2008年 6月 07日

焼き豚(ソフトボールコーチ作)




 焼き豚をいただいた。
(持病が出たのか)具合が悪いので、病院へ一緒に行って欲しいという
宣教師からの電話を切った1秒後位にピンポ〜ン。
出かける前に急いで夕飯の支度をせねばと思ったまさにその瞬間!
なんて グッド タイミングゥ〜〜〜♪♪♪
 包みを受け取るとまだ温かい。元肉屋さんだったコーチが作る焼き豚は、
忘年会などのとき差し入れてくれたので、みんなで美味しくいただいた
ものだった。
ソフトボールを辞めて一年半・・・・引き止められても耳を貸すこともなく
さっさと辞め 振り返ることもない私のことなんぞ忘れられていて当然なのに
覚えていてくれたことがありがたくて、今しみじみ思うと涙が・・・。
もうなんの関わりもない者に こうして手作りのものを届けるなんて 
私には さかだちしても できない。
 焼き豚を切り レタスを添え、肉じゃがを作り〜急いで宣教師宅に。
救急で受付をしたのは 午後6時少し前。一応入院の支度をして
行ったが、採血 レントゲンなどの結果そうするまでもないということだった。
混雑していたので、4時間もかかってしまったが、家に帰ってこられて
嬉しそうな宣教師を送り ほっとひといきつき 遅い夕飯。レタスと一緒に、
きゅうりと(アンケート用のペンぐらいの細さの←いつも書くからわかってるって?!)
アスパラガスも添えられていて♪
気を利かせ 畑から採ってきて 豪華に飾ってくれた夫は 得意気に
「アスパラ だんだん 太くなってきたよ」・・それに関しては
ノーコメントだけれど、瑞々しくて 味わい深い。



 


 

投稿者: kun - 午前 09:23 | コメント(2) | 固定リンク

2008年 6月 04日

チキンステーキの玉ネギかけ




 親戚をたどると、食べ物関係では「あんこ屋」「おすし屋」「八百屋」(今はない)
があった。子供の頃、親や祖母に連れられて行き、店の裏側(内側?)
で子供の視線で見た思い出がいくつもよみがえってくる。
 
 昨日伯母の葬儀のため、兄夫婦 弟と母と1台の車で浜松へ行ってきた。
親戚だったおすし屋さんで若い頃 働いていた伯母は、お寿司を握る
手つきがあざやかで、出しまき卵を作るのもじょうずだった。
まだ20代の頃私が作った筑前煮を「味はいいけど、蓮根はコリコリ
しないとね〜あと一息!」と言って食べてくれたっけ。
伯母が作る味噌汁は、細かく刻んだ小ネギが表面にすきまなく
青々と浮いていた。私が作るものも「ネギの入れすぎ!」
と言われるくらい つい入れてしまうのは、この伯母の影響だ。

 

 昨日集まった(母方の)親戚の中で食べ物関係の仕事で成功したのは
一番年長の従兄弟。(もうひとりの伯母の長男)
http://www.shunkado.co.jp/unagipai/unagipai_birth.htm(写真右)
春華堂のうなぎパイといえば、静岡のお菓子としてお土産にも
喜ばれているようだ。昨日は、帰宅して やれやれ〜とお茶を入れ 
↓このとら焼きをほおばりながら、
http://www.shunkado.co.jp/gallery/g_w_torayaki.htm(美味しいよ!)
バターの値上がりのため、お菓子の値段もあげざるをえなくて、6月から
値上げをしたと残念そうに言っていた従兄弟のことを思い出していた。
 
 親の世代の人達が亡くなると、いとこたちとの関係もだんだん
遠くなっていくような気がする。次の世代の子供たち同士は はとこだが 
家が近かったりして付き合いがあれば別だけれど、きっと もう他人のように
なるんだろうな。





投稿者: kun - 午前 09:53 | コメント(5) | 固定リンク