2008年 10月 09日

かつ丼弁当

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 50肩の激痛は、6日間ぐらい続いた。
腕を動かさなくても うずき、ちょっと動いてしまうとさらに痛んだ。
やっとのことで上向きに寝ても、痛くて眠れず、痛む肩を上にして横になっても
痛いし、たまらず起き上がっても痛いしで、ためいきばかりの日々。
熱も37度5分ぐらいあった。風邪かな?と思ったが、痛みが引いてきたら
平熱になったので、50肩の炎症に伴う発熱だったらしい。
痛み出してまだ2日かぁ・・・まだ3日しかたってないんだぁ・・痛みがちょっと
おさまったと思ったのは注射の効果だったのか・・・痛み止めの薬をしっかり
飲んでいてもなにも変化がないのはなぜなんだろう?・・と長く 長く感じた
痛い日々。体重も3kg減った。
 それが、なんと昨日あたりから、動かさなければ痛くない!
動かせば痛むし、動かさなくても鈍痛はあるが、まどろんでは痛みで目覚め、
体をどうしておいたらいいかわからず、やっとのことで起き上がり、座って夜が
明けるのを待った日々のことを思うと、寝返りをうつのが少しぐらい大変でも、
なんでもない。幸せがシャワーのように ふりそそがれている気分♪
早速、お花の手入れをして、鉢の置き替えをした。
 昨夜 TVで同年代のガンと闘う女性の日記が紹介されていた。
「お腹が痛くて 食べられない、つらい一日だった」と。気の毒で涙が出た。
痛いということは本当につらいことだ。重い病気になり死を前にしたとき、どこに
希望をもって生きたらいいのか・・・そのときこそ信仰が問われると思うが、私は
きっとジタバタしてしまうだろうと今回思わされた。
 


投稿者: kun - 午後 05:03 | カテゴリ: ご飯類
コメント

よしひろ:

痛みが治まってきたようでよかったですね。普通50肩は何ヶ月も続くものなのですが急激に来て急激に収まる場合もあるのですね。

私の意見は、多分激痛の最中お祈りしてもあまり痛みは引かないと思うのですよ。しかし痛みが治まった時、思い返すとその経験は決して無駄になっていなくて意味が深い場合があるように思ってます。人生意外と無駄が無いようです。

子供のとき小児喘息で夜寝られない事が何度もありました。横で母が一緒に起きていたのですが、その母も夜明けには居眠り出すんですよね。当然眠たい母の気持ちはわかりました。そして寝られない自分一人が凄い孤独感を味わうのですが、夜明けに空が明るくなり、外ですずめが鳴きだすとなんとも言えず嬉しい気持ちになったのを覚えています。

そんな経験は長い人生の中で私という人間の出発経験の一つでした。
(2008年 10月 10日 午後 01:08)

kun:

よしひろさん
おかげさまで、よかったです♪ 激痛期は過ぎましたが、まだ 腕を横に10度ぐらい、前には30度ぐらい 後ろには15度ぐらい以上あげると痛みます。それでも こんなに動かせることが嬉しいと思えます。

苦しいときは、祈りというより 嘆きをぶつけるという感じになってしまいます。ぶつけられる存在があるということは、幸せなことなんでしょうね。
>深い意味
きっと そうですね〜これからわかるのかもしれません。

子供のころの記憶は、鮮明に覚えていることとすっかり忘れていることとあります。小児喘息は どんなにか苦しかったことでしょうね。私も気管支炎になって 咳が続いたときのつらさは、よく覚えています。

>私という人間の出発経験
この表現には 深いものがありますね。
(2008年 10月 10日 午後 09:22)

はなみずき:

kunさん、肩の痛み辛いですね。。。
良くなるまで結構 長くかかるみたいですから、無理しないでお大事にして下さいね。。。

かつ丼、美味しそう〜
私、丼もの大好きなんですよね(=^‥^=)
親子丼、かき揚げ丼、、、あぁ〜ヨダレがぁ〜〜〜
(2008年 10月 15日 午後 06:31)

kun:

はなみずきさん

ありがとうございます。
おかげさまで 日に日に 良くなっているので 前日できなかったことができるようになる喜びに浸っています。
ついに ブラを自分でつけられるようになりました!(笑)

食欲の秋ですね♪
丼もの おいしいですね。
今夜は ネギトロ丼でした!
(2008年 10月 16日 午後 10:14)