2005年 5月 31日

じゃがいもといえば〜ポテトグラタン


じゃがいもをゆで(塩少々入れる)、玉ねぎ ウインナーソーセージ(ベーコン ハムでもいいね)を炒め、ホワイトソースを混ぜ、チーズをかけ パン粉もパラパラッ。
オーブンで焼く。
ピーマンやコーンがあれば、入れるけど 今回はなかったので 入れなかった。
☆ホワイトソースの作り方
バターをフライパンで溶かした中へ、同量の小麦粉を入れ、香りがしてくるくらいまで炒め、牛乳をドバッと入れて混ぜ 塩コショウして ダマがなくなったら できあがり。



料理は、習いに行ったことがなく ”見よう見まね 試行錯誤”で やってきたので、ほとんど 調味料を量る習慣がない。
ただ お寿司や炊き込みごはんのときは、量るが。
「これから 歳をとるにしたがって 味に鈍感になってしまうかもしれないから、調味料 量るようにしたほうがいいかなあ?」と食事をしながら つぶやくと
「いいんじゃない♪ 量らなくたって!」
「そのときに よって 味が多少 違うほうがいいよ。
いつも 同じ味だと、料理屋さんや弁当屋さんみたいで面白くないじゃん」ですって。
というわけで、これからも 適当に〜いえ 適宜 適切な目分量で やっていこう。


投稿者: kun - 午前 09:58 | カテゴリ: 野菜おかず
コメント

ぎかく:

そう、驚くべき意外な「隠し味」とか、
絶妙な「食材の組み合わせ」とかに出くわしたときなど、
料理というものには、これほどに斬新な創意と工夫や、
勇猛にして果敢なまでの日々の挑戦が、
どんなに必要であったかということを思い知らされます。
まさに、人類の遠大なる試行錯誤なくしては、
今日の料理はなかったと言っても過言ではないでしょう、と。

で、ちょっと大げさ過ぎ・・??(^ ^ゞ
(2005年 5月 31日 午後 01:26)

kun:

映画の中で、「あの気持ち悪い姿をした牡蠣を、最初に食べた者の勇気を見習え」というセリフがあったのを ふと おもいだしました〜♪
それにしても・・・
おおげさ=ふるたちさん的
(2005年 5月 31日 午後 11:17)

よしひろ:

私の意見は数をこなせば、味加減は勘に頼るほうが良いと思います。確かに毎回味は微妙に異なるかもしれない。

レストランなどは味の均一性が必要でしょうからマニュアルが有った方がいいでしょう。しかし勘に頼るとは脳のために良い訓練では・・全てマニュアル化した日常生活なんて面白くないとも言えますね。

妻の味も毎回少し異なります。これは第三者がその人の健康や思考をチェックできる良い機会でも有ると思うのです。極端に「辛い」「薄い」と思ったときは、妻と自分と、いずれかがおかしいのでは、とチェックできますよね。

私は昔は「実験化学屋」でしたが、実験の再現性の為にはAとBを正確に測り、温度、時間を正確に記録せねばなりませんでした。でも自分の食べるものを作るときは目分量で作ることを楽しんでます。
(2005年 5月 31日 午後 11:57)

よしひろ:

もう一つコメント
元来人間は何でも口に入れて食べていた。
ウニも牡蠣もミミズも河豚も何でも・・その中から食べられないものを排除して行った、それが今私たちが食べているもの・・と言った意見をどこかで読んだような気がします
(2005年 6月 01日 午前 12:01)

kun:

>勘に頼るとは脳のために良い訓練では

そっかぁ〜脳の訓練 訓練♪

>食べられないものを排除していった
な〜るほど!
ふぐやキノコなどの毒で犠牲になった人は かずかずだったでしょうね。
(2005年 6月 01日 午後 02:58)