2012年 4月 23日

大根と肉炒め弁当

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 アンデルセンは、世界の人たちに読み継がれている童話を書いた人だ。
靴屋でアル中の父親と家政婦の母親の間に産まれ、小学校を中退しなければ
ならないほどの極貧生活だったそうだ。
 なぜ あのような美しい童話が書けたのでしょう?と言う質問に彼は こう答えたと
いう。
貧しいがゆえに「マッチ売りの少女」を書くことができ、自分の外見を馬鹿にされたが
ために「みにくいアヒルの子」を書くことができた。逆境は私の祝福だった〜と。

 友人が ざっと 上のような記事をメールで送ってくれた。
「苦しいこと」「つらいこと」「大変なこと」「嫌なこと」・・・多かれ少なかれ 誰にも いつでも
あることだけれど、それをどう受け止めるかで 違ってくるよね!!発想の転換が大事だね♪ 
としばし メールのやりとり。


投稿者: kun - 午後 10:48 | カテゴリ: 弁当
コメント

雑虫:

こんばんは。お久しぶりです。
最近、皆さんにご無沙汰しています。年度の変わり目で、自分自身の環境はそれほど変わっていないのに、周りが変わったことで、あれこれ慣れるまでに時間がかかっています。そのせいかどうか、自分のブログをひと月以上更新していません。Facebook にも自分の記事は久しく書いていません。
Kunさんの記事、ここひと月ほどのものをまとめ読みさせていただきました(まるで新聞のまとめ読みみたい。すみません)。いいですね。おせじじゃなくて、心が落ち着きます。
アンデルセンの話も、心を動かされる話です。でも、彼がそんなふうに自分の人生を評価できるって、どういう力が働いていたんだろうって、改めて思いました。
神様が共にいてくださったから、と一言で言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、その一言では片付けられないいろんなことがあったはずだろうと思うし、それでなお「祝福だった」と言い切れるのは、やはりすばらしいことです。自分のことを振り返ってみて、そう感じるのです。

スルガエレガントが盗まれた話には心が痛みます。そういう話も、自分に身に置いて考えたとき、自分だったら怒りと悲しみとやりきれなさで、とても耐えられないだろうと思ってしまいます。

中年を過ぎて、日々、予想以上にいろんなことが押し寄せるのだと実感します。押しつぶされるかと思うこともあるのですが、その中に、間違いなく恵みもあることを思うと、やっぱり感謝の思いも湧きます。苦難と恵みがごちゃ混ぜになってやって来るのが、生きてるってことなんだなと。

わが家のベランダでは今、フリージアがとてもよい香りを放っています。
ではまた。
(2012年 4月 27日 午後 09:54)

kun:

雑虫さん
おはようございます♪
読んでいただいて ありがとうございます。 
返信が遅くなって 申し訳ありませんでした。<(_ _)>
年度の変わり目で なにかと大変なご様子〜慣れる〜までに、きっと頭も心もフル回転で 充実されていることと思います。
ブログの更新を楽しみに 時々 訪問し、過去の記事を拝見しています。
マラソンをテレビで観るのは、好きですが 若いころから 私にはできないことのひとつです。
雑虫さんは、すごいですねぇ☆
今でも 時々 走ってらっしゃるとは!!
アンデルセンは、アル中の父親から虐待を受けていたんだそうです。
そういうことも含めて過去のことを「祝福だった」と言えるのは、ある意味成功をおさめたからでしょうか?・・・
成功をしても、過去をそのように見れない人もいるかもしれないし、世に認められるような成功をしなくても 過去の苦しみを祝福だったと思える人もいるでしょうね。
こうありたいと思うことができることは幸せだと思いつつ、なかなか 理想通りにはできなくて 悶々としながら時がたってしまっています。
またたくまに ゴールデンウィーク 後半に入ってしまいました。
そして〜〜(夏生まれですので)また一年が過ぎてしまいそうです。
誕生日に この一年なにか新しいことに挑戦したいと思っていましたが、な〜んにも できていません。
夫曰く「今まで できていたことができていれば それで十分だよ」って。。。高齢者なら それもそうだけど(^_^;)
「福祉村」や家の畑の草取りや花の手入れ、筍堀りと労働で終えたゴールデンウィークの前半でした。
今日は雨の合間をみて、花の手入れをするのが楽しみです♪
良い香りのフリージアいいですね☆☆ 癒されますね。
(2012年 5月 03日 午前 09:43)