなった。 
クロ(16歳半の犬)も、急に認知症が進んだようで、ぼんやりしていたかと思う
と、次には 同じコースをひたすら歩き廻ったりする。
 
 三男は、帰る時 私に「クロ(犬)の世話を宜しく」と いつも言う。
次男は今回帰る時、弟(三男)に、
「クロとお父さん お母さんのこと宜しく頼む」と言っていたのだそうだ。
頼むと言える弟と 頼む兄〜優しさをもつ息子たちで嬉しいけれど・・・
まだ まだ 元気に 頑張るわよ、ぼちぼちと☆

 


投稿者: kun - 午前 06:07 | コメント | 固定リンク

2012年 11月 07日

柿とタコの酢の物



 幼稚園の孫が早いお帰りだったので、迎えを頼まれた。
昼食を家で食べ、その後 静岡科学館「るくる」に行った。
 平日の日中でもあり、孫の貸し切り状態で夢中で遊びまくっていた。
しばらくすると、ぽつぽつ親子連れが来て。
2歳半の男の子が、明日 九州のおばあちゃんの家に行くということで
おばあちゃんに会えるのを楽しみにしているということだった。
彼のママといろいろ話していると、その子が、私のことを「ばあちゃん」と
ニコニコして呼びかけてくれた。
なにが面白いのか 笑いのつぼにはまったように、私を見ては ゲラゲラ
笑ってくれた。 ほんとに ほんとに愛らしい子だった。
もしかしたら、スカイプなどで会話しているおばあちゃんに私が似ていたのかも
しれない。
遊び場所を移した孫を追って遊んでいるとき、もうその子のことは頭から離れて
いたら、ママと一緒に「バイバイ」を言いに来てくれ、小さな手でハイタッチ!
 おばあちゃんは こんなに可愛い孫に会える日をきっと まちわびていること
だろう。

 自分の孫に こんなふうに接してくれたら嬉しいなと思うように、よその小さな
幼児にも接したいとあらためて思う。

 今は親元から離れて生活している自分の20代 30代の子ども達に、周りの年長者
たちが思いやりのある言葉をかけてくれたり、 困っている時には手をさしのべて
くれたりしたら どんなに嬉しいかと思う。
私の周りにいる自分より若い若い人たち(これから ますます増えていく!)との付き合い
の中では、これまで わりと対等に自分を置いていたような気がするが、彼らの親が
そうしてほしいと望むような お付き合いをできる限り していきたいものだなあと 
なんだか しみじみ 思っている。


投稿者: kun - 午後 08:25 | コメント(2) | 固定リンク

2012年 10月 10日

ごまさばの竜田揚げ


3枚におろしたごまさばをいただいた。

 母が大腿骨骨折で入院して10日目。
病院まで、静岡に入ってからは海岸線を通るのが最短距離だ。
約10キロほどの海岸道路〜もし、そのとき地震 津波があったら、逃げられ
そうにない・・
反対側には山があるけれど、崖が多いし 津波はせりあがってきそうだ。 
普段は静かできれいな海を横目に見て 怖々 できるだけ速度をあげて通る。 
昨日は、やけに全体的にゆっくりだと思ったら、前のほうにパトカーがいた! 
帰りは、遠回りして街中を通る。
 
  
 

投稿者: kun - 午前 06:50 | コメント | 固定リンク

2012年 9月 05日

イワシ味噌シソフライ



 「ここのイワシはうまいよ! 獲れるところによって ぜんぜんうまさが
違うんだよ」と魚屋さん。
開いて、味噌を塗り 青ジソをつけたところ〜
これに、小麦粉・卵・パン粉をつけて フライに♪

投稿者: kun - 午後 10:17 | コメント(2) | 固定リンク

2012年 7月 27日

サーモンとワカメなどのマリネ



 
 楽しみにしていたオリンピックが始まった。
なでしこはカナダに、なんと男子サッカーはスペインに勝って、これからますます
目が離せない♪
生中継を観戦!! となると、寝不足になるけれど、昼間 眠いときは いつでも
横になればいいんだし☆
それで誰かが困ったり 迷惑をかけたりするわけでもない〜
これぞ 気楽な年金暮らしの良さ(笑)
 

投稿者: kun - 午前 11:38 | コメント | 固定リンク

2012年 7月 07日

前夜の残り物に味噌汁を作って朝食



 焼津へ引っ越してきてから〜って もう30年もたつけど〜刺身類はいただいたり 
買ったりして よく食べる。
このカツオのたたきも いただきもの。
野菜は、自家栽培だし 健康的な食事・・・と原発事故が起こる前は言えたが
今は 若干 不安がありながら 海のものを食べている。
その頻度も だいぶ減っている・・

 漏れた放射能は、広い海に広がってしまった。
まだ どうなっているのかわからない手つかずの現場がある。
一時 海で獲れた魚などの放射線量を調べたりしていたようだが、今 どうして
いるんだか!?
風評被害を恐れて あまりニュースで取り上げないのかもしれないが、ほんとに
規定以上の放射能が含まれているものがあるのなら、市場にだしてもらっては困る。

 チェリノブイルの事故以後、小麦粉は国産!というように、肉類なども とりあえず
国産のほうが安心できていたが、今 国産と書かれていると大丈夫か!?と不安が
よぎる。
私たちのような先のほうが短い者は もうなにを食べても食べなくても どうってことないと
思うが、若い子供たちや孫たちのことを考えると 心配で、こういうことになってしまった
ことは 取り返しのつかない悲しいことだと思う
 

投稿者: kun - 午後 10:33 | コメント | 固定リンク

2012年 2月 12日

イワシハンバーグ

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 イワシのすり身を買ってきて、それに すりおろした山芋・
しょうが、片栗粉、塩こしょうを混ぜ、焼いてから 醤油・みりんで
味付け。


 山すその畑で、焚き火をした。
落ちている木の枝を拾ってきて、枯れ草なども一緒に燃やした。 
灰を畑に混ぜるのだ。
野焼きは禁止されているが、条件的にOKじゃないかと判断。
 夫は、ジャガイモの植え付けをし、私は最初 草取りをしていた。
そのうち 寒くなってきたので〜火のそばへ行くと その暖かいこと!!
離れられなくなった。 
少し風が吹くと炎が大きくなり、ゆれて いろいろな形をし、音まで
様々で〜 なんといっても暖かいし、飽きることがない。
すっかり 幸せな気分になって、ず〜〜〜っと 焚き火を眺めたり
木を入れたりしながら あたっていた。
最後は、炎もなくなり、”おき”だけになったが、風が吹くと 赤くなるのを
見ているのも 面白かった。
 ここに 焚き火などしたことがない ケンがいて、サツマイモがあれば
もっと良かったかもしれないが、ただただ 燃して 静かにあたっているのも
たまらなく楽しかった。

投稿者: kun - 午後 06:33 | コメント | 固定リンク

2011年 12月 30日

まぐろの山かけ

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 朝6時半過ぎ、玄関にいるクロを見ると、またもや(コブを取った後の)
傷口から 出血していた。
なかなか 血が止まらなくて、包帯をしても すぐに真っ赤になってしまい、
滴り落ちる血を プルプルッと飛ばすので、土間から壁まで 血の斑点が
ついてしまう。
 この前は、土間や数メートル先の壁まで 血糊がついてしまっていたが、
次男がいたので 一緒に拭いてくれて助かったが、今日はひとりで 包帯を
巻いたり 掃除をしたりと大変だった。
  コブを取る前に、出血し あたり一面 血だらけのことが4回ほど、コブを
取ってからは、2回目なので さすがに落ち着いて処置できた。
 9時過ぎになって、クロは失神状態になった。
倒れて吠えた声で、三男が 驚いて飛び起きてきた。
その後 三男とともに病院に連れて行き。
明日から 病院も休みなので、出血の際の処置方法を教えてもらい 止血剤
包帯などいただいてきた。
先生の奥さんでもある看護師さんが、「休みのときでも 近くにいますので
いつでも 連絡して下さい」と言われると先生も「多分 遠くにも行かないと
思いますから」と言って下さり、ありがたい。



投稿者: kun - 午後 09:56 | コメント | 固定リンク

2011年 8月 27日

鮭と野菜のマリネ

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 ぺたっと座り込んで、TVを見たりしながら 洗濯物をたたむ。
たたんだものを片付けるため 立ち上がろうとすると〜〜〜
すんなり なんの抵抗もなく 立ち上がり、次の動作に移れたのは
いつごろまでだったか?!
今は、「ドッコイショ イタタタタッ」という感じ(-_-;)
  母は、私の年齢のころ 車の教習所に通いだし、免許を取得した。
その後、琴の師範もとり 教室をいくつか持ったり、手打ちそば作りの
講師もやっていた。 そのパワーはすごかったなあと今になると思う。
(私なんて、一日働いて、家に着くと ぐったりだもん。)
 私はその当時は、子育て真っ只中だった。
母は、今のお祖母ちゃんたちのように、小さな孫を預かるということは、
一切しなかった。
昔のお祖母ちゃんたちは、皆 そんなものだったかもしれない。
親を家でみとったあと、仕事と自分がやりたいことに全力を傾けていた。



 

投稿者: kun - 午後 12:49 | コメント | 固定リンク